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2018/10/07 

 嵐の前の静けさとはいうが、嵐の後でも不気味に静かなことがある。俺には遠くの田舎に隠居して花の卸売りに精を出している両親と、盆と暮れに電話をし合う兄夫婦しかいないのだが。他に嵐と呼べるものといったら、須田さんの家族だろうか。

 須田さんは三十年ほど前に今の店を始めたが、その頃でも駄菓子というのは大概廃れていた。実家のやっている駄菓子屋は小学校のすぐ脇にあった。なぜ別に店を出したのか、詳しく聞いたことはない。親への対抗心もあったのだろうが、寂れゆく商店街から更に離れたこの場所に、愛着があることは感じていた。
 須田さんの親父さんには二度ほど会ったことがある。一度目は子供時代にランドセルを背負ったまま店に入り、半年間の出禁になった。気の優しい俺は二度と店を訪ねることはなかったのだが、中学も卒業しようかというころになって、薄暗く狭い店の奥に須田さんを見つけた。
「あの……」
 声をかけようにも、向こうは俺のことなど覚えていないだろう。子供の記憶力は凄まじい。特に善くしてくれた相手と、悪くされた相手は確実に覚えている。俺は須田さんがこちらを振り返る前に、踵を返した。
「ランドセル8214号!」駄菓子屋のじいさんが叫んだ。「そのつむじ曲がりには覚えがある。出禁解禁まで我慢したのは両手指に満たないが、そのまま卒業まで二度と来ないほど度胸がなかったのは、お前さんと403号ーーうちの息子だけだ」
「こんなこうるさい商売人のところじゃ、子供どころか誰も寄りつかないだろうよ……」
 俺は須田さんの声にチラッと振り返った。今でも変わらず須田さん親子の特技というのは、成長した子供の姿を覚えていることである。重要な顔なら、どんなアダ名をつけても思い出すというのが須田さんの常識だ。須田さんは俺が俺だと知らなかったし、俺も須田さんが須田さんだとは知らなかったが。
「ああ。君、前にーー」
 どこかで。というほど遠い記憶でもなかったせいで、俺は他愛のない悪事と不始末で、須田さんの親父さんにはワルガキのレッテルを貼られてしまった。

 旅行先でも帰ってからも、話し合いは続いた。須田さんの養子に入るか同性婚を待つか、同居するか否かで話し合ったあげく、須田さんの出した結論は至って単純なものだった。
「紙切れの話は置いといて、とりあえず現実的な選択をしようよ。両親が生きているでしょう」
「聞いたら死ぬと思うよ。うちのは爆笑したあとに人知れず泣くだろうけど……」
「山田さんのところは無理しなくていいよ。うちの親父は丈夫だし、もうすぐ大台だから。引導渡すつもりで話すのもありかなって。どうかな」
 俺はポカンとしてしまったが、須田さんは別段、不思議そうでもない。思うに須田さんのほうが突発的なトラブルや想定外のことには、案外強いのではないか。俺は自分の調子を狂わされると、対応しきれずすべての歯車が止まることがある。
 今ではすっかり更地になってしまった小さな駄菓子屋を思い出した。当時からじいさんにしか見えなかったあの人が、今の須田さんくらいだったことを鑑みて、その顔と比べた。
「……なんだよう」
「いや。あんまり似てないなって」
「親父と? ああ。あんまりね」
 予行演習にもなりはしない。俺は悩んだ。「あのさ、須田さんのところに俺が行くんだったらさ。俺が『息子さん、お嫁さんにください』って行くのかよ。変じゃない? だいたいお嫁さんなら、靴下くらい自分で畳める人がいいし」
「靴下はさすがに畳めるよ……伸びるから畳むなって、君に叱られたから畳まなくなっただけだよ」
「そ、そう? じゃあさ、俺が不治の病で伏せったら、『アナタ、お粥ができたわよ』『いつもすまないねぇ。ゴホゴホ』『身売りして稼いだ朝鮮人参よ。元気だして』とか」
「しないよ。するわけないでしょ。だいたい、それ母娘だよね。朝鮮人参も今やドラッグストアで売ってるからね!」
 軽口のうちに計画も頓挫してくれるとよかったのだが、須田さんのほうではそうもいかなかった。呆れたことに唇を露骨に尖らせ、胡座をかいたまま後ろを向いてそのまま動かない。
「ああ。須田さん?」
「こっちも真剣なんだよ。それが山田さんの心に伝わるならさ、どっちがどうとか、つまらない判断材料は今さら要らないよ。俺は山田さんの両親のところに話をしに行くより、親父のところに行くほうが勇気がいるよ。親父は口が堅いしさ」
「ーーうん」
 考えておいてよ、と言った背中がいつになく小さかったので、俺はおそるおそる、その顔をのぞきこんだ。須田さんは鼻だけ真っ赤にしながら背中を丸めていた。俺はどうしていいかわからず、膝頭を付き合わせて肩口に頭を埋めた。

 それだけ時間をかけて慎重に運んだことも、介護つきサービスのマンション悠々自適、第二の人生に励んでいる須田さんの親父さんには大した問題ではなかったらしい。「お互い痛いことがなかったらそれでいいわ」とケラケラと笑われて「いや痛いし面倒なんです」といいかけた俺を引っ張り、須田さんは「よし、言質は取った。帰ろう」といった。「さよなら、8214号」と背中にかけられた声に、俺は驚いたが須田さんは平然としていた。

「親父にとって、山田さんは重要だったんだよ。それだけだよ」

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