管理人サイト総合まとめ

site data


2017/11/29 

 須田さんは機嫌がいいとき、体を前後に揺する癖がある。本当は跳び跳ねたいのかもしれないが、照れやためらいや年齢という名の数字を気にして、跳べなくなっているのだろう。あるいは腰とか。
 俺はまだまだあの人より若いので、代わりに花を一輪くわえてクルリとターンを決めた。近所の女の子が「ママ。あのおじさん変」と指をさす。「ああ、山田さん。おはようございます。さゆりちゃん、あのおじさんはね、いつも変だから今日は普通なの」と手を引いて去っていった。俺は振り返った女の子に手を大きく振った。女の子は悲鳴をあげた。
 ちぇっ、なんだよ。普通ってなんだよ。俺の母親は八十過ぎたって近所のひとが掃いた桜をガバッと両手で抱え、「秘技。桜吹雪!」とか言って遊んでるんだぜ。親父のほうは雨の日に「長雨じゃ。濡れて参ろうぞ」とかふざけて、ずぶ濡れになりながら「水もしたたるいいジジイ……ぷっ」とか一人で笑ってんだぞ。俺くらい普通だよ。

「山田さん」後ろから声をかけてきたのは、シマちゃんだった。「なんで花をくわえて、タップダンスしてるんですか?」
「おはよう。シマちゃん」
「おはようございます。タップできるの、すごいですね。ジーン・ケリー目指してます? 私も習いたいな」
 わかる子にはわかるのだ。この子は若いが天才だ。そして美人だ。俺は美人に優しい。アキちゃんは美人の基準からは外れてるかもしれないが特別だ。須田さんはときどき美人だが360日は普通のおじさんだ。そしてウィンドウの鏡に映る俺はとてつもない美しい。
「何かよからぬことを考えていますね」
「わかる? 昨日須田さんと高架下の飲茶食べに行ったんだよね。もう一回いこうかなって。今度は一人で」
「あそこ美味しいですよね。一緒に行きませんか」
 逆ナンだ。こんなことあるのか? 今年は干支の星回り的にモテ期がくるのだと、レモンだか羅門だかいう雑誌でよんだが、眉唾だと相手にしてなかったのに(レオンだった。須田さんに買って帰ろう)。
「シマちゃん、本当に俺でいいの?」
「はい。山田さんさえよければですが。自分の分は払いますし」
「それは駄目だよ。年上が払うもんだよ」
「よくわかりませんね。払いたいときに払うほうが、お互い気持ちよくないですか? 次に誘われても断りにくくなるし。誘われなくなれば『嫌われたのかな』って気を揉むし」
 それもそうだ。シマちゃんは、とらわれのない不思議な子だ。臨機応変ができる。須田さんやアキちゃんとはまた違う。あの二人はちょっと頭のかたいところがあって、本を読む人間特有の理屈っぽいところがめんどくさい。今日はシマちゃんとサシで呑むことに決めた。
「よし。仕事が終わったら迎えに行くから、そのとき」
「了解です。では」
 律儀にぺこりとお辞儀をする。シマちゃんは颯爽と歩き出した。俺はその後ろ姿に惚れた。シマちゃんは男だ。ナリは女の姿をしているが、性根は男だ。

「今夜はシマちゃんと食べてきたから」とコンビニ弁当を渡すと、須田さんは「そう」と袋を受け取った。
「妬くでしょ。ほら、いつもこういう気持ちなんだよ、俺!」
「妬かないよ。シマちゃんいい子だし。僕も行きたかったな。誘われたの? むしろ山田さんが羨ましいな。いつか僕のことも誘ってくれるかなあ」
「なんだよ。つまんねぇの」
 いつから立場が逆転したのか。きっと、俺が須田さんより先に告白したのがいけなかった。ヤツは耳では聞いていなかったし聞いてないふりをしていたのかもしれないが、心のどこかで俺の声を捉えていたに違いない。先に想いを伝えたほうが、恋の駆け引きでは負けるとどこかで聞いた。
「シマちゃんね、旦那さんのことノロケてたよ。家帰るとかさばって仕方ないって」
「それのどこがノロケなの?」
「須田さん、わかってないなあ。好きだとか愛してるだとか自慢話は恋の段階。そんなもん長くは続かねぇんだよ。『かさばる』なんて、最大のノロケだよ」
「山田さんにはそういう話するのか」須田さんは割り箸を歯で割って言った。「みんな聞きたくて仕方ないのに、アキちゃんにも言わないらしいよ。信頼勝ち取ってるね」
「ふふん。俺だからじゃない?」
「そうかも。山田さん話しやすいんだよ。口が軽いのがタマに傷だけど」
 どういう意味だよ、と弁当の唐揚げを横取りした。須田さんは「あ。助かる」と笑った。すでに揚げ物がつらい年なのだ。
「俺。須田さんがご飯食べたら、今日は帰るね」
「え……なんで」
 須田さんは捨てられたカメレオンみたいに顔色を曇らせた。子犬みたいにと言い換えてもいい。
「もう韓流はしばらくいいよ。ちょっと飽きちゃった」
「この間は野球につき合わせちゃったから、君の好きな格闘技見てもいいよ」
「ずっと一緒にいたらさ。須田さんにも飽きちゃうかもしれないだろ」
 須田さんは伏せた視線を少し游がし、微笑んだ。「ーーこれまでずっと一緒だったよね。他の仲間は皆散り散りに町内会や老人会の繋がりで忙しくなって。僕は山田さんとだけだよ。こんなに長くいるのに疲れたことないんだ」
 一人きりが長いと感じなかった孤独な夜を、他のもので埋める手立ては思いつかない。話し足りないようなことはもうないのに、他の人となら気まずいばかりの沈黙がもっとも心地よく感じて、俺は身をよじった。
「須田さん。夜とか朝に、一人で歩いてるんだろ。それ、今も?」
「うん」
「それにつき合ったら駄目かな。俺」
「きっと退屈だよ」須田さんは苦笑した。「毎日すれ違うお婆さんがいるんだ。地面すれすれまで腰を曲げてて、顔は見えなかったんだけど。坂をゆっくり上がってね、彼女の足だと三十分はかかるだろう。素手でゴミを拾いながらスーパーの袋に詰めていくんだ。特にいいことしたって表情でもなくて、黙々と歩いていく。息を切らせて登りきった道を、一度だけ振り返ってニヤッとするーーそんなの、一緒に見たい?」
「見たいよ。須田さんの見てるもの、同じ目線で」
 須田さんは忘れかけていた食事を口に運ぶ作業に戻った。「あんまり仲いいと、変な噂立たないかな」
「介護にしか見えねぇよ!」
「それはひどい。まだまだ若いつもりなんだけどなあ」
「自分で年を数えるからそんな風になるんだよ。もともと四十までは俺のほうが老け顔だったよ」
「西洋人はさ、ほんの百年前まで男同士でも腕組んで歩いてたし、ステッキ持っても様になったからいいね」
「ばか。雨傘さえ男はさせなかったんだぜ。裕福なヤツは馬車持ってるし、雨を避けるなんて軟弱だって理由で。風呂も水風呂だよ。女は女でコルセットだしよ、離婚の理由は三つ以上ないと認めてもらえないんだよ。不倫されて暴力振るう程度のことじゃ一生飼い殺しだぜ。生きづらくて仕方なかっただろうよ」
「やけに詳しいね。BBC見てる? 山田さん、昔から感心してたよ。年中行事とか、サラリーマンでもないのによく覚えてるだろ」
「花屋だからだよ。忌みごと祝いごとは親父から叩き込まれたからね。花言葉もよく知ってるよ。今はそういうの、あんまり好まれないけど」俺は褒められた照れを隠してそっぽを向いた。「須田さん、食べ終わった? 俺帰るから。キスしよう」
 飲み込みかけたものをゴホゴホッとやった須田さんの額に、有無を言わさずくちづける。「待って。俺も」と笑うので、返しは耳の下に受けた。
「朝ね、起こしに行くから」
「寝ていけば……」
「待っててよ」
 須田さんはため息で応えた。「わかったよ。ちゃんと来てね」






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -