【寒天問屋】


01



「だ、旦さん」
「なんや」
「もっ、もっとだっせ」
「――これ以上勃たへんわ」
「しんどい云われても今日はやりますで」


 暫くの禁欲生活については少し時を遡って噺さねばならない。

 重湯を通りこして湯冷ましに野菜屑を混ぜただけのものを口に運ぶ日々から、お里が急逝した養父の葬式で里帰りすると質素な食事はより慎ましいものとなり、精も根も尽き果てたのはここ数日間のことだ。

 しかし小姑のいない隙を善次郎は見逃さなかった。己こそその名に相応しい性質であることも承知の上だが、お里には生来備わっている、色事の邪魔をしてしまう能力というものがあるため、つい憎まれ口も叩きたくなるのである。

 これは例えば下腹の海鼠を独り弄くっている場合でも唐突に現れ、「あら御免やす」と頬を染めて退室するくらいの可愛いげが有ればまだいいのだが、其処は出戻りの遠慮知らず。竿を握って固まっている男の象徴から眼を逸らすこともしなければ、「汚いモン見て目が腐る」だの「気分悪ぅなったから駄賃頂戴」だの、散々云われるのが日常茶飯。

 一度など、天狗の赤鼻もいざ山頂の洞窟へ参らんという事態にまで盛り上がった瞬間に現れ、足音に気づいた善次郎がまくりあげた裾を戻すと、和助はキョトンと眼を丸くし「どないしたん」と口にするので、半裸に己の法被を掛けて背中だけを襖の側に向けさせ、急場はしのいだ。

 しかし知ってか知らずかお里のほうも、今度は「旦さんに店番さすんは無謀やわ」だの「二人で怠けてたんやろ。畳の痕ついてまっせ」だの指摘してくるため、一向に閨の噺は進まないのである。

 井戸も枯れかけている和助はいいとして、前は兎も角、後ろの堪りかねた善次郎は、江戸から来た山師が副業にしているらしい張り型の手配などしようかと算盤を叩いたが、これは和助の猛反対にあった。

 蒲団の上で遊びに興じていたのが、身を起こして正座する状況に縺れこんだ。お里のいない間の貴重な逢瀬を、説教だけ拝聴して浪費するのは忍びない。善次郎は詰まらぬ提案をしたと後悔しきりだった。

 当然、張りを無くした互いの裸体を直視せざるを得ないわけで、蛇二匹は深井戸まで急降下した。

「絶ッ対あきまへん」
「金は自分で出しますんで。旦さんのを目尺で測らせてくだすったら、其れでええんだす」
「金額の問題やあらへんのや。あかん、っちゅうたらあかん!」
「強情でんな。あすこの番頭は衆道の気があるなんちゃ噂が広まって、店畳む羽目になるかもしれんのが怖いんでっか」

 和助はこうべを横に振った。

「どんな遊びやっても、いずれは飽きるんや。変な道具使て寝技なんぞ編み出したら、そのうち寝所で欲してきた相手やのうて、男の躰やったら誰でもええようになるんやで。あんさん、わての他に男作る気あらへんのやろ」

 善次郎は直ぐに否定しようとした。男云々の噺以前に、和助以外の人間と寝ること自体が先ずもって想像できなかったからだ。「……考えたこともないわ」

「尚更や、善次郎。あんさんが遊びの出来る男やったら、わても心配なんぞしまへんのや。ほどほど付き合うたら、わてン処に帰ってくるっちゅう自信もあるしな」和助は詰めていた息を吐いた。「一本槍の性質は、折れたら怖いで。その歳で肉慾の味なんぞしめたら、試してみたなる気持ちもようわかるんやけど」

「重かったら云うて下さっはったらええんだす。いつでも離れますよって」

 畳縁を崩した足指の爪で引っ掻いて、出来そうにもないことを嘯いた。下に向けた視線の先で、鍛えた野太い太股の片膝がぶつかり、そこだけ黒々とした剛毛の茂みの奥で――頭をもたげている存在だけを欲しているのだ。

 和助も胡座をかきなおした。「わては確実に先死ぬからな」

「そないなこと――」
「あんさん独りにすんのが心配や」
「旦さんが死んだら、好きな男の一人や二人、なんやったら女でも見つけますさかい。よう探さんかったらお里はんで手ぇうちますわ」

 安心させる為だけに咄嗟に口にしたことを、無意識のうちに呻いた。蒲団に寝転び善次郎に背中を向けた和助が、その後を拾った。

「お里はあかんで。善次郎には荷が重すぎる」
「やったらしゃあおまへん。揃って松葉屋はんの二号と三号にでもしてもろたらええ噺や」
「わてのほうが長生きする云いましたやろ。松葉屋はん処は恋女房が居りはるさかい、争うのはしんどいでっせ」

「せやったら」善次郎は額に皺寄せ上目遣いで眉を潜めた。「他所の男に捕られるくらいやったら、わてはまだ百年くらいは死なへんで、って嘘ついて。駄々捏ねて長生きしてくんなはれ」

 生返事が返ったのを不審に思い、顔をのぞきこむと亭主のほうは鼾をかき始めていた。



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