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2018/10/07 

 須田さんが席を外している時間は、学校が授業をしている時間とピッタリ合う。彼が午前中も店を開けているのは、休み明けの月曜日と新学期だけだ。
「溝口くん。夏休みの野球部の合宿どうだった?」
「……」
「ああ。俺、そろそろ店に戻るから。あとでね、須田さん」
 溝口くんというのは昨年から須田さんの常連客になった小学四年生だ。スマートフォンを二歳から操っている新人類だ。口数は少ないが、町内でも有名な流浪の民ーー加藤ミナコ御年八十六歳ーーをGPSを使って家まで送り届けた勇者である。人生の半分以上が迷子の俺と比べて、なんと頼りになることか。
「行かなかったんだーー」
 俺が踵を返すより早く、溝口くんは口を開いた。俺と須田さんは顔を見合わせた。須田さんは店の奥の椅子を引き寄せようとして、棚のお菓子をバラけてしまった。俺が椅子を出している間に、溝口くんは何も言わずお菓子をすべて拾い上げた。
「とりあえず座って」須田さんはコーラ型のラムネを取り上げた。「これ、食べて」
「お金がないから、いりません」
 俺はポケットから小銭を出した。「これ。店の前に落ちてたんだ。猫ババしてやろうと思って」
 須田さんがあとを次いだ。「お金は山田さんが出してくれるって。心配しなくても、お巡りさんにきてもらうから」
「それって結局、須田さんの店のお金じゃん……」溝口くんはヘラッと一瞬笑った。「俺、いらないよ」
「じゃあ、俺が」
「じゃあ、僕が」
 溝口くんがキョトンとしている。俺と須田さんは、自分たちの間でも起こる世代ギャップが大したことではないと思い知らされた。二人同時に溝口くんの右手と左手を握り、上げさせる。「どうぞどうぞ!」
 溝口くんは申し訳なさそうに両手の菓子を見つめ、目頭を拭いながら椅子に座り、モゾモゾとしだした。「すみません。わかりません」
「うん。また今度教えてあげるから」
「おじさんたちのことは気にしなくていいから」

 溝口くんはポツリポツリと話をしだした。チームの皆とうまくいってないこと。家庭の事情で新しい靴が買えないこと。勉強についていけないこと。一つ一つは大きな悩みではないのだが、続けることが苦痛になっていることなど。
「父さんに話したら、『やめるのはいつでもできる』って言うんだ。でも、俺。本当は野球じゃなくて……」
「手芸クラブに入りたい、って以前言ってたよね」須田さんはそっと言った。「お父さんには、話してみた?」
「どうせ聞いちゃくれないよ。父さんは、野球かサッカーを習わせたかったらしいんだ。おじさんたちも、そう?」
 俺は正直にいった。「息子がいたら、そうかもね。俺、花屋だけど」
 須田さんは慎重だった。「僕は子供のころ、岩田専太郎が好きだったんだ。父親が店のものには触らせてくれない人で、本でも日光写真でも、友達の家で借りて遊んだよ」
「岩田……だれ?」俺は須田さんに聞いた。
「挿し絵画家だよ。絵柄がね、中原淳一よりは日本画寄りだけど、少女漫画のハシリみたいな作風なんだ。文芸雑誌の絵と言えば専太郎だったけど、男子が見るものじゃないって怒られて」
「日光……なに?」溝口くんは須田さんに聞いた。
「日に当てると絵や写真が浮き出るカードだよ。坂本龍馬とか土方歳三が僕の宝物でさ」
 俺と溝口くんは顔を見合わせた。「ーーそれで?」
「いや、好きなことに男の子も女の子もないって話をだね」
「ああ、違うよ」溝口くんは照れ笑いした。「手芸でも料理でも、男子だってやるのはわかってる。そこらへんは自由なんだ。学校では、いまは男女平等教育だよ」
「だったらどうして……」
「父さんが反対してるのは、手芸が文化系だからだと思う。就職に不利なんだって」
「ーーし、就職? 溝口くん、まだ四年生だろ?」
 溝口くんは眉をひそめた。「おじさんたちの時代と違うんだよ。おねぇちゃんは中学三年だけど、進路に自由意志なんてないよ。子供が変な風にならないように、摘み取らなきゃって考えなんだ」
「『盆栽教育』ってやつかな」須田さんは呆然としたままの俺の腕を突いた。「一昔前に流行ったんだ。親が危ないと思うことには触れさせない。『温室育ち』とかめっきり聞かなくなったけど、あれもまあ似たような意味で……」
「シ、シマちゃんの世代は雑草時代だって聞いたよ? 不景気で親に余裕がないから、野放しだったって。そのかわり個性の押しつけで平凡な人間はダメ人間扱いだったって」
「山田さん。そこから二十年経ってるんだよ。窓ガラス割りまくる世代がそろそろ出て来てもおかしくないよ。僕が研究と称して新しい遊びを考えたり、山田さんが花育ててるうちに価値観は更に古くなってしまってるんだよ」
「そんなことしたらーーいい芽も摘み取っちゃうだろ。盆栽って、あれ難しいよ? 俺、人に頼まれても絶対預からないもん。休みなしで世話しないと、酷いことになるんだから」
 溝口くんは頭の上で交わされる会話にため息を吐いた。「やりたいことが今やれないからって、駄々を捏ねるほど俺も子供じゃないよ」
「……そこは子供でいいんだよ、バカッ」
「や、山田さん!」
「イタッ。た、叩かないでよ……!」
 須田さんと溝口くんは口を閉ざした。俺は目の前が真っ赤になりながら目尻の涙を隠した。「こど、子供だろ!? まだ子供だろ! やりたいことやりたいって、言うだけ言ってみろよ。俺も親父さんに頭下げてやるからさ!」
「無茶言わないでよ。サボってたことバレるじゃん……」
「やりたくなくってサボってたんなら同じだろうがッ」
「きゃあっ」
「あの、山田さん」
「なんだよ!」俺は須田さんを振り返り、野球帽をかぶった子供たちが所在なさげに集団でたむろしてるのに気づいて、ギャアッと言った。「脅かすなよ……」
 溝口くんは自分の身を守っていたランドセルをおろした。「みんな、なんで」
 暴れる俺を後ろから羽交い締めにしていた須田さんが、静かに言った。「ーー野球と手芸、両立できるように話してみたほうがよさそうだね」
 そういうわけで溝口くんのバッドには、今日も編みぐるみの人形がぶら下がっている。

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