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2018/10/07 

 解体屋の我妻くんはそれから毎日のように店を訪れた。表向きは昨今はやりの植物男子としてだ。 客として訪れる限りは相手をしなくてはならない。ほとほと困り果てたころにアキちゃんにでも話そうかと悩んだが、彼女も須田さんと同じく、俺の女房が出ていった理由など知らない。
 そもそも卸売業者として俺が私生活を忙しくしていたころには、彼女もまた敏腕編集者だったのだ。いきなりの離婚話は耳にしたかもしれないが、『花屋のヤマダさん』は彼女の中では料理屋に来る常連客の一人でしかない。記憶に残らぬお客さんは須田さんではない。俺のほうなのだ。
 『喫茶ハッピー』が選択肢に残ったが、ママさんは不在で、ユキちゃんが取り仕切っていた。この店もアキちゃんのところが出来てから、客層が少し変化した。レトロで本格派の珈琲を出す店の雰囲気に、通の男性客や若い女性客を増やしたのだ。相談などした日には、「山田さん。店舗閉めるなら私が土地ごと買い取るわよ」と言われかねない。ママさんは早くにご主人を亡くし、貯金を貯め込んでいる。
 俺はカヨさんが恋しくなった。カヨさんはアキちゃんの母親というだけではなく、この街全体の母親のようだった。気持ちが滅入った日にも、自信を無くした日にも、怒りで我を忘れかけた日にも、冷静で客観的な意見をくれた。大人になればなるほど、そういった誰にも話せぬ悩みごとは口にしなくなる。いまほどカヨさんを必要とした日はなかった。

 俺は寂れて誰も遊ばなくなった公園のベンチに座り込んだ。休業日の花屋の俺は、拠り所を無くしたただのおじさんだ。形だけ買い込んだハンバーガーを、鳩が狙って降りてきた。しがらみもなく自由なようでいて、鳩も不自由なのだろう。車にはねられた鳩を見かけたことがあるが、奴等は減速した車を避けもせず餌に食らいついていた。俺ひとりが餌をやろうがやるまいが、鳩も雀も増えたきゃ増える。こっそり食わせてやろうか身を屈めたが、また近所の小学生に陰口を広められるに違いない。あるいは動画で盗撮とか。
「すみません。ここら辺に交番ありませんかね?」
 軽やかな声に顔をあげると、白い犬を連れた浮浪者じみたおじさんが、頭をボリボリと掻きながら近づいてきた。最近この手の顔をよく見るな。ドッペルゲンガーっているのかな。
 小柄な小肥りは人の良さそうな表情をしていて、俺の警戒心を解いた。
「大通りに出たところすぐの、中学校の脇ですよ。案内しましょうか」
「ああ。ありがとう、大丈夫です。自分で……コラッ!」
 もふもふとした大型犬は、俺のハンバーガーを狙っていた。おじさんは来たときと同じく足早に帰ろうとしたが、犬は明らかに腹を空かせている。俺は食べるつもりのなかったハンバーガーを犬にやり、しきりに恐縮しながら身を縮めているおじさんに隣の席を促した。おじさんは迷いに迷って、隣に座った。
「この子が生き甲斐みたいなもんでね。この子のために、生きてるような気がしてますよ」
 俺は犬の名前を聞いて、飛び散るノミにも構わずその体を撫でた。おじさんはますます小さくなった。俺は笑った。
「お天気ですね。ほら、鳶も鳴いてる」
「あれ、鳶なんですか」
「よく知りません。食べられる鳥は詳しいんですが」
「カラスは食べられませんよ」
「鳩は美味しいらしいですね」
 危険を察したのか、犬のおこぼれに預かっていた鳩が飛び去った。俺と犬とおじさんは、しばらく世間話をしながら別れた。

 店の前には小磯さんが俺の帰りを待っていた。我妻くんはいなかった。俺はバイトの大学生を帰して、小磯さんを店の裏手の家に招き入れた。
「山田さん。ひょっとして、ここに住んでないの?」
「自宅を引き払ってないのかって意味なら、そのまんまだよ」
「もったいない。で、決心がつかない理由は?」
 根無し草の犬と主人も精一杯生きてる世の中で、帰れる家が二つあるのは幸せではないかと思った。「ーー続けたいからだよ。他に理由なんていらないよ」
「卸売り、何が嫌なの」小磯さんは座敷に座り込んだ。「前は言ってたじゃないの。数字で成果のわかる仕事はやりがいがある、たくさんの花を見られるのも楽しいって。今年は薔薇がおすすめだよ。種類もあれから増えて……」
「なんで急にそんな話を持ってきたんですか」俺は鼻の頭を触った。「待って。俺が優秀だったからだよね。他にいないんだよね。わかる」
「人手が足りないからだよ。バカ。今年はどこも人手不足なの!」
 俺は早いこと須田さんに謝ろうと思った。人間、口にしていいことと悪いことがある。本当の馬鹿にバカと言ってはいけない。
「我妻くん、すごいね。あれは説得じゃないよ。洗脳だよ。話を聞いているうちに、完全に手中に握られちゃってさ。適当に切り上げなかったら、心動き始めてたもん」
「解体屋ってのはそういう仕事なんだよ。洗脳しなおすんだよ。ベランダで植物栽培する『ベランダー』ってのも彼のボスが名づけたんだ。仏像男子の伊東さんって物書きなんだけどーー」
「俺はこの仕事、続けるよ」顔をあげた小磯さんに、俺は微笑んだ。「理由はいろいろあるけど、卸売業で花にランクつけて選別して、漏れた花のほうがこの街じゃ売れ行きがよかったりするんだよね。あそこで頂点に立つのは完璧な花だけだけど、花の命は本当に短いんだ。枯れる姿が美しい。俺が今ここにいるのは、選択の結果だよ」
「枯れる姿が、美しい……」
「チューリップはさ、満開になる前に頭を落とさないと間引きできないだろ。球根の形が崩れる。ほら、これは業者から大量に買いつけた球根だよ。どれもこれも綺麗な形をしてるけどーー小売り業で一番売れ行きがいいのは、こっちだね。芽の向きが斜めだろ。花の色もわからない。不完全だから五個で一個の値段だよ」
「売れるのは安いからじゃないのか」
 小磯さんが恐る恐るといった感じに、俺の表情を読もうとした。この人も数十年来のつき合いだ。踏み込んでいい場所の区別はついている。
「この店は、あんたが大事にしている二丁目の松の木と同じだよ」
 俺は花には愛情があった。情の無くなっていた夫婦間のことより、仕事という手間のかかる芝生について荒らされるほうが何倍もつらい。
「ーー見た目が少し歪んだくらいじゃ、何も変わらないんだ。俺には大切なんだよ」

 小磯さんを完全に振った話を報告すると、須田さんは「そう」と言ったきり嬉しそうだった。我妻くんはそれからも店に来た。植物男子は伊達ではなかったらしい。また変な知人ができてしまったので、俺の店もまだなんとかやっていけそうだ。

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