【寒天問屋】


06



「川の流れは急やから。半分も行ったら手足も凍って沈んで仕舞えるはずやて」

 眼をきつく瞑って開かなかった。

「足の運びも数えかぞえ。真っ暗けの空に星がぎょうさん。これも数えかぞえ」

 起き上がろうとする気配に祈った。

「待っといておくれやっしゃ、て。いま居て参じますんでな、て」

 蒲団の端を強く強く押さえた。

「風の便りで乳飲み子は死んだ。兄弟も消息など掴めん。お父ちゃんお母ちゃんは首括らはったけど。こんなにしんどい思い抱えて、生きていかなアカンくらいやったら――早よ楽になって、どこぞの神さんに会えなすったほうが、よかったかもしらんなあ、と。わて、そう思いましてんで」

 しばらく抵抗感もあったが、

「首まであっぷあっぷしとる。もう少しや。あと一歩で終わるんやて気を抜いたら、裸足になった足の裏で石っころ踏み外してしもて」

 諦めて寝返りをうつのがわかった。

「十五の歳になるっちゅうのに、よう泳がんかったさかい。呆気ないほど簡単に深みに嵌まって。これでようやくわても楽になれるんや、その時は思たんだす。でも苦しゅうて苦しゅうて。水が針のようで、痛うて痛うて」

 痺れた全身に冷たい風が吹き込んだ。

「口から吐いた息を最後に、これで死ねる。ようやった。ホンマにわてはよう辛抱したんや。悲しそうな顔して泣いてはる嬢さんの幻を見て。堪忍しとくれやす。助けられんで、一緒に苦しんであげられんで、堪忍しとくれやす、云いましたんや」

 握り拳に指先が触れた。

「お母ちゃんは川の底で、よう頑張りましたなあて微笑んで。お父ちゃんは矢ッ張り背中向けとるんやけど。今度は追いついて、いっぺんでええ。いっぺんでええさかい、殴りとばして云うこと云ったんねん、と手を伸ばしたんで」

 暖かな指に包まれた。

「袖を何度か引く気がして、また嬢さんかと振り払うんやけど。水の中でっから、どないもなりまへんのや。わての袖と腕を掴んで、頭抱えて抱き込んで。抵抗する手を抑えつけられて、誰やねん、なんとしても顔見たらな、て。物凄う恐い顔しはった仁王さんが見えて」

 強く握られ両手の指を開いた。

「水面に上がったら、腹一杯に膨れとった水が逆流して余計苦しなって。死なれんかった、死なれんへかった――思て、両手を出したんやけど。仁王さん以外にも仰山、川辺に人集まっとって」

 善次郎、と声がした。

「みぃんな油提灯ぶら下げて。こんな時期に祭りか、景気ええ噺やわ、思うて地面に引き上げられましてな。そっからあんまり記憶はあらへんのやけど」

 ――善次郎。

「ああ、旦さん。起きてくれはったんだすな。あとちょっとやさかい、辛抱して」

 己の声とは思えぬほど震えていた。

「己も水飲んで、死にそうな息しとんのに。止めるヤツ皆蹴り飛ばして、真っ直ぐわての処に来て、殴りはったもんで」

 蒲団を剥ぐ勢いに膝を崩した。

「ど阿呆。この阿呆んだら。死んでどないすんねん、死んだら仕舞いやねんで――云うてどつきまくられて。周りが引き剥がそうとしても、何べんもビンタしよるんで。さすがにわても痛いし、冷たいし、寒いし、恐いしで。すんまへん、堪忍しとくれやっしゃ、もう無理なんや、堪忍して。泣きじゃくって」

 月明かりを頼りに霞む眼で、和助の顔を見ようとしたが――。

「膝ついて放心しとる姿をよう見たら、仁王さんどころやない。水も滴って、火の光に顔を照らされて、わてと一緒ンなって泣きじゃくっとんのに」

 着物の襟繰りを掴まれ、引き摺られるようにお互いを手繰り寄せ、

「生きるんや。ええな、生きるんやで、善次郎。云うて、額合わせて、抱きしめてくれはったんだすなあ。今みたいに」

 涙で濡れた唇を幾度も合わせながら、善次郎は応えた。

「ええ男やった。ホンマに……ッ、旦さん。ええ男やった!」

 そして静かに云った。











「――他になんや証拠でも要りまっか。旦さん」



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