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2017/12/09 

 駄菓子屋に顔を出したのは夕方だった。学校帰りの小学生が引き当てた大きめのスーパーボールで遊ぼうとするのを、須田さんは「車がくるから。家でやんなさいね」と野球帽をキュッと被らせなおして帰した。俺は店の中を覗いた。
「須田さん。ご飯まだ?」
「約束はしない約束でしょ。ちょっと待ってよ。店閉めるから」
 そんな約束をした覚えはない。出してきたシャッターの支えを当然のように俺に渡す。俺はぐちぐち言いながらそれを上下の溝に差し込んだ。
「大事な話があるんだけど……」
「あれでしょ。時計買ってほしいんでしょう。僕だって買ってほしいよ」
 須田さんはそういいながら、店の奥に入って何かごそごそとやっていた。俺は棒でシャッターを半分だけき下ろし、須田さんを待った。
「時計はもういいよ。そんなんじゃないって」
 須田さんは俺の顔をみた。なんだよ、と言うと、ああそう、と目を逸らす。上着を着込みながら、財布と何か箱のようなものをポケットに押し込んだ。キャラメルだろうか。下ろしたシャッターに鍵をかけると、須田さんは俺に肩を寄せて歩きながら話し始めた。 
「それより聞いて。気に入りの靴をさ、裏打ちしてもらいたくて持ってったら、いつものご主人じゃなくてね」
「ああ……駅前の幸山さん? 若いけどしっかりしてるよね。二足持ってったら、何にも言わずにサービスしてくれてたよ。レシート見るまで気づかなかった」
「あそこはいつもそうだよ。でさ、雇われのおじさんに変わってて。まあ、おじさんって言ったって、僕よりずっと年下だけど」
「うん」
「『これ合皮ですよ。裏打ち三千円。打ったところで底がもたないよ。新しいの買ったら?』って調子なの」
 須田さんの靴は何の変鉄もない茶色と黒の革靴とスニーカーが大半だった。正直、俺にはそのこだわりがわからない。しかし須田さんは明らかに立腹している。ここは調子を合わせたほうがいいかもしれない。
「消費世代だね。年、僕くらいでしょ。嫌な言い方だけど、物に対するこだわりを数字でしか決められないんだよ」
「『いや。これ五年履いてて、もう修理代は原価よりずっと高いし、僕が履くことで三万くらいの靴になってるんですよ』って反論したかったんだ」
「代わりに文句つけてきてやろうか」
 須田さんは首を横に振った。
「そこで幸山さんが帰ってきてさ、『ああ、須田さん。いつものですね。任せてください』ってニコッと笑って。『あと五年はもたせますからね』と言ったときの雇われの顔、見せてやりたかったなあ。山田さんにも」
「ふふふ。で、元はいくらの靴なの?」
「三千円」
 さぞや情けない顔で突っ立っていたのだろう。須田さんは「三千円だよ」と繰り返し、だめ押しをした。
「新しいの買えよ!むしろ俺が買ってあげるよ!」
 須田さんは笑った。「消費世代だね。合理主義だね」

 カヨさんのところで飲めなくなって以降、飲み仲間は徐々に減ってしまった。晩飯は須田さんも一人なので、昼どきに会わない日は暗黙の了解で外食だった。帰り道も方角は同じだが、須田さんは自分の店の裏手に、俺は自分の店より少し離れた場所にアパートを借りて住んでいる。逃げた女房と暮らしていたところだ。花屋の実家のほうは稀に兄貴夫婦と甥や姪が来るので、引き払うきっかけを失ってしまった。
「時計さ、俺が買ってあげたらね。須田さん捨てられなくなる?」
 帰る道すがら、缶コーヒーをひとつずつ買いながら聞いた。割高のカイロは飲むためというより、体を冷やさない工夫だ。須田さんは少し考えて言った。「止まったまま何年も置いとくよ。引き出しの中に」
「時計の電池って、相変わらず二年しかもたないんだよなあ。なんでかなあ」
「傘と時計は、これ以上進歩しちゃいけないよ」
「なんで?  あ、雪だよ。参ったなあ、タクシーひろおっか。それともアキちゃんとこにする?」
 突然行っても追い返されることをわかっていながら、俺は軽口をきいた。須田さんは雪を仰ぎながら応えた。
「傘はさ、雨から身を守ってくれるためだけじゃない。人と顔を合わせるのがツラいときにも、役に立つ」
「……時計は?」
「時計はさ、時間を刻むためだけじゃない。巡りめぐって、また明日があるなって確認するために、そこにいるんだよ」
 俺は須田さんらしいな、と思った。明日が怖いときに電池を抜いてでも止めたくなるのはそのせいか、とも思う。
「ロマンチストだねぇ」
「だからさ。はい」
 須田さんはキャラメルの箱を出した。行きしなのアレだな。帰りに食べるつもりだったのか、と手を出す。箱から出たのは菓子ではなかった。「……なにこれ。え?」
「誕生日の花。すごく時間かけて用意してくれたらしいし、そのお礼」
 俺はなんと言っていいかわからず、二つ折になっていた時計を広げた。キャメル色の革のベルトに、白の文字盤のシンプルな時計だった。須田さんは俺に頭を下げた。
「高いのじゃなくて、すみません」
「値段じゃないよ。気持ちだよ!」
 かすれた俺の声を耳ざとく聞きつけ、須田さんは笑った。「もしかして泣いてる?」
「泣いてねぇよ。バカじゃねぇの!」
 須田さんはくすくすと笑いをこらえ、付け替えるのを手伝ってくれた。明日が来るのが急に楽しみになって、俺はこっそり鼻を啜った。






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