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2017/11/28 

 神社のお囃子が聴こえる。いつも静かな商店街も賑わっていた。須田さんは駄菓子屋としては射的などの景品に、町内で漬け物屋の次に古い老舗の店舗としては祭事の管理に掛かりきりだ。アキちゃんところは出店してないが、シマちゃんと夜店巡りをするのだと、珍しくはしゃいでいた。
 俺は昨年、花屋の二代目としてではなく神輿担ぎに精を出して、腰をやって酷いことになった。自身も階段から落ちた経験のある須田さんやシマちゃんは同情してくれたが、近所ではかなりの笑い者である。
 高齢化社会のおかげで五十六十は若造の部類だ。テレビでは時代遅れの英語の教科書みたいに「七十歳でもこんなに若い!」と誰も現実じゃ使わない構文を繰り返している。七十でもとはなんだ。七十は若いのだ。八十でも若い。田舎の葬式では九十で死んだ婆さんの遺影を見て、「今どき百も越せないなんて……気の毒だわ」という調子だった。どんな不摂生をしたのかと皆泣くのだ。
 だがそれも所詮は数字だ。長く生きたから知ることが多いとは限らない。俺だって半世紀生きて初めて知る感情に戸惑っている最中だし。

「山田さん」
「あれ。シマちゃんじゃないか。アキちゃんとお祭りに行ったんじゃなかったの?」
「はい。家族に東京コロッケ三十個買って、金魚百五十匹釣ってきました」
「それすごいね! 大会出られるじゃん!」
 シマちゃんは首を傾げた。「東京コロッケがですか? 私、この大きさなら一人で八十個は食べられますね」
「違うよー。金魚のほうだよ!」
「ああ。そっちはおじさんがケチな人で一匹もくれませんでしたけど。釣れても釣れなくても三匹五百円だよと子供を騙してるので、アキコさんが怒ってしまって。大変でした」
「えっ……それで、どうしたの? 買ってあげたの?」
 シマちゃんは前髪を数本引っ張って、大きな背中を丸めた。「その道の親分さんらしき人がたまたま通りがかって。『金魚くらいタダでやらんかい。関東はケチ臭いの。嬢ちゃんら、向こうにカラーヒヨコ売っとるからな。好きな色選んで、もろといで。顔のこわーいグラサンかけたオッチャンが店番しとるけどな。嬢ちゃんがお願い☆ってめんこい顔でゆうたらイチコロじゃ。兄貴に言われたって伝えといでよ』って……」
「そ、それで?」
「それだけで済んだら良かったんですけど。夜店のおじさんもお酒が入ってたみたいで、いきなり掴みかかって。アキコさんはアキコさんで、あの人そういうの黙って見てられないほうですから。手近な棒で殴りつけたり、すごい騒ぎになってしまって」
「……!」
「騒ぎを聞きつけた須田さんと宮司さんが止めに入らなかったら、警察沙汰だったかもーーあっ、山田さん?」
「シマちゃん、店頼むわ。すぐ戻るから」
 山田さん!と叫ぶ声に押されるように、俺は走った。あのバカ。いくら五十六十が若くなったと言っても、中身はやっぱり年相応だよ。ヤクザに喧嘩ふっかけたら死ぬぞ。

「そんで、山田さん落ちたの? バカだね。足元見ないから」
「うるせぇよ!」
 病院のベッドで横たわり、椅子に座った須田さんに毒づく。面会時間はとうに過ぎている。救急車で運ばれた大部屋では窓際の俺と端にいるじいさんが一人きり。消灯も終わっている。カーテンの仕切りをした手元の明かりひとつの薄暗闇で、二人でボソボソと話していた。
 たどり着いた頃には祭りの夜店も撤収がかかっており、騒ぎを知る人に聞いて回った。川縁の土手で須田さんとアキちゃんを見つけたのはすぐだった。安堵の気持ちより先に湧いたのは、座ってる二人の姿が熟年夫婦のそれで、(ああ。お似合いだな)という素朴な感想だけだった。
 俺は走ってきた理由も忘れて、心のなかに生まれたどす黒いもので目の前が赤くなるのを、なんとかして振り払いたかった。踵を返してその場を離れるより先に、アキちゃんが俺を見つけてしまった。振り返った須田さんが手を振る。俺の怒りは行き場を失い、へなへなと萎れた。一歩踏み出した先には芝生のかわりに子供の積み上げた石があって、俺は下まで転がり落ちた。

「シマちゃんにごめんね、って……山田も頑張ったよ、って伝えて……これ俺の遺言だから」
「馬鹿言うんじゃないよ。シマちゃんのほうがしっかりしているよ。レジ横の鍵を見つけて、戸締まりしてから病院まで日用品持ってきてくれたんだよ。治ったら謝らなきゃ」
「……ごめん」
「なんで落ちたの」
 俺はいつもの軽口で誤魔化そうとしたが、須田さんの心配そうな表情を見ると、そうもいかなかった。口をついて出たのは適当な嘘ではなく、本心だった。「須田さん、アキちゃんと居たでしょう。最近おかしいんだよね。モヤモヤするんだ」
 須田さんは黙っていた。俺は焦った。「ごめん、怒った?」
「怒ってないよ。怒るわけないでしょ」
「須田さん、どっちかわかんねぇんだよ。いまの完全に怒ってる顔だったよ。眉間にシワ寄せすぎだって」
「気をつけます」
「シワはいいんだよ別に」
「そっちじゃないよ」須田さんは苦笑した。「アキちゃんと話してたほうだよ。僕のほうは、そんなんじゃないんだ。気を揉みすぎだよ」
 俺の傷口を広げたことに気づかず、須田さんは笑った。彼女と俺の微妙な話についての決着は、まだついてない。俺はアキちゃんに須田さんのことを話していない。
「誰かと誰かがつきあったらさ。変わってしまうのかな」
 俺は足の痛みも忘れて、須田さんに詰め寄った。須田さんは椅子からゆっくり立ち上がり、ベッドの端に腰かけた。
「アキちゃんと須田さん。須田さんと俺。俺とアキちゃん。変わってしまうのかな」
「ーー」
「いやだな。そんなの」
 自分で言い出したことなのに、俺はわりきれない気持ちを拳で堪えた。胸ひとつ、堪えることさえ難しい。須田さんは穏やかな表情で、俺ではなく昼光色のライトを見つめている。看護師が時間を知らせにきたら、それが今日の須田さんとは最後だ。
 須田さんはいった。「変わらないものもあるよ。変わったとしたっていいよ。変わっても変わらなくても、この時間に僕はいるじゃないか。山田さんの傍に」
「ーー」
「それだけじゃ、いけないのかな」
 理由もなく唇を合わせるのは今さら照れ臭くて、愛の告白を受けるより手間がかかることをした。確認するすべをお互いに知らないみたいにして、手を握る。指を絡ませていると何を悩んでいたのか忘れてしまうほど、時は自然に過ぎた。





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