【事件簿】


『怪盗と変態9』




 5

 どういうことだ、とワトスンが言った。しまりのない腹を揺らして、拳銃を上着から出そうとする。バニーが真っ先に動いた。

 後ろから羽交い締めにされて、医者が息をつめる。「なっ……」

「やり直しで入った大学は留年したが。ラッフルズほど頭がよくなくても、まだそれなりに体は動く」

 髭を削がれたくなければ動くなと言われ、医者はおとなしく両手を挙げた。探偵は、役に立たない相棒に舌打ちをした。いつも彼は私の足を引っ張る。想像と同じにはいかないのだ。

「はじめまして。ミスター・ホームズ」

 丁寧に挨拶をした男を見る。上着を脱いで、椅子の背にかけた。

 探偵はたじろいだ。

 ――誰だ? 自分より一見若そうに見えるが、探偵と端くれとしての目は欺けない。手や首の老化具合からして、同じくらいだと見当をつけた。

 イギリス人は髪が残っている限り、それなりに見えるのだ。特に現役のうちは。探偵は自分に言い聞かせた。あの髪がカツラでない保障などあるのものか。自分の薄毛は遺伝である。頭のいい人間は十中八九ハゲる。こっちも後頭部だけは蜂の針刺激法で保っている。

「き、君たちは誰だ」

 ワトスンが先に質問した。慌てすぎだ、様子を見ろと目配せするが、気づいてもらえない。昔から相棒の不必要にまぬけな点が残念でならなかった。もっとこう、スマートにできないのか? 体の大きさだけでも。

「彼の顔をお忘れですか」

 ホームズは、義賊の指差す後ろを見た。こちらもほっそりとした男が立っている。なぜか両目を潤ませて、自分のほうだけ真っすぐに。

 年甲斐もなく胸が高鳴った。

 ハンサムじゃないか。裸で縛って虐め倒してほしいタイプだ。ちょっとした事件の名残で鞭所有の探偵は、悶える自分の妄想に一瞬耽った。「ああ……」

「本当に?」

「何か酷い目にあった気がする。縛られたり」

「監禁されたり監禁されたり、はたまた監禁されたり?」

 うん、と言いかけ探偵は首をぶるぶる振った。緊張した空気と言葉攻めに乗せられて、つい自分を手放しかけたのだ。

 ラッフルズは探偵を地に落とした。「彼がアルセーヌ・ルパンですよ」

 なにっとワトスンが気色ばむ。ホームズは唇を結んだ。

 ――フランスの大泥棒。

 ラッフルズは険悪な雰囲気に流されず、椅子に座って足を組んだ。両の手の指を合わせて首を振ると、急に話題を変えた。

「コナン・ドイルという医者に、メモを送りませんでしたか。かなり粋な真似をしてくれたようですね」

「何の話かわからない」

「ビリヤードですよ、探偵殿」

 キューの滑りをよくするため擦りつけるチョークに、『怪盗ルパンより』とメモを仕込んだ話を持ち出す。本人も後に笑い話をいくつか自虐的に語ったが、心中穏やかでないことは、世間の誰もが知っていたことだろう。電報はその件に関しての抗議だった。

 ホームズは鼻で笑った。

「あの男がホームズを書くなと言ったせいで、私とルブランの協定はなくなってしまった。新刊を読んだが作り話にしても酷いものだ」

「貴方が発砲したことになっていましたね」

「――フランスにはあれから戻ってない」

「戻って。なるほど。怪盗と闘ってから?」

 探偵は身を縮めた。ラウールは首を傾げた。

 ラッフルズの言い方は曖昧で、核心を突こうとしない。何が目的なのだろう。今までのやり取りで、もはやこの男がなんのためにイギリスとフランスを行き来していたのかわからなくなってしまった。

 ラッフルズは愛用の煙草を出したが、首を振った。マントルピースの上からパイプを取る。ちょっとペルシャスリッパを覗いて、中身を確認すると笑んだ。手早く火をつけるまで、しなやかな手つきだ。

「英国人の探偵のはずが、貴方は向こうの名前を使っている」

「どういう――シャーロックか? 私の祖母はフランスの有名な画家で」

「もうひとつあるでしょう」

 ラッフルズはパイプを持って、椅子に縛られたホームズの膝に座った。バニーが呻く。探偵は目を大きく見開いて、唇を動かした。近くにいたラウールははっきり聞き取った。


 ――君は誰だ?


「しがない泥棒さ」

 一口吸って、パイプをくわえさせる。ホームズのこめかみから、汗が流れた。

 どういう意味だ? ラウールは戸惑い、足を踏み出した。バニーが口笛を吹く。目が合うと、真剣な表情で首を振った。手を出すなという風に取れた。

「ラッフルズ。著作を知っているぞ。作者代理がドイルの義兄弟のはずだ。君は非合法なやり方で生計を立てている」

「おや。世紀の名探偵にしては推理の手法が鮮やかでない」

 答えてもいいが僕の伝記作家の意見をまず聞こう、とラッフルズは言った。ワトスンを羽交い締めにしたままのバニーは、ゆっくりため息を吐いた。

「好きにしろ」

 ラッフルズはホームズの膝から立ち上がり、くるりと回った。

「では好きにする。つまりだね、貴方の音楽的な語尾の引き伸ばし――あるいは平坦な土地をさまよう目、そこから発達した芸術性について話したほうが早そうなのだが」

 単純に考えて、いくら血が混じっても英国人では絶対に見られない特徴が貴方にはいくつもあるんだと続けた。

「ドイツで言えば、鬱蒼と茂った森のせいで敵の声を聞き取らねばならぬために発達した聴覚と同じことだ。貴方はセックスに長けている。それを頻繁にするかどうかは別として」

 ホームズの頬が赤く染まった。眉根を寄せる。

 ルパン君で試したから理解できたことだよ、と前置きすると、バニーに睨みつけられてラウールは後ずさりした。

 試した。喘ぎ声か? 誤解だ。あれは単なる復讐心――。ラウールは何かがひっかかった。なぜ復讐心がラッフルズに芽生えるのだ。

「夜のまぐわいが得意なのは、思う存分叫べる土地のあったフランス人だけだ。つまりエルロック・ショルメス」

 ワトスンがひぃと啼いたが、ラッフルズは構わず言った。


「そう、君はシャーロック・ホームズではない」






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