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2017/12/08 

 須田さんおすすめの韓流映画を観た後に飲み食いしていると、いつの間にか日付が変わっていた。切り替えたテレビはナレーションもない映像をひたすら流している。
「塩田、っていいよね」
 南米ペルーの世界遺産の映像を眺めながら、須田さんは唐突に言った。俺はあきれた。「なに言い出すの急に」
「急かな。NHKって深夜の映像散歩だけでいいよね」
「韓流見終わってそれかよ。塩田飽きたよ。俺、これ一年間毎日見てるよ?」
 一年どころか五年は同じ内容だ。マラスの塩田は標高3300メートルにあり、国内の塩田とは異なる。魅了される部分もわかるけど、繰り返しの映像に俺は別の感情を混ぜた。出ていった妻についての愚痴を言う相手もおらず、俺は数年前から軽い不眠症にかかっていた。そのため深夜放送にはやたらと詳しいのだ。
 須田さんやアキちゃんは大事な友達で、プライベートを話すには距離が近すぎた。生前のカヨさんだけには一度呑みすぎて話したことがあるが、娘のアキちゃんと違って気っ風のいいあの人も、そのときだけは黙って聞いてくれた。雑多な店の隅にあるウクレレを俺にくれたのは彼女だ。むこう三軒両隣、年寄りばかりをいいことに楽器の練習に励んでいると、夜も眠れるようになっていた。
 そのことを須田さんは知らない。
「いつもは山ばかりだよ」須田さんはいった。「山もいいけどさ、午前三時に山とか見てると。あれ白菜とか、宇治抹茶のかき氷に見えてこない?」
 俺と違って真面目な須田さんでも、深夜を過ぎてからテレビをつけることがあるのだ。俺はささやかな共通点に喜びを見いだし、ほくそ笑んだ。
 しかし須田さんはしばらくすると、携帯電話を操作し始めた。二つ折り携帯は画面が小さくて見づらいが、須田さんと世界を繋ぐ唯一の道具だ。パソコンが導入される前に、勤めをやめて駄菓子屋を継ぐことになったから、須田さんはインターネットの扱いを携帯電話で覚えた。俺はというと、デジタル関連のことにはまったく疎い。
「見えてきてもね、ネットとかで呟かないでよ。最近さ、携帯ばっか覗いてるでしょ。俺ここにいる必要あるのかな」
 須田さんはマラスの塩田について調べながら、手近なノートを片手に走り書きを始めながら答えた。「ごめん。活字が好きなんだよ。本の代わりだよ」
「そっちはいいよ。俺がここにいる必要があるのかだけを聞きたいんだよ」
 須田さんは顔を上げずにこちらを見た。かけ変えた老眼鏡の上側から俺の表情を伺ってくる。
「あるよ。年寄りが増えてさ、若いのが引きこもってさ。早朝や夜中にひとりで歩くでしょう」
「誰が?」
「僕がだよ」須田さんは苦笑した。「戸建ての家とか、マンションの明かり見てはさ、『みんな朝早いな』『遅くまで起きてんな』とか思って」
「ひとりで歩いてんの?さみしいやつ!」
「……」
「ごめんなさい。続けてください」
 須田さんは俺を責めるでもなく笑い声を押し殺して、眼鏡をはずした。俺は眠い目を擦りながらグラスを煽った。
「全部かどうかわからないけど、そこにいるんだよね。誰かが。そこで息して、何を待っているか知れないけれど、誰かがいるから、彼らはそこに存在してるんだ」
 まだ薄暗い朝靄のなか、あるいは寝静まってひっそりとした街中を、訥々と歩いている気分になる。俺はさらに酒を呑んだ。
「誰もいないかもよ。ひとりで生きているのかも」
 たとえば、以前の俺みたいに。
「それって、孤独かな」
「ーー」
「必要かどうかは問題じゃない。山田さんもそこにいてくれるだけで、俺にとってはありがたいよ」
 須田さんの視線を受け止めるには、まだ足りないものがあった。俺は苦しくなる胸のうちを吐き出せず、須田さんがどんな顔をしてそれを言ったのか確かめる勇気を持たず、笑ってごまかした。
「遠回しだなあ。必要だよって言ってくれればいいんだよ。そこまで言うなら、俺も携帯電話買うよ!」
 須田さんは少し間を開けて言った。
「毒キノコのストラップ、お揃いでつける?」
「つけねぇよ。スマホ買うよ、スマホ」
「ふふ」
 小さな笑い声に引かれてようやく顔を盗み見たが、須田さんの関心は塩を運び続ける南米人に移っていた。俺は見逃した一瞬を探そうと、その横顔をずっと見ていた。その一瞬は、訪れなかった。

「山田さん。これ、アキちゃんから」
 翌日。徹夜明けの仕事中にレジの前で船を漕いでいると、須田さんが手土産持参で立っていた。
「なんだろ!」俺の期待は杞憂に終わった。「……あれ。これ駄菓子じゃん。須田さんとこの」
「当たりくじ大事にしててさ、お菓子の缶に入れてたらしいんだけど。まるごと持ってきて『えっ。こんなに?』って焦ったら、『だいたいでいいし分割でいいから、近所の子供と山田さんに持ってって』だって」
「ええーほんとに? 嬉しいけど、駄菓子かあ。しかも須田さんの」
 須田さんはムッした。「俺のとこのじゃいけないの」
「いつももらってるからなあ。賞味期限きたやつ」
「たまには買ってけよ。あと、これ」
 ごそごそとやった袋の中から、カラフルな箱を取り出す。レンタルショップの切り替えでDVDだけは早めに導入していたため、それが何なのかはさすがにすぐわかった。
「あっ、『チャングムの誓い』だ!懐かしい。俺、これは見てたよ!」
「みんな見てるって、言ったでしょ」
「友達いないくせに」
 俺は意地悪くいった。本当は須田さんも俺もそれほど人嫌いというわけではない。お互い承知の上でのからかいである。
 しかし須田さんは予想に反して、にやりとした。
「そうだね。山田さんは友達じゃないね。アキちゃんは友達だよ。もともと彼女が貸してくれたんだし」
「ええ?」
 二人がそんなに仲がいいとは知らなかった。そういえば以前、アキちゃんが須田さんと飲みにいった話を小耳に挟んだ。ハッピーのママさんは悪い人ではないのだが、この一帯の情報をほとんど知っている。そして聞きたくない話まで、こちらの事情に構わず言いたいことを言ってくる。
 俺はざわつく心に蓋をすることに決めた。しかし須田さんはその言葉をサラリと口にした。
「山田さん。アキちゃんは、僕のこと好きなのかな」
 嫌われていないか、確認をするようなトーンだった。須田さんにとってアキちゃんは娘に近い。その声に恋愛の色はないとわかっていながら、俺は小さく答えた。
「……好きだよ」
 カヨさんという繋がりがなければ、存在さえ認知されていないと思っていたのだろう。誰かに好意を持たれているという事実に、須田さんは照れくさそうに微笑んだ。 
「おかしいな。昔はね、山田さんのほう好きだったはずなんだ。彼女が高校生くらいのころかな、相談受けた」
 ああ。須田さんは知っていたのか。俺は無感情になって、昨夜とらえ損ねた須田さんの表情を追った。あのときつかみ損ねた須田さんの幸せな一瞬は、今日は他の誰かに向けられていた。
「好きだって」
 俺は繰り返した。
「うん……やっぱり知ってたのか。憧れの延長じゃないかって、見当違いな答え方をしてしまってね。彼女、昔から大人びたとこあったし」
 俺は彼を現実に引き戻したくなった。須田さんの見ていた過去のアキちゃんに、奪われる何かを恐れた。
「須田さん。好きだよ!」
 店の前を横切った自動車の音にかき消され、その言葉は届かなかった。須田さんは「山田さんもアキちゃんもあのころ若かったしさ」と続けた。
「知らないふりで通すほうが、お互いに傷つかないでいられるかなって……ん。山田さん。どうかしたの?」
 須田さんの意識は目の前にいる俺に戻ってきたが、望んだものは前より遠ざかった。
「そういう人だよな。あんたってさ」
 須田さんはようやく自分の言ったことの意味に気がつき、不機嫌な俺をなだめようとした。「ごめん。相談するとこ間違えたな。アキちゃんは山田さんのこと、ちゃんと好きだよ?」
「知ってるよバカ! 向こう行けよ! あっ、韓流と駄菓子は置いてけよ!」
 俺は言い足りない文句にさらにバカッとつけ加えた。困ったように店の前をうろうろする須田さんの手から袋を奪い取り、俺は足元の砂を須田さんにかけて、気分屋の猫そのもののように元の陣地に戻った。






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