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2017/11/27 

 須田さんは俺の家によく出入りするようになった。韓流ドラマは口実なのだと、かなり後になって知った。長いつき合いのなか、お互いの呼吸は知り尽くしている。いまさら関係が変わって、カヨさんの時代にはなかった感情で繋がったからといって、気持ちを確認することはもうしない。

 時計買ったげようか、と言ったら、ふふっと笑って「別にいいよ。それよりペンが欲しいな。万年筆」と胡座をかいたまま上半身を揺すった。子供みたいな仕草だ。俺といられるのが嬉しいのだ。俺のほうでは複雑な気持ちだ。
「今月は駄目だよ。行事のない月は本当に厄介だよ。返ってくるものがないもの」
「花に囲まれてる生活ってうらやましいなと思ってきたよ。ずっと」
「駄菓子屋は子供がいるじゃん。いま少ないから、懐かしがって大人も買いに来るし」
「まあね。アキちゃんはアキちゃんで言葉に囲まれた生活から飲食業だろ。僕には考えられないな。この年で花売りに転職するのは」
 俺は『花売り』という言葉にじんときたことを隠して、酒でごまかした。須田さんはよく自分の話をするようになったと思う。それまでの彼は寡黙に人の話を聞く側で、ポツリと詩人みたいな言葉を残すばかりだった。
「花売りも楽じゃないよ」
「知ってるよ。一日中座ってる俺とは違ってさ、大変そうだなと思ってた」
「須田さん。抱きついたら怒る?」
 驚いた顔が見たくて唐突に言ったが、須田さんは「よしきた」と孫でもあやすみたいにして両腕を広げた。「そういうことじゃないって。わからない人だなあ」 文句をつけて手近なクッションを投げる。怯んだところを羽交い締めにして、頭をかき混ぜながら騒いでいれば、中学生にでも戻った気分でじゃれて終わりだった。

 明かりを消したのがどちらか覚えていない。会話は途切れ途切れで交わしていたはずが、須田さんの眼鏡をはずしたらすべてが無音になった。静寂のなか目にうつしたはずの真剣な表情に敗けを認めるのは癪で、かわりに眼鏡を俺がかけると、ちょうどいい具合に相手が誰だかわからなくなった。そのとき須田さんの何に火がついたのか、ただのじゃれ合いがまさぐりに変わり、その一瞬だけは哀しいほどに早かった。
「須田さん、須田さんって」
「ーー」
「痛いわ。ちょっ、ボタン引きちぎるなよ。俺の都合もきけよ!」
「知らないよ。君が悪いんだよ。さっさと済まそう」
 布団しこうか、と硬くなった全身を弾ませながら囁いたが、「馬鹿言いなさんな。そこの座椅子で充分だよ。待たないよ、俺は」と低く笑った。
 面倒ごとはいろいろ省いて、俺だけに要求してくる。この人は男だ。しかたねぇな、寸差で女になってやるよと。諦めからではない。身を任せているときだけは、俺のほうでも静かな気持ちで漂っていられた。
 たぐる指先が俺の手でなく首筋をつかんできたので。背中をふりかえると、湿っぽい室内のどこかでは、時計の針だけ規則正しく吐息を奏でる音がした。

 軋んだ体を起こして朝を迎えたときには、須田さんの姿は見当たらなかった。なんだよ、おいてけぼりかよ。と怨めしく思う。始末を忘れて眠りこけたわりには身綺麗だったが、身支度ついでに痛みを堪えてシャワーを浴びた。カーテンの隙間から白けた空の薄明かりが大きくなるのをしばらく眺め、俺は腰を叩いて伸びをした。
「なにやってんの」
 自分の店の前で佇む俺を、どこから持ち出したのか丸椅子に座った須田さんが見上げた。
「いや。今日は寝てていいよ。僕が花売りすることに決めたんだ」
「押しかけ女房候補は余ってるよ。アキちゃんでしょ、シマちゃんでしょ、ユキちゃんにハッピーのママさんでしょ……」
「女房は君だよ。なんなら向こうに行ってよ」
 渡された店の鍵を受け取り、腹立たしくて足早に駄菓子屋を目指す。言われたことのストレートな意味に気づいた頃には機嫌も直り、潰れかけの店のマスコットになる決意をした。

「山田さん。あっちに須田さんがいるけど、仏壇用だって言ってるのに薔薇とか向日葵とか渡してくるんですよ。ハッピーのママさん怒ってる」
「今日はいいんだよ。アキちゃんも菓子食ってけば? それとも悩み相談とか始めようか」

 ーー花屋損害三万とんで六百円。駄菓子屋損害千円とんで二十円。本日の収入しめて八万五千円也。

完。

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