site data |
2017/12/06 |
寂れた商店街の昼休憩はどこも長めである。裏打ちに出していた冬布団の引き取りに布団屋に行ったら、店主は留守で、レジの前には小さな女の子が座っていた。 「マユリちゃん。パパは?」 「お肉屋さんです。町内会の催しの相談に行ってるの」 「こんな時間に一人かい。さびしいね」 「山田さんほどじゃないです。山田さん、このあいだ店の前でひとりでダンス踊ってたんでしょ。サユリちゃんが広めて、学校で噂になってるの」 俺は笑ってごまかした。マユリちゃんの小学校は俺の母校で、始業式や卒業式の花などはすべてうちの店が請け負っている。「いつも一人なわけじゃないよ」 「駄菓子屋のおじさんですか? マユリはサユリと仲いいけど、名前が似てるってだけで、そんなに一緒にはいない」 マユリちゃんはわかりやすくソッポを向いた。俺は、ははあんと合点がいった。「ケンカ中?」 「ちがう。サユリちゃんはコウくんと遊びたいってだけ」 「マユリちゃんは店番があるもんね。おじさん、いつ用事言うかわかりゃしないし。別の日じゃいけないのかな」 「お稽古があります」 俺は自分の子供時代を思い出して、マユリちゃんがかわいそうになった。『花屋の息子』というのは学校という小さな組織の中ではかなり肩身が狭い。最下層といってもいい。仏壇屋の息子はエリートだ。一階の仏壇展示場の上には、檀家さんを招く大きなホールがあった。和菓子とお茶が必ず出された。俺は時代の流れでもう今はなくなってしまった仏壇屋を思い浮かべた。 「でもさ、マユリちゃん偉いよ。俺は君くらいの年のころ、花なんて見向きもしなかったな。店番は兄貴に任せっきりで、兄貴は花なんて見るのも嫌になっちゃって、遠くに行っちゃったし」 マユリちゃんは足元をぶらぶらさせるのをやめた。「お花屋さん。いいな」 「ああ、女の子はそうかもね。そうだ」俺はいいことを思いついてはしゃいだ。「マユリちゃんが大きくなったらさ、うちにバイトで入ってよ」 「山田さんとこの?」 「そうだよ。高校生になったらうちで働いてさ。店手伝ってくれたら、バイト代も出すし。その頃は俺も年いってるじゃん。マユリちゃんが花屋継いでくれたら、俺、安心して引退できるんだけどなあ」 マユリちゃんは足のぶらぶらを再会して、ふいっとまた横を向いた。「考えとく」 アキちゃんの店で机の上にはロウソクひとつ、俺を囲みながら、須田さんとアキちゃんは呆れたように顔を見合わせた。「それが、『布団屋のマユリちゃん、花屋の山田さんの後妻になる騒動』の発端?」 「ーーはい」 「はあ。山田さん、布団屋の後藤さんカンカンだよ。あのひと血の気が多いんだからさ。なんてことしたの。最近は児童保護の問題があるから、女の子との接触はシマちゃんでさえ気をつけてるって言ってたよ」 「えっ。シマちゃんはいいでしょ。女性だし」 「月極の駐車場で塾帰りの女の子が、親の出迎えを待ってたんだって。危ないから、缶ジュース買ってあげて話をしてたらしいんだ」 そのあとはアキちゃんが次いだ。「巡回中のお巡りさんに職質受けたんだって」 「時代だねぇ……って、シマちゃん大丈夫だったの?」 「親御さんがすぐに来たから問題にはならなかったそうだよ」 俺はシマちゃんの好意が逆に取られた世間という名の暴力を思い、指で机を叩いた。「それ。警察がおかしいよ。何が市民の安全を守るだよ。手当たり次第に悪人扱いして、本当の極悪人のほう逃がしてんじゃないの。なんでもかんでも保護保護っていって、子供の孤独感も増してんじゃんかよ。そのうち道で挨拶もできなくなるよ!」 「とうにできない時代になってるよ。でも、いまは君の話をしてるんだけど」須田さんの目はいつになく冷たかった。「笑い話で済まないのはね、あんた、そういうこと昔から多いんだよ。あっちこっちに愛想振り撒いて。本気にしたほうは傷ついてるかもしれないってこと、一度でも考えたことある?」 「……マユリちゃんはまだ子供だよ」 「子供もいつまでも子供じゃないよ」 薄暗がりでの須田さんは、いつかの病室のとき以上に真剣だった。俺は自分がなぜ責められるのかわからず、須田さんから視線をはずした。気まずい沈黙を埋めるように、アキちゃんのくすくす笑いが横切った。 「私のときはね、山田さん。もっと露骨に『アキちゃん、酒場の娘が嫌ならさ、僕のとこお嫁に来なよ』って言ったの」 俺は呆然とした。「うそ。覚えてない」 「本当です。お酒入ったお母さんが『アンタんとこやるわけないでしょ!』って怒っちゃって、それきり。で、半年もしない間に、山田さんもすぐ結婚しちゃった」 須田さんは持ってきた焼酎を一口飲んだ。「そうだった。見合いの話が出たときは乗り気じゃないって言ってたのに、すぐだった」 「ああ……いやいや、俺の結婚話は関係ないでしょ!」 「関係あります。いたいけな少女をたぶらかしたんだから」須田さんはいった。「山田さん。前から言いたかったんだけどね。ちょっとは周りをよく見なよ。奇行に走るなとは言わない。せめて自分が怪我したり周りが怪我することは避けようよ」 「わかったよ……」 「わかってないよ」須田さんは俺の足を容赦なく蹴った。蹴り返した俺の足は届かなかった。 「マユリちゃんだって、花屋のお嫁さんになりたいわけじゃないですからね」アキちゃんもいった。「山田さんのお嫁さんになりたいんですよ。十年もしたら、もっとヨボヨボになるかもしれないって、思ってないんだから。女の恋はその一瞬だけなんだから!」 「ごめんなさい」俺は激しく揺らぐロウソクの灯りに煽られ、ようやく申し訳ない気分になった。須田さんの小さなため息がどちらの意味か捉えかねて、俺は顔をあげられなくなった。 「後藤さんも悪かったんだよ。あんな小さな子に店番させとくなんて」チラッと見上げた須田さんは微笑んでいた。「ここらでお灸を据えとかないとさ、山田さん。またなんかやらかしそうだから」 「いえてる」アキちゃんも笑った。「マユリちゃんときちんと話してください」 俺は頭の後ろをガリガリとやって、ふたりに頭を下げた。 「マユリちゃん。あのね、この間のことだけど……」 「ああ、山田さん。聞いて! コウくんがね、『花屋なんかつまらねぇよ。僕んとこで働きなよ。ケーキ食べ放題だよ』って、いうの。大きくなったらサユリちゃんと一緒に、コウくんとこのケーキ屋さんで働くことにしたから。ごめんね?」 「ああ……そう……ふーん……よかったね……」 完 |