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2018/10/01 

この人は三年前、私がジイジと祖父宅でやりあったとき(基本的に仲はよいのだが彼も体を壊しており、私は私で甘えもあり遠慮がないせいでぶつかった)、早朝足元に立っておられたのである。海軍だったが制服は脱いでさっぱりしていた。面白いことに年もちゃんと取っていた。私は幽霊の類いをまともに見ることはそんなにないし、見たところで気のせいで普段は済ましている。特徴を話すと「たぶん兄貴とは思う」と言うので、そういうことにした。私は霊媒師ではないので反応は普通にギャア!である。物は大事にしたほうがいいのはもちろんだが、溜め込みすぎないほうがいい。祖母は溜め込み癖があったので、この家に来たときのオバケ騒動は他の家の段ではなかった。三年かけて大事な物以外はサクッと捨てたらピタリとやんだ。

祖父の唯一の兄貴は眉目秀麗、才色兼備であったそうだ。これは難波家といって私の家系のひとつに芸者・芸事をする先祖がいたのだが、これが家族写真を見るとファッ?!となるほど美男美女揃い。この家系と鳥取の農家である祖父の父親の家系が混じったのの祖先が母や私であるが、鏡を見ると橋の下から拾われてきたのじゃ……と言いたくなりもする。まあ私は結構自分の見てくれを気に入っているが。今年は成長期でいけない。肉蒲団と打ちまくった祟りであろうか(あ?)

「兄貴がそんな見かけであるせいか、隣村まで噂がとどいてな。田舎の大地主のお嬢さんが兄貴に惚れてしもたのや。俺の親友のおねぇさん。母親もそうやって親父に嫁いで、親父は親父で四人兄弟の末の唯一男。無理して學校まで出した農家の跡継ぎが日露戦争にとられたとトラ婆さんが泣いてな。親父はちゃっかりしてましたので、村一番の美人のキセさん(祖父の母)の兄貴に『戦争から帰ったら俺にくれ』と言ったもんで、叔父貴になる人も情に打たれて『あいわかった』と。母親はなんでよう、と思ってたけどうまくいった。まあ兄貴もそうなれば良かったけど、家の格が違いすぎるのや。うち農家。向こう地主。戦争から帰ってもうまくいくわけはないので、士官學校に行かせてくれと。お嬢さんは兄貴が死んでからも随分泣いていたらしいが、京都の何処かへ嫁いだと聞いた。本当によかった。俺の親友のほうは二十代で死んだ。人生先のことまでわからんもんや。兄貴だけは赤紙は避けられん年齢やったので、親父に殴られてもどう転んでも行くと聞かない。駆逐艦や。まず帰られへんやろ。六つ下の俺が満州に行って、もう下の男種はふたり。下の弟もすぐ志願したから、田舎の畑やら親やらが心配になったんやろな。上官に無理を言って満州を通りすぎる際に俺に逢いに来た。『正夫。戦争が終わったら帰れ』ゆうて、家族の話をして、ああ、これが兄貴との最後や。今生の別れやと幼いながらにーーまあ、まだ子供や。倒すほうも倒されるほうもーーわかったのだけど、なすすべがない。俺にもわからぬ。ものの話に聞いていた何とも違う世界に居たからや。『頑張れ!頑張れ!』といっては微かな温かさの残る手を握るのだども、そこにはもう敵も味方もあるものか。人間しかおりませんのや。兄貴が死んだとわかったのは日本に帰ってきてからや。トラ婆さんは俺をみやるや腰を抜かした。俺は白が黒に、黒が白になった社会や大人や子供や年寄りにまで腹も立てたかったが、俺は人生を捨てきるにはまだ若かった。しばらく放心して田舎のことは下の弟に任せて大阪で職を得て。政治や思想やありとあらゆる誘惑にときどき惑わされながらも働き夜間大学を出て。図書館でナンパした女性を嫁にして夫にしてもらいまして。娘がひとりと孫ひとり。トラ婆さんやキセさんの年まで生きてきて、本当に人生は翔ぶように過ぎ去る。これから後がいくらか数える日もあろうが、美味しいもの食べて。笑って過ごして。それの何がいけなかろうか。この一瞬が平和でよかった、今日も目覚めた明日はわからぬ。それでええなあ、と思いますんやで」

私は家族で食事をしたことがこの年までほとんどなかった。母親が料理嫌いなのもあるだろう。今になって三人揃うのは、世間的には不揃いな組合わせかもしれないが有りがたいことである。生きてる間に合図なりなんなり決めておくのもいいかもしれないと思う。私と祖母の晩年はほぼ毎日顔を合わせていたが、諸々の事情で会話する機会は二回ほどしかなかった。その二回は正気だったので「死ぬ直前になったら合図して」と話していたのである。実際その日が来るまではわからなかったが、完全に植物状態の六年間の長いこと。その間の暇に任せて二次小説を書いてようやく十年目に突入した。

誰かの何かの応えになるだろうか。まあ書いてるほうは気楽なものである。覗きに来てくれて、ありがとねー。

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