Ignatius
ブログ小ネタ集



『財前又一と財前五郎』



『財前又一と財前五郎(1)』


座敷の窓際で煙草を吸いながら、舅はちらりと私を見た。

「岩田先生ぇ。あきまへんわ。もっとキツうやったってください。そんなもんでは足らへん」
「お、お養父さん。や、やめさせて」
「なんや五郎ちゃん……なんでもやるて、あんだけ云うたよな? 私らは君に期待しとんのや。上にのしあがりたいなら、金の世話だけではすまんで。この人に本気を見せて、折檻でもなんでもな、たぁんと受けて」
「そうや。お養父さんもな、悪いことはしはらんよ。あんたのことどれだけ可愛がっとるか……まるで生娘のような反応やな。そりゃ可愛えわ」
「い、岩田先生。や、やめ」
「かわええなあ、五郎ちゃん。うちの娘しっかりタラ仕込んだつもりが、俺の鳥籠で飼われとるんやからなあ」
「お養父」
「娘のほうの子種も仕込めんと、ええ女拵えてからに。まあそれも若けりゃなんも文句はあらへん、孫も仰山欲しいんでな。まあ種のほうはそちらの先生がしっかり搾り取ってくれはるらしいんで――」
「お養父さん……!」
「しっかり御奉仕したらな、なんも心配することないで。可愛いかわいい」


俺の五郎ちゃん。



『財前又一と財前五郎(2)』


「五郎ちゃん。まんじゅう足りとるか」
「ええ、滞りなく。お養父さん」
「そりゃめでたい。ほんでな、その、忙しいとは思うんやけど」

 ああ……またか。最近のお養父さんはなかなか逝かない。面倒だな。

「わかりました。きみ、第二手術室は空いているかね? ああわかった。私がしばらく使うから、誰も入れるなと――」
「五郎ちゃん。一階のトイレがええ。人のようけ居るとこ」
「……もういい早くいきたまえ! ――お養父さん、困りますよ。私はもう昔の私では」
「五郎ちゃん。な?」

 面倒だな、とは思うのだが。

「……わかりました。十分も割けませんよ」
「そんなに掛けたら死んでまうがな――まあそれを狙っとるんやろけど、俺は死なへんで。君の白い巨塔の――」


勃つまでは。



『財前又一と財前五郎 (3)』


「お養父さん」病室から射し込む光を苛立たしげに手のひらで追い払い、俺の五郎ちゃんはいった。「杏子は元気ですか」

「心配いらん云うたやろが」
「そうでした――すみません」

 俺は内心の思惑を気取られまいとして無駄口をきいた。「問題あらへん。あれは母親に似とってな、気丈なんや。なんも心配いらん。君がはよ退院するまで、百貨店の靴だのバッグだの、ようさん――」

「そうですね。あれにたくさん、買ってやってください。保険金は僕の口座に――」
「なんでそないに死にたがるんや。先生も云うてたで。『わたし失敗しないので』って。まあ実際はようけ失敗したから菓子折りの山が積んであったんやろうけど」
「お養父さん。愉しかったですね」
「――五郎ちゃん。今生の別れみたいなセリフ。似合わんで」
「杏子は来ないんでしょう。次の再婚相手を見繕ってるはずです。お養父さんの紹介で」
「あんな、五郎ちゃん……」
「隣、空いてますよ。杏子もあれも来ない」
「――」

 お養父さん、とねだられては仕方がなかった。俺はもそもそと布団に潜り込んだ。抱きついた五郎ちゃんの体は氷のようだった。息をしているのが不思議なくらいだった。

「俺は紹介しようとしたけどな、半狂乱で怒鳴られた。なあ、五郎ちゃん。杏子は君なしで幸せになれるんかしら」
「――僕にもわかりません。脱ぎましょうか。脱がせますか」
「あかん」 俺はあきれた。「 君はあほやなあ」
「ヤらへんのか、つまらん。なら、煙草。そこで吸ってください。窓際で」

 昔みたいに。

「関西弁、俺より下手やなあ」
「お養父さん。煙草や――」

 俺は布団から追い出され、転がり落ちた。ベッドの下にはたくさんの注射針が落ちている。キラリと光るその残骸をしばらく見つめ、なぜ彼がその細腕で俺を押し退ける力が出るのか知った。

「一本だけやで」

 床に座り込んだ俺の口から煙草の煙がたゆうと、五郎ちゃんは深く息を吸ってその匂いを嗅いだ。俺は止めなかった。

 すまんかったな、五郎ちゃん。

 俺の声を胸のうちで聞いたのか、五郎ちゃんは閉じていた目を開けて鼻で笑った。俺の好きな笑いだった。二人で話したのはそれが最後だった。俺は残りの数日で財前又一を演じ、彼は財前五郎を演じた。


 それで最後だった。



(完)



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