【事件簿】


013)過去の面影



 怯えるワトスンを壁の端まで追いつめた探偵は、何がおかしいのか含み笑いをしながら、脱ぎ散らかした彼の服の匂いを嗅ぎつつゆっくりと近づいた。自分の身体はお世辞にもしまりがあるとは言えない。まさかと思ってそれ以上を考えなかった。

「ホームズ……」

 裸に剥いた間抜けな相棒の前に膝をつく。信頼感から抵抗もなくあっさりと要求をのんだ。新薬の実験。犯罪捜査の一貫。無防備なのが彼のいいところだ。しかし身の危険からタックルで逃げようとするのは別だった。軽く避けて膝頭を腹に叩き込み、倒れた身体にそのまま覆い被さる。

「っ……!」

 咳き込む髪を後ろから掴み、無理やり口づけた。引き伸ばされた喉仏が苦しげに呻く。晒された臀の蕾を探った指に、屈辱感で耳まで紅潮させた。割って入る舌を押し戻そうとするが、上も下もと蹂躙する粘膜の柔らかな調子に血の気が引いた。用意のあったオイルの瓶を傾け、臀を揉まれるに及んでは、さすがの医者も意図を正確に受け取った。

 なぜ、と問う目に探偵は答えた。「また結婚する気だろう――若い時分は君の不在も堪えられた。失うくらいなら今度は堕ちてもいいかと思ったのだ」

 理解を拒む妄言だった。薬はやめたはずだ。自分は上着だけを脱ぎ、四つん這いにさせた医者の手をスカーフで縛る。手早く掲げられた臀の間に高い鼻が押し込まれ、覚えのない悪寒がワトスンの背筋をぞっと走った。

 男が自分にぶつけてくる劣情を知らなかったわけではない。これが気づかぬふりを通してきた報いだと言うなら仕方ないのかもしれない。実際新たな妻を探すことに専念していた。暖かな家庭は何よりも欲してきたものだった。

 挿入される熱いぬめりと荒い息が、神経を逆撫でする。ふくらはぎの裏をさする節ばった長い指を感じ、気持ち悪さからわずかに叫んだ。「どうして――なぜ――」

 心もとない反応ながらも硬くなりだした器官を揉みしだくに至っては、受け入れたことのない場所への異物の侵入も呆気なく済んでしまう。爪で外壁を引っ掻かれ、息を詰めて喘いだ。

「ワトスン。まだ序の口だ」

 性急に動く手の輪の中で怒張が半分勃起した。緊張して締まる後ろの周辺をまた舐める。脚の間を下から割って入り、滑り込ませた身体で探偵の顔を跨ぐ形になった。

「くっ……ぁ」

 掴んだ玉袋をしゃぶられると堪らない。また尖った鼻の先で菊門を弄られる。巧みなやり方が腑に落ちなかった。誰に仕込まれたのだろう。

 そのとき初めて不自然に垂れ下がった暗幕に目をやった。隠れ家の幾つかはワトスンも知っていたが、ここは初めてだ。人の気配は感じなかった。互いの呼吸だけが言葉だった。しかし何かがおかしい。くわえられた先端への刺激に、思わずうつむいて灰色の目を見た。

「気にしなくていい。見物客には構うな」

「……っ!」

 やはり誰かがいるのだ。浅ましく震え始めた臀の割れを探偵の手が拡げ、唾液で光る自らの屹立を引きずり出し、下の口を犯した。痛みに呼吸さえ満足にできず、医者はなすすべもなく下腹部への打撃を受け入れた。

「ぁあ…あ!」

 痺れは全身を覆い、幾度か叫んだがやむことのない打ち込みが少しずつ中をほぐしていく。入り口ぎりぎりまで抜かれて体重を一気にかけられ、汗だくになって腰を与えた。

 繋がったまま裏返されて、正面から突かれた。焦らすことも無駄な愛撫もない。ただ穴があるからというだけの理由で頂点を目指しているように見えた。射精感を堪える間だけ、征服の証を思い出したように首筋につける。不器用な吸い方で巧く痕が残らないことに苛立ったらしく、羞恥に染めた顔をまた逸らして揺さぶった。

「ああ。ぁ……っ! 待っ……!」

 ワトスンは気づいた。探偵に寝床の作法を教えたのが誰であったとしても、自分の知るその時間とはまるで違うのだと。

 しばらくすると探偵の喘ぐ声のほうが多くなって、どちらが犯されているのか忘れるほどの叫びを発し、しがみついてきた。縛られた手首を回してその身体を抱き止めた。聞き取れぬ声で誰かの名前を呼んだが、自分でないことだけは確かだった。中で果てる肉棒の震えと、白濁の与える熱さでようやくわずかな快感を得た。興奮から狭くなる穴が絞り尽くし、弛緩するのに任せてお互いに息を吐いた。

 暗幕の向こうも気になるが、おさまらぬ自分の怒張の痛みをなんとかするのが先決だった。探偵も気づいたらしく、柔らかいとは言い難い脚から手を離し、中から出ていく。

「……っ! ……!」

 抜きの感覚が壁をずずと擦り上げ、医者は背中を反らして少し放った。

 身体をずらし、くわえられた。溢れ出す精を呑み込む喉が、軽い音を立てる。やがて弾ける残滓でその顔を汚しながら、彼は旨そうに医者の精の残りを受けたが、顔を汚されたことには難儀しているようだった。

 楽になった途端に急激な怒りがこみ上げ、首に手をかけた。縛られた手首が捩れ、痛みを引き起こす。探偵はハッとしたが、一瞬のちには頷くように目を閉じた。暗幕を見る。誰も出てこようとしない。内部を擦っていた指は動きを止めていた。

「君になら――」

 殺されてもいい、と続くに違いない口を閉じさせたい一心で、首から指を離して殴りつけた。切り傷の絶えない顔が歪み、横を向いて拳で顔を隠す。体内から力なく出た指を逃れ、そっとのぞきこんで後悔した。

 嗚咽を殺して震える唇は、彼が声もなく泣いている証拠だった。

 誰かに脅されているのか。そこに居るのは誰だと立ち上がり、力の入らぬ脚を引きずり暗幕を開けたが誰も居なかった。

 一台の写真機が壁を向いて置かれているが、撮り手も居なければ照明もない。どこかで見たような覚えがあった。ワトスンにはそれがどういう意味を持つものなのか、結局墓に入るまでわからなかった。

 誰の代わりにされたのでもいい。向こうが自分の代わりだったのかもしれない。探偵はこみ上げる何かを一人で堪えるように床で身体を丸めている。その背中を自由にならぬ両手で撫でれば、お願いだからよしてくれと懇願された。


 医者は孤独なひとりの男を抱きすくめた。


End.


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