【事件簿】


036)地獄絵図



 ウィギンズは声をあげて啼いた。男の慰みものになるのは初めてではない。くすんだ赤毛は夜明けの光で明るく光った。年を重ねるごとに金糸のようになるが、髪を売れとせっつく人買いの目を盗むため泥を擦り付けるのが朝の日課だった。

 身体を売るときは別だ。紳士は外套も帽子も手袋も上質だった。顔も好みだ。優しい笑みで可愛がってもらうはずだった。どこで計画が狂ったのか。

 後ろから強い力で引っ張られ、後孔が引き裂かれる痛みに悲鳴をあげた。金がいるのだ――まだ堪えられる。まだ。蜜壺を探る怒張に気をやった。尊厳まで奪えまいという想いでさえ踏みにじられる。たしかな快楽が彼を殺した。

 感じたくない。いやだ、感じたくない――。

 人は過ちを犯すものだ。破滅の鐘は直に鳴るだろう。それを合図にこの地獄は終わりを告げる。途切れる息が先に止まらなければ。

 ウィギンズは唇の端に笑みを浮かべた。これが最期だというなら、反撃に出るのも悪くはない。

 叩きつけられる濁流と共にすべてを吐き出した。前も後ろも上からもだ。ウィギンズの体内にあるすべてで汚れた男は、少年が気を失うまで殴り続けるつもりのようだった。

「この糞餓鬼……」

 罵声さえ美しい。どれだけ整っていても、暴行が好みだと知っていればついてはいかなかったが。ウィギンズは汚物にまみれながら唾を吐いた。男の顔にかかったそれは、期待したほど汚れてはいない。

 額に当てられたのが拳銃だとわかっても、少年は微笑んでいた。撃鉄をあげたそれを、男が自分の臀の間に持っていってもだ。

「やってみろよ、短小男爵! 俺は満足してないのに先にイッちまいやがった。いいからぶちこめ――!」

 硬いものが締まらない肉襞に当たった。ウィギンズは目を見開いた。顔も知らぬマムが少年を待っているのだ。待ち続けた父親は救貧院にくることはなかった。あの恐ろしい世界の底には。

 これが終わりではない。再出発だ。自由を求めて外を知ったあの日に戻るだけだ。報いを受けたのは俺だけではない――神はご存じだ。馬鹿な大人の情欲の下敷きにされた、少年少女のむくろを。


 死神が迎えに来たが、彼は手を伸ばさなかった。異様に背の高い死神だ。


 少年は恐怖心から、神の名を呑み込んだ。死神はゆっくりと近づいてきた。男は気づかず、ウィギンズのぽかりと開いた穴に異物を差し込もうと熱心に覗きながら、嬉しそうに笑った。

「口のところで引っ掻いただけで、気持ちよさそうにヒクついてるぞ……あの世でおまえの母親にも教えてやれ。掃き溜めの蛆虫め」

 押さえられた膝裏で身体が軋む。死神は鎌をおろした。カチリと音が路地裏に響く。「――その子供を離せ」

 男は一瞬何が起きたかわからぬようだった。死神は逆光で見えない。裏口から欠伸をしながら出てきた店の店主が、目にした光景にヒッと息を呑んで慌てて扉を閉めた。見て見ぬふりで一晩過ごしたのは、ウィギンズの嬌声を哀れな娼婦と間違えていたのだろう。少年は挿入りかけていた塊が抜けていくのを感じた。離された脚の衝撃で短く叫ぶ。どこが痛いのか、どこが痛くないのか感じなくなっていた。

 振り向いた男を左ストレートで横凪ぎにして、死神は反対の手に持っていた銃口をおろした。すさまじい一撃だった。男はウィギンズの吐いた汚泥に顔面を沈めた。

 死神が地を這うような低い声で、名前を聞いてきた。中流階級以上の発音だと少年は見当をつけた。

「ウィギンズ……」

 声は老人のようにかすれていた。少年は咳払いで言い直そうとしたが、下腹部を走る激痛が、彼の胃にあるものを完全に外へ出した。死神は吐瀉物を避けもせずに、地に膝をついた。そうすると建物の隙間を昇ってきた朝日が、まぶしく男の顔を照らし出した。

「ウィギンズ君。私は今から君に触れる。性的な意図はない。わかるかね」

 思ったよりも若い男だった。生え際が薄いことと高すぎる不格好な鼻を除けば、決して嫌いな顔ではないとウィギンズは思った。少年の美意識は鋭い眼差しの一点に注がれた。

「――あんた。どこの、どいつだ」

 質問に答えたまえ、と厳しい叱責がとんできた。ウィギンズはイエッサーと応じ、男の完璧な発音を真似して、大丈夫だとだけ言った。男の細く長い指が、少年の顔に伸ばされた。

 探偵だと彼は名乗った。

 少年は理性的に返したつもりだったが、心と身体は別の生き物だということを忘れていた。男の指先が頬をかすめただけで、身をすくませて蹴りあげようとしたのだ。身体中の苦しみが、一夜の暴力的なセックスの名残でウィギンズの神経回路を燃やし尽くした。

 半ば意識を失いかけている少年の小さな身体を脱いだ外套でくるめて抱きかかえ、探偵は彼をどこか近くの小部屋に連れてきた。ウィギンズは朦朧としながらも、自分をひどい目に合わせた男を野放しにできず、復讐することで頭がいっぱいだった。おかげで気が狂わずに済んだともいえる。

 探偵は一度どこかへ消えてしまったが、ウィギンズはなぜか逃げようとは思わなかった。ベッドからごつんと音を立てて落ち、そのまま部屋の隅で小さくなった。汚したシーツを裸の身体に巻きつける。

 戻った男は袖をまくりあげ、琺瑯の器と布を片手にしていた。少年の前にあぐらをかくと、おとがいを持って顔を拭い始める。湯気の立つ熱い布に、少年は叫び声をあげた。

「よせやい……施しなんざいらねぇんだ」

 探偵は無言で作業に没頭していた。何度振り払おうとしても筋ばった指が踊るように顔に張りついてくる。ウィギンズは焦れた。痛みを無視して男の頭を両手で鷲掴みにする。

 口づけは鉄の味だった。吐いたものに血が混じっていたのかもしれない。男は抗議しなかった。挿し込む舌に舌を絡めてくる。巧みとは言いがたいそれに、少年は得意の技をしかけた。糸を引く唇を幾度も往復させ、男より高い位置から中腰でキスをする。脚の指を伸ばし、探偵の股間をじっくりと弄った。むくむくと起き上がるものを指で感じた。

 ほらやっぱりだ――どれだけ潔癖そうな涼しい顔をしていても、コイツらの目的は皆同じだ。逝きまくって疲れた屹立は勃起しなかったが、猛っている自分もいる。隆起をなでさすろうと伸ばした手首を掴まれた。くるりと反転して、また抱えられる。こぼれた湯に構わず室内を出た。

 隣の部屋に置かれているものにゾッとした。

 たくさんの張り型が壁一面に飾られていた。男性器を模したそれだ。水牛やら鼈甲やら石膏やらでできている。ウィギンズは状況を理解すると、さすがに暴れた。偏執狂だ。関わってはならなかったのだ。

 部屋の中央にある風呂桶にそっと下ろされる。少しだがぬるま湯が張ってあり、傷に触って激しく痛んだが、おかげで全身の感覚がもどった。

「こっちの趣味か。ハッ。あんたの引き締まった臀の筋肉はヤられる側に見えたのに、この玩具たちを見る限り違うんだな。変態の人殺し!」

「鋭い観察力だ」男はまじまじとウィギンズを見た。「だが私に加虐趣味はない。これらは君の見立てた通り愛の営みの最中に情事の相手を殺すため造られたものだが、使ったことはないよ。自分にも他人にも」

 男は自分の汚れたベストを脱ぎ、ウィギンズの身体を丁寧に洗い始めた。熱い湯が広げた穴から体内に注ぎ込まれ、みみず腫れの上を這う指に何度もうめく。ざらついて硬い指が挿入されると、意思とは無関係に少年は震えた。後戯など受けたことがない身体に、内壁を触る優しい指の刺激がゾクゾクと伝わった。

「ぁ……っ」

 溢れる白濁を洗い流す。強い愛撫を欲して、つい臀をくねらせてしまった。耳まで真っ赤になった自分の顔を肩口に伏せさせながら、男はいった。「いいのだ。ここは安全で静かな場所だ。壁も厚いし外の騒音は聴こえない。隠れ家には最適だよ」

 そのせいで君を助けるのが遅れてしまったが、と探偵はいった。

 ウィギンズは男にしがみついて喘いだ。中を探る指の本数が増える。知らずに血流が戻って天を仰ぐ若い陰茎を、風呂の湯垢で擦りそうになった。

 汚いぞという男の呟きを誤解して、少年はまた抵抗しようとした。指を取られて指先にキスを受ける。「君のことではない――綺麗なウィギンズ。淵に手をかけて、脚を拡げろ」

 綺麗な。俺が綺麗なわけあるか、と叫びたかった。緊張した太股を指がいとおしそうに行き来する。掴まれてしごかれる側と、抜き差しを繰り返す指に呼吸を早くした。

「……っ」

 男が口をつけるのを呆然と見つめた。何日も洗ってない不潔なそれを、自分の快楽のためではなく少年の後始末のために含んでくれている。うまれて初めて抱いた祖母くらいの年の売春婦が、歯のない口でやってくれたのが最初で最後だ。吸引力はすごかったが、逝った後にあげた老婆の微笑みが、ウィギンズの記憶に深刻なダメージを与えていた。

「んっ……ぅあ……いゃ」

 緩慢とした悦楽に身をゆだねる。男の黒髪を股間になすりつけ、乱れた姿をさらしつつ上下した。射精はしない。ミルクタンクは空なのに、断続的な波の奔流に襲われる。少年は逝った。

 息をつくとウィギンズは憮然とした。

「性的な意図はない、って嘘だったのかよ」

「楽になってそれかね」

 男は濡れた唇と顎に垂れた粘液をぬぐった。少年はカッとして、後ろ髪を引っつかんでその顔を上げさせた。

 灰色の目に吸い込まれそうになる。

「二度と」男は少年を見つめたままいった。「二度とあんな仕事はするな。金なら私が与えてやる。施しではない。性欲のはけ口にもしない。きちんと意味のある仕事をするのだ。ウィギンズ。私の名前は――」

 少年は男に抱きついた。嗄れた声で返事をする。暗黒の服従生活に突入だ。それでもよかった。


 探偵の目が、隠しようもない涙に濡れていたからだ。


End.


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