【事件簿】


『探偵の本能的金曜日』


 たまたま下宿の留守番をしていた日のことである。警察の使いがやってきて、酒場で暴れた人間が私の特徴によく似ていたと言うのだ。

 私は思いもよらぬ状況に首を振った。

「前の晩は一人で原稿を書いていたので、誰も私の在宅を証明できません。ハドスンさんも出払っていましたから」

「困りましたね。留置場へ入ったことはありますか、先生。そのような事情であれば、署まで同行してもらうことになります」

 冗談ではない。開業し直したばかりの診療所に軽率な噂話が持ち込まれたが最後、私の評判はがた落ちだ。

「同居の友人が帰るまでどこへも行きません。突然の依頼で昨夜から調査に行っていますが」

「逮捕しにきたのはシャーロック・ホームズさんではないんですが……というのも」

「すぐ帰ってきます。お願いします」

 あまりに話ができすぎているため、一瞬目の前の警官がホームズなのではないかという気がしてきて、私は恐る恐る口を開いた。「引っかからないぞ」

「何かおっしゃいましたか」

 鋭い目線がホームズに似ていなくもないのだ。警官は知りあいではなかった。油断ならない。話を聞かせてくださいと言うので客間に案内しようとしたが、彼は直立不動のままだった。

「ご兄弟はいらっしゃいますか」

「弟が六人ほど」

 ふむなるほど六人もいれば見間違えそうだ、と真面目な顔で言う。しまった。慣れない冗談は同じく実直そうな彼には通じなかった。

 しばらくするとハドスン夫人が先に娘夫婦の元から帰宅し、重い荷物を馬車から運ぶのを手伝いにおりた。警官の尋問に興味を引かれたのか、御者の手が止まった。

 彼女は私にかけられたあらぬ疑いに怒りを見せ抗議したが、顔見知りの御者の反応は更に思わぬものだった。彼は急に顔を青ざめさせ、首を激しく縦に振った。

「先生、あの界隈は物騒だ。あんまり夜遅くに出歩かないほうが」

「昨夜はどこへも出ていないと言ってるだろう。君までそんな。私をどこで見たというんだ?」

 よく着ている外套の――と口ごもるのを見て私は悟った。いかにもホームズのやりそうなことだ。問題はどちらの評判も落とさないように、後ろの警察を丸め込むにはどうすればいいか。

 私は咳払いをした。

「さては顔をしっかり見てないな。他人の空似じゃないのか」

「ワトスン先生のような帽子やら服やら着ている紳士は確かにたくさんいるでしょうね。もちろん顔や身長まで同じにはいきませんけど」

 ハドスン夫人が私を見ていった。彼女も思う節があったにちがいない。警官のほうは納得してないように見えた。制服の端をつまんでこういった。

「おかしいですな。背格好はともかく顔のほうは間違えようがないんですよ――先生を目撃したと証言したのは、ホームズさんですから」

「……そんなまさか」

 ホームズさんです、と警官は繰り返した。悪い夢にもほどがある。私の悪態には誰も反応しなかったが、警官の発言が更にことをややこしくしたのは間違いなかった。

 御者が突然叫んだ。

「お、お、俺は悪くない! 俺は知らない! 先生、昨夜あそこに居たんなら、俺じゃないと言ってくれ!」

 いよいよ訳がわからない。私は口を開いては閉じて、警官と顔を見合せた。

「こちらの紳士は飲んだくれて喧嘩をしたのだ。自分がどこへ居たかも定かでない。おまえさんのことなど覚えていないよ」

「いや執筆をだね……あっ。そういえば原稿の配達時刻が」

 私は今さらにして消印のついた原稿を受け取ったボーイの存在を思い出した――例のパブまで私自身が行って戻るのは不可能な時間帯だった――が、警官に何も言うなとばかりに強くにらまれてしまった。

「騒ぎに紛れて盗んだ宝石はどこにやったんだ?」

「……何の話かわからねぇ」

「答えろ! 客の一人が落としたと証言しているのだ。正直に話せば今回は見逃してやる」

 御者の震える手がポケットから出され、小さな宝石を受け取ると、警官は掴んでいた彼の腕を離した。馬車はみるみるうちに走り去った。

 一連のやり取りの一部始終を見ていた私とハドスン夫人は、口々に警官を称賛した。つまらない小さな事件が宝を運んできたのだ!

 私は退屈な事件に関わって意気消沈して帰るであろうホームズに、いい小話ができたと喜んで振り返った。

 警官姿のホームズは、愛用のルーペを取りだし宝石に傷がないかを調べていた。

「やれやれ、久しぶりに肝が冷えた。ハドスンさん、お茶にしてください――うん、ワトスン。いい顔だ。騙したのは本当に悪かったと思っているが、ヤードの人間に騒動がばれることなく犯人も捕まったのだし、肩を落とすのはやめてくれ。ああ、そんな顔をしないで。黒真珠よりは安い、今回の戦利品だ。受け取った場でひと揉めあった。まあ無くしたままだと僕の首が飛んだかもしれないが――運悪くつけ髭に君の外套を借りていったから、正確には君の首だな――おやレストレード君。遅かったね、お勤め御苦労様。宝石はここ。行きつけのパブで暴れていたのは、もちろんワトスンです」



 探偵の本能的金曜日。



End.


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