【寒天問屋】


01



「ええか」善次郎は云った。「算盤はな、頭ん中で弾きますんや。手元は見たらいかん。寒天を仕入れ先に持って往くまでに数を勘定するところから始め。云うとおりにせぇよ。でも今日はまずこれや。居残りはあんさんだけでっせ」

「へぇ」

 松吉は恐る恐る云われた通りにした。手先だけに集中するためには、顔を上げねばならないのだが――目の前には鬼のようにむっつりと皺を寄せた善次郎が座っており、眼を細めて算盤の一挙一動を見ている。

 松吉の指は震え、唾を呑み込んだ瞬間に緊張感にやられ、間違えた。

「繰り上げて三じゃ云うとるやろがボケ」客の前では絶対に出さぬ低い声だった。「なんべん云うたら――もうええわ。使えんやっちゃな」

 松吉はカッとして全身を染めたが、善次郎はその姿を横目に入れつつ知らぬふりをした。組んで袖に入れていた腕を解き、立ち上がって襖を開ける。

 心配そうに背筋を伸ばしながら、こちら側の様子を覗き見ていたらしい主人と目が合った。ばつが悪そうにしたのは和助のほうだったが、愛想笑いを返してくる。

「休憩せぇへん?」
「仏の顔した甘ちゃんが何か云うてはるで。どないするん」
「へ、へぇ」
「へぇ、やあらへんねん」
「――休憩しまへん」

 松吉は半ば意地で算盤に向き合った。和助はあからさまにがっかりして、さよかといった。

「お里に内緒で、干菓子買うとるんやけど。善次郎。ほんまに、ちょっとだけアカンか」
「わては強制してまへんで」
「しとるんと同じや『から』、云うとるんや――」
「将棋の相手、探してはんのだっしゃろ。梅吉はまだようやらんさかい。わてがいきます」

 和助は呻いた。

 将棋板は和助の寝室に羽織を被せて隠してあったのだが、夜も更ける前に一勝負したいのを見破られている。堂々と打てばいいものを、朝方はお里に邪魔邪魔と追い払われ、昼間は善次郎に店の顔出しで頻繁に呼びつけられるため、道楽も井川屋ではなかなか叶わなかった。

「なんやつまらへん。善次郎とやったら、何べんやっても同じや。みぃんな、わてに花もたせて勝たせてまうやろ」
「御言葉だすけどな。旦さん、ものごっつ弱いんだす。普通にやったら瞬殺や」
「うちの仁王さんはぁ……怖いッ。怖いなぁ。な? 松吉」

 返事はなかった。善次郎は何事やと怒鳴りつけようと、後ろを振り返ったがやめた。松吉は既に算盤に集中していた。

 和助の顔が緩み眉と眼だけで善次郎を見上げると、二人は無言の会話を胸ひとつに納め戸を閉めた。



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