【寒天問屋】


07



 奥座敷に入ると気もそぞろに落ち着かなくなり、善次郎は寝転んだ。和助は小箪笥から煙管を出してくわえた。商家で火は御法度。勿論井川屋では全面禁止の触れを出している。

 珍しいこともあるものだと善次郎が眺めていると、口寂しゅうてなと眉を上げた。棒手振りを担いでいた頃には買えなかった品を、興味本意で手に入れたはいいが使う機会はなかった。室内の火は最小限に抑え、万が一にも火事にならぬよういつぞやの将棋板を肘掛けがわりに吸い始めた。

「松吉が惚れてしもた」

 和助は唐突に口ずさんだ。善次郎は俯せで頭だけ支えた。

「真帆屋の嬢さんのことは忘れた云うとりますで」
「それはそれとして、あんさんに」
「……阿呆云うのやめとくれやす」

 和助は羽織を肩から落とし、寒ないかと訊いた。善次郎は応えなかったので、そのまま続けた。

「男としてな。男が男に惚れたら仕舞いや」

 身を起こそうとした善次郎を制し、和助は立ち上がり様に煙を外に吐き出して、煙管を持った手で善次郎の顎を掴んだ。接吻の味ごと鼻につく薫りを呑み込む。和助も善次郎も味覚がおかしくなるのを防ぐため、この種のことや遊興は好まない。

 煙に吸い寄せられるように何度も唇を合わせて、善次郎は不思議な感覚に身を投じた。煙を食べるなんぞ可笑しな習慣があるもんや、と微笑んだ。

「こんなんは、まだええねん。戯れて可愛い噺やで。怖いンは、肉の反応やないほう。行き場を失ったら振り回されますねんで」
「戯言も大概にしとくんなはれ。そのうち梅吉でさえも旦さんの嫉妬の対象になるんでっか?」
「松吉のこと狙ろうとる云うたん、あんさんやろ」
「わてが、とちゃいますで」
「其処ら座って」

 善次郎は云われた通りに蒲団の上で胡座をかき、主人がその間に火の始末をつけるのを見守った。

 一寸先では闇夜にちらつき、月夜の爛れが室内に満ちていた。愛しい男と幾日幾夜を過ごしてきたこの瞬間が、また明日の暁を眼に遷す頃にはこの記憶も消えてしまうのだと、善次郎は顔を近づけた。

 肩口に伏せた善次郎の頭を月代の間より撫で下ろし、和助は大きく息をついた。二人の手は重なっていたが、それ以上何を求めるでもなく握りしめているだけだった。

「あんさんのこと、知っとる人間は他にもようけおる。井川屋の家族はしゃあないわな。好きになるな云うたかて、毎晩、こんな無防備で居られた日には――」
「毎晩居るのは、旦さん処だけでっせ」

 和助のうなり声は地を這うような響きを持っていた。「昨夜はあんさんを誰が独り占めしたんやろ」

「旦さん……」
「直ぐ赤うなって、照れ隠しで口多なって」
「見えてまへんやろ」
「今の噺やない。さっき、皆の前でや。あんさん昔からそうやった。褒めても褒めても、むっつり黙りこくって可愛げないわと長いこと思とって。機嫌悪いんかと顔覗きこんだら、耳だけ真っ赤ッかでなあ」

 善次郎は愕然とした。「――そんな風に思てたんでっか」

「満面に笑み浮かべて接客できるようになったの、随分あとやったさかい」

 和助は背中を丸めたまま、善次郎の躯を撫でさすった。善次郎のほうは段々と遊びのほうの誘いをしてみてもいいと思ったが、心地よいのも事実だったため身を任せた。

「子供は早よ大きなるから寂しいなぁ」
「こんなデカなってしもたて、後悔してまんのか」
「美丈夫に育って、よかったで」
「……嘘つき」

 裾を分け入って擦って、盛んな呼吸音を塞ぐように抱き敷かれて、襲いかかる欲求を制御しながら、長くして繋がった。

 耳にこびりつく己の喘ぎ声、肉のぶつかる汗の音、勢い余って崩してしまった互いの髷を外し、肌馴染む愛撫の興が、落武者の醜い争いの如くに見えると、どちらから出たとも知れぬ体液に混じり合い、楕円を描くように何度も口を合わせた。

「旦、さ」
「黙って」

 和助が買った子供とどうにかなるなど、今の善次郎には考えられない噺だったが、亡き骸を掻き抱いて隣に寝る日が訪れるなら、其れから考えるのでも遅くはないという気がした。

 故郷から遠く離れた場所で和助と初めて会った日を思い出し、善次郎は眠った。主人に背中を絡め取られたまま。








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