【事件簿】


『ホームズ家の姉妹10』



 留置場は静かだった。

 ワトソンの休火山はあの後も噴火して活火山となった。活火山の怒りの爆発は地球全体にすべての衝撃を伝え、火山灰を撒き散らすはめになった。あとには草一本残らなかった。

「……っ」

 立とうが座ろうが寝転ぼうが何も感じない。あるのはどこが痛いかわからぬ孤独感だけだ。

 信じられない拷問に耐えた。腸を引きずり出され、糞と小便を塗りつけられる拷問だ。さながら殺人事件の現場だった。血が飛散した。鮮血だ。

 ――このすべてが毎日いつどこで起こるかわからないのだ。

 ワトソンはエイミーを思った。すべてはエイミーのためだった。エイミーはいまやワトソンのすべてだった。

 あの細くて華奢な冷めた目をした四女は、赤毛ということを除けば探偵にとてもよく似ていた。出会ったころの朗らかさは三女。口調に反して照れ屋な面は次女。礼儀正しい長女。マイクロフトは握手した逸物のにおい。

 しかしそのすべてはホームズの――。

「あっ」

 直撃する濁流にあえいだ。そんなものが出るスペースはない。エイミーの顔がぼやけた。ホームズの横顔がはっきりと網膜にやけついた。

「やっ、ちょっ」

 もちろん妻も気にならないではなかった。しかし木だけで支えられた留置場の椅子バケツに座った今このときは違う。

 ――妻に開発されなければ、起こらなかった事件なのだから。


 ワトソンは闘いに打ち勝った。





 ホームズは武者震いで目がさめた。

 背中に人の気配を感じる。

「ワトソン――?」

 彼のはずはない。ワトソン博士は拘束され、裁判を待っている身のはずだ。

 自分を起こさずベッドに入ってこれる技術を持ち合わせていない。

 薄暗い室内のどこかで、衣擦れの音がした。ホームズはため息をついた。

「エイミーか」

「――なぜわかったの」

 ジョーとベスはマイクロフトのところに泊まっている。メグは絶対に兄のベッドにくることはない理由があった。

「怖い夢でも見たのかね」

 ホームズは背中に女性らしさのない骨と皮だけの肉体を感じた。

「兄さん。聞きたいことがあるの」

「――」

「そのままでもいいわ。お願い。兄さんの口から聞きたいの」

 ホームズは暗闇でうなずいた。「いつかは来ると思っていたさ」

 妹は息をつめた。兄はこれから聞くことも見当がついているのだ。

 エイミーは覚悟を決めた。

「私ね。昔から、兄弟の中で馴染めないなにかを感じていたの。……知ってた?」

「おまえが悩んでいることも、すべて。兄弟みんな」

「父さんは黒髪、母さんは栗毛、金髪の従兄弟もいるけど、親戚の中に赤毛はいないわ」エイミーはすうと息を吸った。

「溜めては駄目よね。聞きたいのはつまり、そういうことよ」

 ホームズは起き上がり、ベッドに寝そべる妹を見ないように立ち上がった。ひとこといった。


 ――そうだ。


「わかった」エイミーは笑った。ひとつ年上の姉を真似て明るく振る舞った。「ありがとう。そうなのね。やっぱり……そうだったのね」

「エイミー」

「それでね。兄さん」

 エイミーはぽたぽたと流れる涙を懸命にぬぐった。

「もう、無理だろうけど。今夜は、今夜だけは、一緒に寝てくれる? 私ね、エリザベスと、ベスと話して。それで、あのね」

 ホームズは振り返らなかった。「駄目だ」

 エイミーは食い下がるつもりだった。

 扉をキイと開けてうつむいた兄の月明かりに照らされた唇が、震えているのを見るまでは。

「駄目だ――すまない」


 ――返事はなかった。


 二人はおやすみも言わずに別れた。




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