【事件簿】


『ホームズと生ける屍3』



 弱々しい嗚咽の中に、押し殺した感情が溢れていた。



 犬は生ける屍を一人で倒そうと、気を引くように足を鳴らしている。しかし彼の生き物たちは、腐り落ちた耳や舌や鼻っ柱のせいで、すべての五感が弱かった。

 畑にいる者は三人で、目の前の生きた肉でなく今だカリフラワーの方に執着している。

 いっそワンと一声鳴いてくれた方が仕留めるには好都合だったが、トビー三世はそこまで勇敢ではなかった。

 それを見て探偵の心はさらに記憶の泉へと奥深く沈んだ。


 ワトソン君は無事なのだろうか?

 生ける屍がいつその姿を現したのか、覚えている者はいない。

 探偵が『奴ら』を初めて見たのは、ディオゲネスクラブに兄を訪ねた時だった。

 ああああうううういいいいと単調な言葉を発して、クラブにいる連中はチェスを楽しんでいたのだ。

 兄は彼らの風変わりな姿形を一向に気にせず、輪の中心で闘っていた。

 といっても襲撃に会って重い体を動かしたのではない。新人類の一人と対面していたのだ。


「マイクロフト! その人たちは何です?」

「お互い年を取ったな――シャーロック。こんな簡単な観察もできないなんて」

「は、腹が割れて小腸が出ている」

「そうとも気の毒に。隣は射撃の練習中に誤って自分の腕を撃ってしまった人だ。本当に馬鹿な戦争をしたものだよ」


 兄さん失礼と椅子に預ける後頭部を見て、探偵は喘いだ。ごっそり半分ほど後ろがない。

 不運にも餌食になった兄の壮大な脳を食い散らかした死者たちは、通常よりかなり高度な知能によって、会話もできた。


「あああ喰わせろ。ううう喰わせろ。その腹ららら喰わせろ」

「私に勝ったらな。1ポンド分肉をやろう」


 探偵は古びた時代遅れのステッキを振り回し、生ける屍の群れを蹴散らして下宿に戻ったのだ。

 兄さんは駄目だった、畜生遅かった! と泣き縋る探偵の白髪を、相棒の優しい手が撫でさすった。


「ホームズ。物は考えようだ。君の兄さんは体重が重くなりすぎて、人生の半分以上をあそこで過ごしてきたし、つきすぎた尻肉を取り去りでもしない限り椅子から立ち上がることさえできなかった」

「僕の兄さんだ……僕の……!」

「今日はレストレイドが来たよ」


 まさか、と顔を上げても、彼の笑顔は揺るがなかった。


「事件を持って来ただけさ。痛ましいことに膝頭をやられてはいたがね。しゃんとしていたよ」


 探偵は震えた。生ける屍は傷口から感染するのだ。時間の差はあれど、新人類に噛まれれば当人の人格はほとんど皆無になる。

 兄は違っていた。探偵より頭脳明晰だからだ――

 衣装ダンスの中から聞き覚えのある声が叫んでいる。





 ワトソン君の目尻にも、自分と同じ涙が溜まっていた。









prev | next


data main top
×
- ナノ -