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2018/10/07 |
つがいのインコを飼いだした古谷さんーー読みはコタニさんだったーーが、「加藤の奥さんについてなんですけどね。大目にみることにしました」と言ってきたのは秋だった。 「古谷さん、よろしいんですか?」 「管理会社を通して大家さんと相談しましてね。そのかわり部屋で飼ってもらうことにしましたよ。仔猫は貰い手も見つかったけど、親猫は誰かのいたずらで右の顔が潰れてるので」 さらりと恐ろしいことを言う。俺はインコ買ったんですかと無表情の古谷さんに言った。 「買いやしませんよ。お礼にと加藤さんのご親戚から頂いたんです。要らないって断ったんだけど。コザクラインコです」 「あれ、めちゃくちゃ可愛いですよね。俺、昔はオカメインコ飼ってましたよ!」 「あれ、って物じゃないんだから」古谷さんは呆れたように呟いた。「オカメインコって高いでしょう」 「昔も五千円くらいでしたけどね。いま三万円ですって」 「ハリネズミが買えるな……」 「古谷さん。意外と動物、お好きなんですね」 「意外でもないでしょうよ。山田さん、アナタ一言多いんだなあ。仕事行きなさいよ!」 ホウキでシッシと掃かれて、俺は笑った。アパートを見上げると加藤さんの飼い猫が窓際であくびしていた。もう金木犀の香りがしている。俺は過ぎゆく季節のなごりを惜しんだ。 「須田さんが代表者?」俺は公民館の端っこで小さくなっていた須田さんに声をかけた。「別にいいけどさ。俺に内緒で、こっそり帰国子女だったわけないよな」 「バイリンガルに憧れて英会話習ってたことならあるよ」須田さんはため息を吐いた。「英語ってのはさ、日本語脳とは一番離れたところに存在するわけだよ。ああ、俺には無理だなってわかるまでに半世紀かかったんだ」 市の催しで多国の文化を学ぶ交流会を始めることになったのだが、異文化からは一番遠い場所にいそうな駄菓子屋は、ネットの普及もありかなりの人気だった。須田さんが外国人の観光客を相手に苦戦している姿を何度も見た俺は、たすき掛けを直しながら真っ青になっている彼の焦りがよくわかった。 俺は咳払いして言った。 「HEY! ないすとぅみーちゅー!はうわーゆー?」 「あいんふぁいんせんきゅー!」 「……」 「……え、えんどゆー?」 「須田さん。駄目だ。一緒に断ってあげるから」 「一時間早く来てくれれば断ってたよ。君に押しつけたらなんとかなりそうだし。山田さん、なんで携帯電話持ってくれないの!」 「電波が怖いからだよ。ほら、早く断ろう。できませんって謝ろう」 自白を終えて今まさに逮捕されようとしている犯罪者のごとく、須田さんは涙も溢さずさめざめと泣きながら俺に両手を差し出した。 しかしナニ人かナニ語かわからぬドデカイ人々ーー男女関係なく大きく腰の位置が高すぎたーーがホールを支配し始めると、須田さんの腹は据わったのか、やけっぱち根性を発揮したのか、「は、はろー!」と声をかけ始めた。 金髪美人がフワッと笑顔を見せて、「コンチャ。オイラはフィンランドからニッポンに来たんだってばよ! ヨロシクな!」と言ったので、俺たちの心配は杞憂に終わった。 「アキちゃん、聞いてよ。須田さんったらさ……」 「もうその話はいいよ。今日だけで一生分の恥かいたんだよ、俺。黙っててよ」 他国の知らないひとと話すのは、言葉の通じない猫の相手をするより刺激が強かった。アキちゃん家の猫はその数を増やし、自由に生活している。俺や須田さんは国土はドイツほどもあるが、そのほとんどはお山の大将になりやすい小さな空間で、いったい何を揉めてきたのかと大いに反省していた。 「大陸の人はやっぱりグローバルだね。隣国との境が曖昧だから、言語が入り乱れてて五か国語堪能だったりするし」 「同じ宗教の別の宗派で戦争したりするから、他人とは合わないのが普通って考え方だった」 「あー」アキちゃんは笑った。「それ、ちょっとわかるな。私、若いころイギリスの海外支社に居たんですけど」 「え?」俺はいれてもらった紅茶を吹き出しかけた。 「ああ、お母さんに聞いたことあるよ。三年くらいいなかったもんね」 「二年半くらいですね」 俺はかろうじて声を出した。「俺、何も知らなかったよ」 「ーー別に失恋したからじゃないですからね」 「わかってるよ! ……じゃあ、アキちゃんは英語できるんだ」 「少し。アメリカ英語とイギリス英語じゃ全然違う言語ですけど」 「え、そうなの? ああ、今日はスペイン語とイタリア語の区別がつかなかったよ。あとポルトガル語を話すのはブラジル人だった」 「山田さん、よく見てたね。僕はハグされるたびに吐き出しそうな自分の心臓の音で、何も覚えてないや」 猫がにゃあ、と鳴いた。俺たちはその言語で彼女が何を伝えようとしているのか、懸命に探ろうとした。しかしアキちゃんは「あ。オヤツ? まだ駄目よ。時計の針が下まで来たら」と言った。猫はにゃあ、とまた言って、時計の方をちらりと見た。そして隣の部屋に消えてしまった。 「今のでわかるんだ……」須田さんは感心していた。 「わかりませんけど。わからなくても、問題ありませんよ。私とは違う生き物だなってだけで」 「そんなライトでいいんだ」 「君は君。我は我なり。されど仲よき」 アキちゃんは笑った。俺が「されど仲よき」と繰り返すと、須田さんが「我は我なり」、「君は君」とアキちゃんが言った。 金木犀入りの紅茶は少しほろ苦く、その秋の色で空間を染めた。 |