【寒天問屋】


04



 善次郎は一足早く身支度を整え、お里を叩き起こした。

 立場を逆にしての振るまいに、今度はお里が着物を緩めたしどけない姿で眼を擦りあわせながら文句をつけた。しかし視線を逸らして憮然としながらも、頭を下げる善次郎を見ていると何やら気の毒になり、お里はわかったと云った。

「番頭はん」お里は溜め息を吐いた。「いきなり困りますわ。なんでもっと早よ云うてくれまへんの」

「お里はんが最近早よ寝はるからや――」
「ま。やらし。来てもええことなぞありまへんで」
「わ、わてが一体、いつ」
「そこどいて」

 鬼番頭も形無しの有り様である。険悪なやり取りは元の減らず口に戻り、内心では安堵していた。善次郎は再度謝った。

 釜の様子を見ながら、火を吹いてと手伝わされる。

「しゃあおまへんやろ。あんまり遅うまで起きとると、皺寄んねんて。番頭はんみたいな鬼瓦になったら、井川屋の紅一点がおらんようになるんやさかい」

「し、わ」善次郎はぼそりと云った。「もう寄っとるもんには太刀打ちできへんのやないだすか」

「――なんやて?」
「充分別ッ嬪はんや、なんもせんでも宜しいわ云うたんでっせ」
「おおきに。違う風に聴こえたわ」
「なんもありまへん。くれぐれも宜しゅう頼みます」

 朝の支度に一同が起きて、食事を取る段では松吉は沈んでいた。対称的に善次郎とお里の関係は修復されており、周囲はこれまたホッとして口喧嘩を肴に飯を食べた。

「旦さん。後でちょっと噺が」善次郎が云うと、松吉は躯を強ばらせた。

「此処ではあかんか。今日はな、町内行事の参画に呼ばれとって――まあ天神さんの祭りに関してやと思うんや。人手要るんかもしらんけど、わては近頃膝も痛めとるし」
「そのことだす。あれはわてと松吉が往きますんで、お里はんと店番を」

 自分の名前が出たことにびくりと身を強ばらせ、松吉が二人を見た。善次郎は淡々と箸を動かしていた。

「助かるけど、昼持たせな無理やろ。あんさんが行ったら誰ぞとなんぞ議論して帰ってくんの夕刻やさかい」

「わて、それで早く起こされたんですよ」お里が割り込んだ。「二人ぶん作れぇて、急に云わはるんやから」

「堪忍でっせ」
「梅干しがあったからよかったもんを」
「ほんに助かります。お里はんが居らんかったら、わてら全員食いっぱぐれとります。餓死しかけましたんやで」
「――わかれば宜しいわ」

 善次郎は笑いを噛み殺している梅吉を睨みつけた。お里は胸をはって襟足を正した。

「誰ぞ、と云うのんの代表が松葉屋はんのことやったら、今回は参加はせぇへん云うてはりました。親戚筋に不幸があったとかで」善次郎は和助に向き直った。

 和助は箸を置いた。「偉いこっちゃ。香奠は?」

「包んどります。気ぃ遣うて受け取りはらへんやろから、菓子折りの下に」
「御大尽みたいな真似せんでよろし。うん、わかったわ。そっちはわてが往きますんでな、松吉」

「へ、へぇ」

 善次郎の遣いとして傍らを歩き、叱られなかった試しのない松吉は苦い顔を隠した。

「頼みますで。神事に関しての雑役もそろそろ順番に覚えて貰わんとな」



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