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2024/05/04 

 橇ひきの先導犬がね――と日も落ちた部屋でレックスと向き合っている。「リーダーシップを取ってくれと君に頼まれたとき、思い浮かんだんだ」
「――」
「かかる重圧は同じだが、前を行く狼のことはどうにも気に入らないわけさ。自分より先を行く、あの尻尾を斬りたくなってくる。最初は噛みついて、いなされたら大人しくなる。そこにこいつの本当の主人がいて、餌を与えてくれるわけだ。世話も他より多くしてもらえる。何があっても、護ってもらえる。僕はにこにこと撫でられてれば、まあ仕事はこなせるな、って」
 そんな風に考えて引き受けたんだ、とシュルクはいった。机の前の椅子で屈みながら。髪は縛り上げて、横に流していたが、調べものの名残りで部屋の空気は澱んでいた。レックスが窓を開けてくれる。
「明確にお前だけ狙ったわけじゃない。あわよくば一緒に事切れてたほうがよかったかもな」
 肩を震わせて笑う。小さな明かりに揺られ、決して文章に表すほど整っているわけではない互いの顔を眺めた。気候の変化でむさ苦しい己と違ってすっきりとはしているが、疲れと暗さが影をつくり、最近は実際の年よりも老けて見える。艶やかだった黄色が白金になりかけているその理由も、よる年波あらがえずといったところかもしれない。
 あいつと過ごしたってよかったんだぜ、という声に顔を上げる。
「僕らが狙われたということは新参者だが重宝しているマシューたち全員に危害が及ぶということだ。このコロニーで彼女以上に強い人はいない」
「……そういう意味じゃないっつの」くだけた声が懐かしい色を帯びる。「こういう役割に俺は向いてない。知ってるだろう」
 ああーーとシュルクがいった。
「あと数年早く気持ちをさらけ出していたら、君とも違う時間を持てたかもしれない」
「よせよ。頼むから今日は大人しくしててくれ。お前さん俺よりそういうのうまいんだよ」
 頼むから――と窓際で遠い顔をする男を眺めたが、いまさらそういう気にはなれなかった。時間をかけすぎたんだなあ、ともったいなく思って、コロニー外の平均寿命に頭を巡らせる。二十歳までの期限があって、老いを知らない。奇跡に出会ってもその答えを知ることさえない、短い一生の彼らを。そう思えば、悠長なことをしている。
「賭け事云々のやつ、納得いってねぇんだけどよ」レックスは腕組みしたまま周辺を彷徨く警備隊を見ていった。「息抜きなら他にもあるだろ。文化的なやつ」
「……文化的かな。まさかあんなに流行ると思わなかったけど。平和だよね」
「なんだ。計算してやったことじゃないのかよ」
 いや、ただの趣味と実益だ――という言葉に脱力する。
「同じ賭事でも馬はやる意味が大きいんだ。土地を踏みしめているから、道を作ったり外周を手配して産業を作るのにも役立つし。この世界の生き物は、全体的に比重がものすごく軽いだろ」
「大きさにたいしての質量が見あわねぇなって話か? そりゃお前さんから何度も聞いたよ。ゴゴールの群れと地面の削り具合が重力に対して……ああ、やめやめ。俺ができねぇと思って勉強会開いてくれたのは助かったけどな。この十年で覚えたことを次の世界のどこにも持っていけないんじゃ、意味なんて――」
「君はそういう風に考えるんだな。やっぱり」
 シュルクはいつの間にか頬杖をついていた机から体を起こした。レックスはムッとして手を振る。
「いや。全部が無駄になるとは考えちゃいねぇよ。ただ、どこにも持ってけないだろ」
「平行に地球が連なりを帯びていたら、隣の惑星には永遠にたどり着けない」シュルクは静かにいった。「イメージの世界の話だけどね。近いところの自分の精神とは類似しているはずなんだ。僕の世界にはこういう話をまとめる長命種族がいたんだよ」
「重なりあったりはしないのか。その、異世界でなく同じだが違う平行世界は」
「くっついたり離れたり、細かなやり直しで保護、削除の繰り返しでコントロールされているそうだ。重なることもあるかもしれない」
 じゃあ――と。
「じゃあ。俺が今夜、違う行動をしたら」レックスはため息を吐いた。「もうやめてくれるか。その理屈から俺だけ取り除いて、ひとりで気持ちを抱えるのを」
「――」
「なんか視たんだろ。乱れた着衣もあいつが関係してる。俺としては一発殴っておきたいところだが。身のこなしが切れ味のよすぎる刀身そのものだから、つい躊躇してしまう。俺の剣はどうしたって返事も返らないってのに、何を視たのか教えちゃくれねぇのかよ」
「説明したところで、わかってはもらえまい、と思ってしまうからだ」
「あいつは一人でいっちまうぜ。嫌なんだろ」沈黙が垂れ下がると、手を伸ばすのでレックスは困り果てた。無視を決めこんで窓辺に椅子を寄越せと手を振る。「俺の断片的な記憶は必要なかったみたいだな。カギロイの単独資料にするから返せ」
「……血は争えないな」
「あいつに教えてやれる芸事は全部思い出してやりてぇんだ」
 わかるだろ、とうつむく手に紙の束を握らせる。「役に立ちすぎるほどだった。君と同じ世界に帰れないこと。残念に思うよ」
「――キスでもしとくか?」
「必要あるのかな。アルヴィースともそんな感じだった」いいかけてシュルクは天井をあおいだ。「キスくらいしておけばよかったかな」
「……シュルク。絶対素質あるぞ。次にやり直すはめになったら、俺とのことも考えてくれよ」
 なんだいそれ、とあきれたように笑い返す。ひとしきり笑って、宿舎のほうを見つめた。終わりが近かろうが、どこにもいけはしない、なにも決められないでは進めない。どこか遠くの惑星ではなく、近づきすぎてしまった星星のあいだにひとつの宇宙が存在している。


 ものも言わず肩口に頭を置いてくる可愛らしい男に、腕だけ預けて空を見ていた。






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