【寒天問屋】


04



 疲れきった善次郎は、自室で寝ることになった半兵衛にあらいざらい打ち明けた。

「そりゃ災難だしたけどやなあ」半兵衛は呆れて嘆息した。蒲団の中で胡座をかき、首筋を触る。「井川屋の鬼番頭はんが、拗ねボンの老人一人におとなしゅうに引っ込んで、結局わてと寝るんでっか」

「拗ねてるなんちゅうモンやない。ありゃ単なる天の邪鬼だす。旦さん昔ッからそうだしたんや。毎日振り回されとんのわてだけなんや」

 酒もないというのに性根が優しく面倒見のいい半兵衛は、善次郎の噺を訊いてやりながら――めんこいオッサンやなと心の中で思った。

「今は充分振り回したってると思いますけどな。つまりアレでっしゃろ。わてらが玉弄くって愉しんどるかもしれん妄想で、頭いっぱいなんやで」
「遠慮っちゅう言葉は何処に置いてきましたんや、半兵衛はん」

 半兵衛は苦笑した。「おもろいな、思て。そりゃ穿きなれた草鞋みたいな主人と番頭はんやとは訊いとったけど、以前顔合わせした時はそないな風には見えへんかったんで」

 善次郎は蒲団にうつ伏せていた躯を起こした。「半兵衛はん。まさか、あんさん。最初からお里はんのことやのうて、旦さん……」

「へぇ。わて色事の嗅覚だけは敏感なもんで。善次郎はんの言い方では惚気以外のどんな言葉にも聴こえんかったんで、二重に引っ掛けたろかなあと――悪戯心っちゅう悪い癖が」

 つまりは自分で墓穴を掘らなくても、既に千里眼でお見通しだったというのだ。善次郎は脱力感でまた身を伏せた。

「客人が来た時に客間が塞がっとる時は、わての部屋を分かつのが当たり前でっせ。なんで今日に限って、旦さん」
「――善次郎はん。怒らんといてや。あんさん、色事には物凄う不慣れなんでっか」

 善次郎は顔を上げずにくぐもった声を発した。「どういう意味だす」

「和助はんが帰って来はった時、わてら二人で、はしゃいでおりましたやろ」
「見てはらへんから知らんはずや。はしゃいでた訳やない。あんさんがからかうから」
「お里はんは見てましたやん。情報源は古今東西、女の口しかあらへんのでっせ。なんぞ吹き込まれて、わてとあんさん一緒にしたないなあと、和助はんも考えなすったんかもしらん。やきもちというヤツや」

 善次郎はため息を吐いた。「半兵衛はんは旦さんを知らんのだす。あの人、わてとそういう関係になってから急に嫁取れ云うようになってもうたんで、執着なんぞしてまへんのや」

 半兵衛は黙った。執着のない恋愛などあるものだろうか。相手のことを考えるなら自由にしてやろうと、歳の離れた和助が心を広く持とうとしているのは理解できる。しかしどうにも腑に落ちなかった。

「いつから。なんでっか」
「――?」
「そういう風になりはったん」

 気持ちの変化に気づいた日のことなら覚えていた。和助が松吉を拾って来た時からだ。

 寒い寒い冬のさなかに、銀二貫と引き換えて井川屋に転がりこんできたお侍の子。伏見の寒天場に送りましょうと提案したのは自分だった。そこでどれだけ辛い仕事が待っているのか、善次郎自身はよく知っていた。

 善次郎は遠い記憶をふり返りかけてやめた。

 すべては過ぎ去りゆく。この瞬間も、この感傷も、既に過ぎ去った過去であるのだ。待っていては遅すぎる。焦ってみても、たどり着いた頃には年老いている。

 漂う沈黙に半兵衛がうなずき、噺を変えたほうがいいだろうと調子を切り替えた。「嫁はんはさすがにもう無理でっしゃろ。余りモン同士お里はんにお願いできまへんの?」

「半兵衛はん――」
「ちゅうかええ歳して髷も結うてないような小僧っ子の恋でんな。善次郎はん、昔ッからそんなんでしたんやろ」

 善次郎は苦笑した。そろそろ寝ますで、と火を吹き消して、蒲団にくるまる。そして云った。「こない暢気な噺しとる場合やないのに――すんまへん。半兵衛はん」

 暗闇に慣れてきた眼が互いを捉え、口にはしないが信頼で結ばれたことを感じ取った。半兵衛は満足そうに息をついた。

「半分はわてのせいや。軽率やったと、わても反省しきりなんでっせ。悩みに小さいも大きいもあらへん。つまらん意地の張り合いでお二方の仲に亀裂が入るのは見過ごせまへん」

 心地よい疲れと安堵が肩にかかる。焼けてしまった第二の故郷。先に待っている幾多の試練を胸ひとつに納め、眼を瞑った。

 わて、一度目ぇつぶったら朝までぐっすりなんで――と告げた。

「火事は火事でも、恋路の大火事やったら消すような野暮はしまへんよ。善次郎はん」



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