【事件簿】


『探偵の悪縁的友人』


 彼らの嫉妬深さときたら商売女のようだ、と笑う。ホームズの前には二人の男がいた。

「今夜の事件の鍵は、私が床下の小箱を発見したことから始まった」

「君が? 確かに手に取ったのはそうかもしれない。だが見つけたのはそこの私立探偵殿では」

「ホームズさん、こいつに言ってやってください! あれは私が見つけたんだぞ」

「警部の言う通りです。私は何も手を貸していません」 探偵は、顎を反らして天を仰いだほうと、疑わしげな相手に会釈した。「あれはレストレード警部が絨毯に蹴つまずいて花瓶の水をこぼし、私が到着する前に現場を損なったのがばれるのはまずいと――部下に床を念入りに磨かせたのが勝因なのですから」

 先と逆の反応を返した警部たちの表情に笑いを堪える。

 ホームズは年長者に媚びへつらう人間ではないが、男たちの利用価値を知っていた。眉を上げただけでそれ以上は言わない。彼も面白がっているのだ。

 私はグレグスンが怒鳴るところを見たことがない。彼はどちらかといえば絶えず微笑を浮かべた目尻が温厚そのものの紳士だ。感情の起伏が激しいレストレードとは対照的だった。

 元軍人の私などは、いくら笑顔であっても写真などに写ると殊の外目つきが悪いと言われるのだが、彼に限ってはそれも当て嵌まらず、男が四人並んで夜道に立っていても不審に思われないのは、グレグスンその人のおかげだった。

「レストレード。理解の範疇を越えていたが故に、君をけなしたことをまず謝らねば」

「いいか若僧。今度私を馬鹿にしたら――」

「先月私だけ一階級上がったことをお忘れなく」

 どちらがより多く王様の寵愛を受けるか、競っている風にも見えた。発端のホームズは知らん顔で煙草に火をつけ、小競り合いを楽しんでいる。

 彼のポケットには現場から拝借してきた手掛かりがあるのだ。ニヤついた私の顔に何を感じ取ったのか、ヤードの敏腕警部は同時に私を見た。

「何か隠していますね、ワトスン先生」

「白状なさい。我々の目は欺けませんぞ!」

 ホームズのほうを再度見れば、私の出方を待つようにしながらも――証拠の品については言うなと目線で制してくる。

 昔からの通例とはいえ警部たちを手の平で踊らせるなど、紳士の風上にも置けぬ仕打ちだ。王様ならぬ女王様はしかめ面で、従僕が馬鹿を言わないか黙って見ている。ここは期待通りに動かねばなるまい。

「あの部屋には壁紙の一部に仕掛けがあり」

「――ワトスン」

「犯人を示す手紙でも発見できた可能性があります。私はよく知りませんが、血に酔ったと言いながら壁に寄り掛かっていたホームズなら、ひょっとして気づいたかも」

 三人の目の色がそれぞれ変わった。まさか私が裏切るとは思わなかったのだろう。派手な演出で周囲をアッと驚かせるのが好きなホームズは、いつもどおり演出を練っていたはずだ。すべては無駄になった。

 グレグスンが最初に咳ばらいをした。

「ホームズさん。ちょっと旅行に出かけませんか。久しぶりに長期の休暇を取るので、ベニスにでも行こうと計画しているのです」

「いいや! それよりオペラ座のチケットだ。特等席をご用意します。もちろんドクターも一緒にね」

 グレグスンの言い分は聞き捨てならない。彼はホームズの皮肉なやり口を気に入っているし、つき合いも私より長いのだ。

 レストレードは私の扱いを知っていた。探偵は一人でいることに何の気兼ねもないが、私は違う。置いて行かれるのは癪に障る。どちらに味方するか、悩んで諦めた。

「……私の気のせいです。ホームズは私に観察力を磨けとよく言うが、正しい風にそれが発揮できたことは」

「いいや。ワトスンの言う通りだ。君たちに黙ってこれを持ってきた」

 ホームズは内ポケットから手紙を取り出し、これは被害者の愛人のもので、その正体は隣の家の執事だと説明した。

 私のほうは一切見ない。

「なるほど――さすがだ」

「あんたは天才です。それに音楽が好きだ。ゴンドラなんて阿呆と乗っても仕方ないでしょう!」

 どちらにします? と二人は互いを睨みつけた。

 ホームズは強いて言うならと私を見て、胸を張りつつ肩を竦めた。「グレグスンかな」

「おや」

「何と?」

「え……」

 ご指名を受けた当人だけがよし、と拳を握る。安定した出世の種を喜んでいるのか、探偵とゴンドラに揺られて数学定理でも一日中語るのが楽しみなのか、判断がつかない。

 私の髭の端は力なく垂れ下がり、グレグスンのそれはピンと上がった。光栄です、とホームズに近づく。刑事特有の精悍な体つきと、縦に細長い探偵は妙に絵になった。額をつき合わせんばかりに笑みを見せる。

 沸き起こる感情が私の顔に出たのか、隣のレストレードが一歩引いた。

 男に興味はないがライバルの出世は気になるレストレードと、仕事の相棒としても恋人――友人――愛人――どの地位も揺らがせたくない私には、見過ごせなかった。

 助け船はレストレードが出した。

「り、理由が知りたいですな」

「そうだ。なぜ警部なんだ?」

「君たちが彼ほど有能ではないからだ」

『たち』。手紙を受け取り軽く握手をした二人を見て、私の何かが音を立てて切れた。

「グレグスン警部。旅行はキャンセルだ」

「これをレストレードに渡すのは吝かではないけども、そうはいきません」

「残念ながらそれは贋物だよ。本物は私の医療鞄にある。ホームズが中の手帳に挟んでいるのを見た」

 探偵は目を丸くした。「そっちが贋物かもしれないだろう」

「ワトスン先生。それが本当なら」 グレグスンはちょっと残念そうだった。「ベニスは貴方と行きませんとね」

「湿度が足に響くので結構。帰ろう、ホームズ」

 証拠は! と叫ぶ二人を無視して踵を返した。いつもと逆なのだから、プライドの高い彼がついて来るわけがないと思ったが。

「あの二人の顔を見たかね? たまにはやるな。ワトスン」

「腕を離してくれ。酒を飲んで帰る」

 ホームズは私を覗き込み、君の顔も二度と忘れないだろうと盛大に笑った。女王さまのお気に召したらしいが、私は大いに不満である。



 探偵の悪縁的友人。



End.


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