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2018/09/30 

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『ゼノブレイド』は王道の物語である。神の体に住み着いている人間と機械との闘いをシンプルに描いている。友達の家でやらせてもらったとき、私は結構忘れやすいので「あらすじだけ教えてくれない?」と言って、行きたい場所だけ探索した。操作がかなりややこしいので、しばらくは探索とお宝とりだけするのがいいかも。だいたいの設定を聞いただけで「ひょっとしてこういうこと?」とオチの見当をつけてしまったのでいけない。SFは5つくらいのパターンで確実に落ちるところがあり、ゲームはこの王道から外れないほうがやはり面白い。物語に没頭してる間は深く考えてはいけない。

私はすべての予言なるものは短期的には意味がないのではと感じている。ドッペルゲンガーの話をしたが、未来の肝心なところはほとんど雑音で聞き取れなかった(ご都合主義だわね!)聞き取れたところで避けようがないこともあったろうし。ゼノブレイドの主人公は未来をチョコチョコ見ていくのだが、こんなにハッキリ先が見えると悩ましいよな……とぼんやり思った。そして、これはほとんどの人が経験している生理現象である。ただ有りがたいことに、人間は忘れる生き物だ。そして「未来は確定していないので、変えていけるよ!」みたいなメッセージなのだけど、それはそれとして、このゲームのフィールド(ゲーム内の風景)ザトールとエルト海、アグニラータ?だけちょっとおかしいのである。私は見える系ではないので確かなことは言えないのだが、このゲームの一番の推しである画面の綺麗さや音楽の素晴らしさ、物語の内容はさておき、ちょっと見る機会があれば触っていただきたい。ヴァラク雪山が一番落ち着くけどね。雪国はすきだ。住んだことがないから言えるのだろう。

これ、彼岸(あの世)じゃない? という場面は、ありとあらゆる映画の端々や物語の世界に散りばめられている。たとえばシーフォートやホームズには「神様」は出てこない。コナン・ドイルもデイヴィッド・ファインタックもおそらく魂の世界に没頭した人間であったと思うのだが、いざ描くとなると驚くほどに現実的である。奇跡は自分で起こすしかない。魔法で何かが光ったり、伝説の宝剣で倒したりはしない。ホームズは読者が生き返らせたけどね。読者が喪章をつけて練り歩き、脅迫状が何年も届いたため生き返らせるしかなかったのである。『白い巨搭』の財前五郎は読者が倒した。『財前ひどい目に合わないエンド』にイラついた読者から、再三の苦情と続編を望まれた山崎豊子先生は「財前だけ何をやっても殺せない」と悩んだらしい。中国だったか韓国だったかの社長さんか誰かが「あなたになら殺せます」と言ってくれたので殺せた……と解説かどこかで読んだ。

財前五郎は個人ではない。組織である。殺せなくて当然だ。病気以外の方法で殺していたら、社会的に何事か起きたのではないかと勘繰ってしまう。アウトレイジも見た目はああいう映画であるが、西野一雄は組織そのものであった。私は学がないので説明できる言葉をもってないが、フィクションであっても組織や国を殺すのは簡単ではない。山王会は花菱に食われ、花菱は他の何かにくわれ、シーフォートは巨大金魚に食われもするだろうが(実際食われる笑)容易には殺せないのが普通である。別の組織や人間に殺してもらっても、それは当て馬にしかならないからだ。小さな魚を食らう大きな魚とて、いつかは必ず死ぬのである。

パニック映画やファンタジー、SFの世界を惹き付けてきた魅力はそこが重要で、現実的ではないというのは現代人すべての感性が衰えてきてる証拠である。この世のはじまりはある意味バーチャルな世界だったが、体の痛みや心の苦しみがあるためリアリティを保っている。年を取ればとるほど、この感じかたの順序が逆になってくるのだ。これはもう仕方ない。10代と40代と80代では現実に対しての経験値と肉体のしんどさが違いすぎて、感じるものに大きな開きがある。私はフライパンで人の頭を何年も殴る鬼のような女が罪も問われずこの世界に生きていることを知っているが、ただ、それをそのまま書いたところで私の屈託はとれない。『氷の轍』に書かれていた屈託の正体は、「すべての濁りが表現によってしか消化できないこと」を教えてくれるのである。内容にケチをつけだしては永遠に平行線だろう。濁りの水を清い水に変えるため生まれてきたらしいのに、それでは濁りはおさまらない。人にはそれぞれの葛藤があり、隣の人間に変わってもらうことはできないからである。あの世じゃおそらくできるけどね。……できますよね? できるってことにしとこう。同じ水から生まれてるのだし。そう考えるとよくできてるなゼノブレイド。これ別に宗教チックな内容はないんだけどなあ。台詞が気恥ずかしいのですっ飛ばせ。

ジャンルを問うては本質を見失う。国内ではこの圧力がいかんともしがたい。世界中そうだ。そうはいっても私もご覧のように気難しいことを年中無休で考えてきたため(表に出すのはいつだって一部だよ)「いや、これは絶対にイカンでしょ!」という日はいう。そのたびに「いや、待てよ。私には必要ないかもしれないが、隣の人には必要なんやで……」と言い聞かせるのである。私だって明日には必要になるかもしれないし。風が吹いたら桶屋が儲かる。わらしべ長者。バタフライ・エフェクトだけ意味捉えきれてないんだけど、気分に合わせて使っちゃえ。言葉は生き物だから使っていくうちに変わっていくのが自然なんだし(1足す1は2でなくてもよい、くらいの気持ちがない人は文学からは離れたほうがよい) ……まあそういうことである。どういうことだよ。知らんがな。わかりましたか。自分が一番わからんのやけど。そしてこれが活字の氾濫してる現代では大切なんだけど、

傷口を広げるような言葉は読んだら、それが私の言葉だろうとすぐにわすれてね。なるべく。誰かのやさしい眼差しや声や指の温もりにはかなわないから。ひとりであってもだよ。ふたりならなおさらよ。

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