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2024/05/03 

 鍛練中には互いのことを全く顧みなかったのだが、「撃ち合ってみたい」と言い出したのがルフレとカミラだった。ふたりにほとんど関係性はないのに、「いいね」「やりましょ?」の一言で決まってしまう。
 紋章士同士の撃ち合いはしたことがない。下手を打つと死人が出るので、人間の側は退場することになった。リュールだけは丈夫なので入室を赦されたが、連撃の往復が雨嵐で、どちらも自分の暗黒面を存分に発揮して妙に嬉しそうだ。星々しかない暗闇の部屋に、周辺から降り注ぐ謎の液体やら光の雨。奇妙な造形をした怪物に似たなにか――なんだあれ、とその場の全員が思った――をすべて弾き返すと、カミラはふふっ、と艶やかに笑った。その後は防戦一方だったルフレが魔道書を持ち後ろに翻る。バチッと空気が斬れる音で空間が歪んだ。
「駄目ですね」セネリオは思わず呟いた。「ルフレ。手を引いてください」
 そこまで! とシグルドが馬に乗ったまま槍を突きだすと、空間が閉じる。加減したらいけそうだな、という結論に達した。
「堪えられそうにありません」リュールはほうと息を吐いた。「何か変なものが浮いてたように思うんですが、あれは?」
 ルフレは笑った。「意味なんてないよ。可愛いだろ」
「犬……のようにみえたけど」カミラは顎に指を当て小首をかしげた。「可愛いかしら」
「猫だよ猫。どうみても猫だったろ!」
 どちらにも見えない気持ちの悪い妖に見えた。気が削がれるほどの下手な絵を見た後のような面持ちで、頭の中には有象無象のモヤが浮かんでいる。なんでも比較的さっとこなすルフレの意外な弱点に、ベレトが興味を示した。
「独創的だ――もう一度見せてほしい」
「あんなの何度も見たいか?」と腰を引きぎみにクロードが一歩下がった。「いいよ。君たちには特別にね」とルフレが指を鳴らすと、亀? のような奇妙な幻影が現れる。「これは見ての通りカラスだ」
 見てもわからんぞ……と半身が代表して告げたが、ルフレは得意げに腕を組んで鼻を鳴らしている。審美眼がおかしくなりそうだ。
「カミラ姉さん、どうでしたか?」なぜかカムイがにこにこと聞いた。
「どう――って言われても。どうしてそれを私に当ててみたかったの? ルフレ」
 コケティッシュな仕草で近づく紫の紋章士がルフレの前に立つと、少しばかりの身長差のせいで胸が差し出されてしまう。ルフレは顎を黒い手袋をした左手で撫でて、「あ。君のほうがやっぱり上手だな」と目前のうっふーんを凝視した。
 周囲の冷えきった眼差しに、「いやいやいや」とルフレが弁解する。
「皆こうして彼女のセックスアピールに慣れきってるけど、敵の懐に入るときに使えば一定の効果はあるだろ?」
「何をどう使うというんです」セネリオだけはいつも通りの声色だった。つまりは氷点下だ。「変化の術式の応用と見ましたが、見たことを記憶から抹消したくなる見た目をしていました。それにあなたの腰元にある巻物――」セネリオは背を屈めて、両手で遮ろうとするルフレの腰から棒状のものを取り出した。するすると引き抜いて目で追っていく。「何か不自然だ。これ、どこで手に入れたんです」
「――」ルフレは手を上げたまま視線を逸らしている。
「チキ、気持ちが悪い」くたっと横に曲がったチキが、悲しそうにいった。「マルスのおにいちゃん。お外出ていい?」
「大丈夫かい、チキ。よし、僕の背に捕まって」
 ルフレは慌てた。「そんなに……? チ、チキごめんね」
 ダメージが相当だったのだろう。順番に「いや、私もあれはちょっと」「なにか神経に障る色をしていたわね……」と次々出ていく。ルフレは「……そんなに?」とセネリオにすがったが、袖を引っ張るのをやめてください。と相手は冷たかった。



 扉を開けると外周を延々と走り回っているアルフレッドが手を振ってくる。あはは……と振り返してよそ見をしていると、目の前が暗くなった。
「ルフレ。ちょっといいか」
 紋章士だけで集まっていたため、いつもより少し高めに浮いていた。これでは背の低い自分でもディアマンドを見下ろす形になって、なにやら落ち着かない。「うん?」と地面に一度降りたつと、今度は見上げるのがつらかった。
「貴族の会食があるため、スタルークか私のどちらかが国に戻らねばならんことになってな」ディアマンドは暗い顔で息を吐いた。「非常時に悠長な話だが、揉めている」
「――それって、王位継承と関係ある?」
「うむ。やはり話が早いな……ああ、セネリオ。今日はスタルークの相手はしなくていいぞ。変えてもらうよう神竜様に頼んである」
 ルフレの後ろについていたセネリオが、「別に構いません」と二人を追い抜いて飛び去ろうとした。ルフレがその腕を掴んだ。
「いてくれよ。さっきの術式についても相談があるんだ」
「カムイでしょう」ルフレの懐に戻った巻物を指差す。「忍の術はやめておいたほうがいい。あなたが使うと陰陽の術は周囲に危害を及ぼす恐れもあります」
「カムイだってよくわかったね」顎を引いて、噛みついた。「どういう意味か教えてもらえるかな。僕には誰かを痛めつけず最小限で闘う戦術が必要なんだ――」
「ああいう試合で真っ先にカミラが出るのは珍しいですから。妹の頼みを断りきれなかったんだろうな、と。忠告はしましたから、もういいでしょう」
 ふい、と腕をほどいて行ってしまう。着物袖と縛った長い髪が香の薫りを漂わせ、ルフレは苛立ちを隠せなかった。なんであんなにいい匂いがするんだ。従うつもりはなくても、おろした地面に足が縫いつけられたみたいだ。
 ルフレの顔をまじまじと黙って見ていたディアマンドが棒立ちになったまま、「ああ、そうなのか」とくちばしる。振り返ったルフレと目が合い、口元に手をやって空を仰いだ。
「クロムと同じような反応をするね」
「いや。なにも聞くまい。先ほどの件だが……」
「僕とクロムはスタルークにつけばいいだろうか。二人がかりで説得すれば自分が帰るとは言い出さないだろう」
「世話をかけるな」
 それ以上、本当になにも聞かずにディアマンドは礼をいって去った。少しくらい聞いてくれたっていいのに、とすがめた目の上をぐりぐりとやる。波打った感情が引かない理由もわかっているのだ。誰かを頼りたいが、こればかりは自分の気持ちの問題だ。
 腕輪の中にもどるがその空間にクロムはいなかった。簡易なベッド二つとタンスと机――イメージの中で決めた互いの居場所である。部屋を分けたらややこしいことになったので、思うところはあったがひとつにした。シグルドに問いつめられたら考えよう……と思うが、まだ二人の関係は駆け引きにもならないような戯れの段階であったため、クロム自身にまったくその気がなかった。
 現実の自室のほうにパチッと戻る。扉をたたくのは暗黙の了解での取り決めで、現実のものに触れられない紋章士たちは、実際には音はまったく別の違うところで鳴らしていた。「――クロム? ああ、いたのか。ディアマンドがね」
 白い騎士に掬い上げられるような形で、クロムがベッドに倒れている。「あ、ルフ」
 レ。も聞かずに再度指を鳴らした。エントランス奥で間違って出した魔道書を抱きしめる。慌てすぎだ。落ち着け。そういう日がくる覚悟はしていた。見たものを忘れろと額に手を当てていると、たまたま通りがかったアルフレッドに「やあ。今日はよく会うね!」とまた手を振られる。何周してるのか聞くのが怖い。
「顔が真っ赤だけど、紋章士も熱を出したりは――」
「ッ。気にしないでくれ。スタルーク見なかったかい?」
「ああ、走り込みをしていたら果樹園で見つけたよ。呼んでこよう……って、君たちには必要ないんだったね」
 はははと走り去って、ソラが後ろをついていくのを見送った。今日の自分は誰かの背中を見てばかりだ。とたんに少し前の映像を連想する。いや、あいつ気づいてない感じだったな――あれだけ押してわからない鈍感さが自分にもあれば、シグルドの足元にも及ばないにしても、何か妙案が思いつくんじゃないのか?
 浮いたままぼんやり果樹園を目指して、もう幾度目かになる喧嘩の内容は忘れてしまったけれど、部屋でくつろぐ想像をする。もちろん一度も招かれたことはない……セネリオの視線の前には常に大柄の紋章士が立っていて、そこに世界の違う自分では断ちようもないほどの絆があることは、わかっているのだが。
「いや、考えても仕方ない。自分で対処しよう」
「もう、やめてください!」果樹園から響く声にはっと顔をあげた。「兄上ともう一度話してきます。きっと聞いてくれるでしょうから……」
「それでいつもの泣き言が始まるわけですね。ディアマンドの手を余計に煩わせてしまうとわかっているでしょう」
 察しのいいセネリオの先手は、スタルークをより意固地にさせていた。間に入ろうとするが振り返ったスタルークの目が、いつもと違って泣いてはおらず、真剣に訴えているため歩みがとまる。
「兄上ひとりをいま王城に返したら、何が起こるかわかりますか?」スタルークは叫んでいた。「戦争の前に暗殺される可能性だって高い。よく思わぬ者たちが機会をうかがっているんです。次に帰るときはもう闘いは避けられない――」
「だからといって、スタルーク。あなたに何ができるんですか」セネリオはいった。「接待は王弟のあなたひとりで切り抜けたとしましょう。今度はその弱々しい姿を狙って、計略を進めてた貴族の群れに放り出されるだけだ」
「っ、ですから……」
 可能性がないわけではありません、と。「武力制圧下で隣国と旅をしているうち、情が移ったのかと――そうやって僕の世界のあなたみたいに、丸め込まれて脅されて。言うことを聞くうちに染まってしまうんですよ」
「……あ、ああ」
「ディアマンドをひとりにできないことは皆わかっています。僕はあなたのペアをはずされてしまうので、明日からは一人で」振り返ったセネリオと目が合う。にらみつけているつもりはなかったが、緊張が伝わったのだろう。目を斜に伏せた。
 ディアマンドに相談してくるよ、と硬い声を出すと、スタルークが顔を上げた。「ルフレさん。それは……」
「王位継承権で揉める日がくれば選択肢はないとおっしゃっていましたから。時間の問題でしょう」
「だとしても、これは兄弟の問題だ。僕らが口を挟める話じゃない」
「わかってないですね。いや、わかってて見ないふりをできるのがあなただ」セネリオの声が低くなった。「いまどちらに抜けられても困ります。後回しには――」
 できない、といいかけた頬をパシン、と。
「――」
「いい加減にしろ。理性的な君にはわからないだろう。そんなに簡単な話じゃない……スタルークはもちろん、ディアマンドだって見たくなかったはずさ。彼らなら、兄弟同士で殺し合いなんてことには……」
「あなたはそう思うんですか」肉体はなくとも衝撃がその頬に朱を走らせていた。「魂の流れが同じであれば、道はたがえど心は繋がっていると。そんな簡単なこともわからないから」巻物を示す指が、ついと空を切った。「そんな危なげなものに平気で手を出してしまうんですよ」
 くる、と思っていたので風が煽る木葉すべてをかろうじて避けた。外套の裾が裏返ったところにセネリオが懐に入る。握りしめた巻物の裾紐をガッと引っ張り、ルフレに持たせたまま詠唱しだした。
「え……」
 読めるの、と聞いた上から大きな影が降りてくる。不気味なほど生暖かい空気に周辺が紅く染まった。
「え。なにこれ」
「いいから黙ってなさい」
 思わず手を離した巻物を両手で奪い去り、セネリオの袖がまくり上がった。途中まで詠んでいたが「……省略!」の一言と共にあの『ルフレが出したわけのわからないもの』がはっきりと『もっとヤバめな感じのする気持ち悪いもの』に変化した。セネリオの風を伴っているせいか形は邪竜に似ている。芸術点での精巧さがルフレを数倍うわまっていた。
「あ……」
「実力に見合わない仕事は紋章士だって他の人間に任せるんです」セネリオが後ろの暗黒無双には構わず、スタルークに向き直った。「兄上が立ち向かえないときにはあなただけが頼りなのだ。逃げどきを見あやまらないでください」
「スタルーク! 大丈夫か――」黒煙に走ってきたアルフレッドとディアマンドが、呆然と空を見上げた。「あれはなんだ? ずいぶん禍々しいが……君たちのどちらかの術か」
 セネリオは巻物をくるくると戻し、紐をぎゅっと引っ張った。「……竜族の伝承恵宝でしょう。使えるものは限られていますが」
「え?」
 セネリオはなにも言わず、腕を組んだまま巻物をルフレに差し出した。「これはカムイにだけ扱えるものです。残念ですが、僕たちの実力で引き出せるものでは……」
「――」
「スタルーク。さきほどは言いすぎました」
「い、いえ……あの……セネリオ。兄上と話したいので、明日まで待ってもらえますか。同じ結論だとしても、その……」
「今夜は部屋にもどりますから。結論が出たら腕輪で呼んでください」
「セネリオ。ルフレ」ディアマンドが頭を下げようとするのを目に止めず、さっと行ってしまう。「すまなかった。明日までには必ず――」


 ルフレは立ち上って夕日に消えた空を見上げて、巻物に目を落とした。しばらく反芻していたが、セネリオのことを追った。



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