【事件簿】


『探偵は如何にして恋をしたもうか』




 さて、読者諸君。

 さも不得手のように書かれてきた探偵の女性関係について、ここらで弁解しておかなければならないだろう。

 ホームズが婚約破棄をした経緯を発表した直後、あらゆる方面の女性団体から大量の苦情が届いた。動機と結果が最低であると言うのだ。返す言葉もない。

 現実の彼は贔屓目にも異性から見て好ましい容貌ではなく、加えて一般の独身男性と同じくかなりの無精者で、皮肉や批判をすぐ口にする扱いづらい男だ。

 私にしてみればその事実は、VRと穴の空いた壁紙から毎年大量発生する虫のごとく当たり前なのだが、如何せん書いた事柄からしか想像力を働かせてくれない一部の読者には、目に見えぬほうの話はどうでもいいようだ。

 すなわちホームズが知性に溢れたプライドの高い男に有りがちな、女性を手玉にとって騙すことを何かの勲章や趣味としている風に取られてしまったのなら――。

 書いてない行間に何があるのか、最近ではそちらのほうに興味をそそられる読者も多いとみえる。

 たとえばよく断定的な質問を受けるホームズの誕生日だ。もし彼の誕生日が一月某日なら私は嬉々としてそのことを書いた。

 そうすれば一度か二度祝いの日付を忘れたくらいで絶縁を迫られることもない。あるいはそういえばいつだった? となる度にあの本を読み返すこともできたのだ。

 全部で五回も忘れたのだと喚いている当人はさておき、今日は探偵について『書いた』ほうの話をしよう。

 アガサやアイリーンやヴァイオレットなど、彼はなかなか隅に置けない経験をしている。


 まずはメアリーについてだ。


 彼女は私の妻だった。私はあの可愛らしく教養溢れた控えめな女性に夢中だった。

 探偵にしては珍しく彼女を誉める言葉を漏らしたが、私は疑問に思わなかった。

 ボクシングが得意であるとか料理の腕も一流であるとか麻薬を嗜んでしまうのが球に傷であるとか――いきなりなんのアピールだと、当時は疑問で仕方がなかったのだが、いま思えば彼なりの私への対抗心だったようだ。

 無二の相棒にベイカー街を離れてほしくないのだろうと、内心ほくそ笑んでいる男は馬鹿である。

 私はメアリーを問い詰めた。

 実は回りくどい手紙を何通かもらっていたとのことだった。二人きりになると相棒と仕事の話ばかりするので、てっきり牽制されてるのかと思っていたそうだ。

 私を慕っていると伝えたら、ホームズは大層がっかりしていたらしい。これが“そんなことになる気がしていたよ!”に繋がるわけだ。

 私の出方が遅ければ、互いの人生は変わってしまったかもしれない。


 次は『あの女性』だ。


 彼女は探偵をあらゆる意味で翻弄した。そして、華やかな大輪の薔薇を讃えるごとく彼女を褒めた。

 音楽に造形の深い彼は、元から彼女のファンであった可能性も高い。

 一目惚れにせよ顔見知りにせよ、彼はアイリーンを故意に逃がした。私に対しては目の前で別の男に持っていかれた話をでっち上げた。こう考える読者もいるだろう。

 ただし歌姫の婚約者という弁護士こそ探偵であった、と解釈する向きには注意が必要だ。

 失恋したからか女に負けたからか、ホームズはしばらく意気消沈して部屋から出ようとしなかった。

 アイリーンは訃報が届く直前まで歌を歌っていた。密会の機会が入る隙はない。

 探偵は仕事が入れば嬉々として私を誘ったが、その後は滝の一件が起こった。

 色恋の入りそうな時期といえば失踪の間だけだが、彼の兄に確認した限りその余裕もなかった。チベットでは麻薬の依存から抜けるため必死だったらしい。

 ときおり写真を出してはにやっとする探偵を見るにつけ、私が書いたことのない好色な面は堅く封印すべきだと確信するのだ。高い鼻の下が伸びる瞬間は気持ち悪いことこの上ない。


 ヴァイオレット嬢について話さぬわけにはいくまい。


 彼女はある事件で家庭教師をするか否かの相談に来た。手紙を貰った瞬間はあれほど嫌がっていたホームズだが、実際愛らしい女性を前にすると見捨てては置けなくなったようだ。

 いや、はっきり言ってしまおう。探偵は惚れっぽかった。

 普段は本能や感情を制御する機械として一流の男が、異性の前では形無しだった。このころになると本人も自覚していた。数々の失敗のほとんどが可憐な女性の涙に裏づけされている。

 男というものは女の涙を面倒がることこそあれど、庇護欲の気持ちに火がつくことなど滅多にない。しかし美人が相手の場合は別だ。

 私なら髪の色や微笑む唇や大きな胸に心動かされたりはしない。断じてだ。しかし探偵は違った。解く謎もなさそうな事件より、怯える女性に頼られることそのものが嬉しかったようだ。

 もちろん顔には出さない。行動にも出ない。そこは彼のプライドが許さない。私は彼が探りを入れるまで気づかなかった。


「ワトスン。仕事に差し障るな。ミス・ヴァイオレットはね――僕に――」

「好意がありそうだね」私は興味も惹かれず暖炉に向けて脚を伸ばした。

 探偵は私の靴下の蒸れた臭いの正体について早口で推理し始めたが、そのほとんどがはずれていた。



 ことの顛末は気の毒な結果に終わった。


 事件解決後は女に全く興味を失ったように書いてくれ、と探偵は私に頼んだ。満更でもない風に見えた若い女性にアタックして振られた話は絶対に書くなと要求してきたのだ。

 けしかけた責任もあり、私はその通りにした。

 知性が並みの女性よりある人たちは、彼から離れていった。すなわち頭がよく鋭敏な感性を持つ女性ほど、ホームズの本質が異性向きではないことがすぐに読めてしまうのだ。

 もちろん男もだ。私はたった数年で付き合いきれなくなった。

 探偵は女に流されやすい自身の欠点に悩み、理性と相容れないが故に人生から排除しようと躍起になってきた性欲について、私の助言を仰いだ。

「淡泊なんじゃなかったのか」

「淡泊な男が仕事であれだけ精力的になれると思うのかね君は」

「ただ発散できればいいと思うなら、あるいは女慣れして箔をつけたいなら」

 ホームズは私の助言によりメイドのアガサと恋仲になれそうだったが失敗してしまった。

 こうなるともうお手上げである。


 有り体に言えば私とホームズの関係も、物語に書いたほど信頼関係にあるわけではない。誕生日の一件でお分かりだろうが。

 男同士の同居というのはどちらかが女房役を買ってでないことには続かない。性的な意味ではなしに。

 部屋の片付け一つ取ってもホームズは手を出されるだけで発狂し、他に言いようがあるならぜひご教示いただきたいものだが、時に不潔、時に潔癖、常に不精だった。

 今一度、真実を語ろう。

 すなわちホームズが知性に溢れたプライドの高い男に有りがちな、女性を手玉にとって騙すことを何かの勲章や趣味としている風に取られてしまったのなら――。

 それは大いなる勘違いに他ならないと言っておきたいのだ。



 スットコランドマガジン

 19××年×号



□□□


「――これが女性に好かれる秘訣、宣伝文句だって?」探偵は原稿を置き、代わりに新聞を開いた。「ワトスン、僕は女性にモテたいわけではない。いい歳をして金もあるというのに口うるさい主治医と婆やから逃れられないなんて馬鹿げている。自立しようと決意しただけだ」

「ホームズ。自立云々の戯言はともかく、賭けてもいいが女性は男が見せるちょっとした弱みに安堵する生き物だ。君が実際は色男で優男で経験豊富だと知れば、女の依頼者など一人も来ないだろう」

「君のようにかね。あれだけ自分を女から見て魅力的だと書いたのに、現実では家庭教師一人落とせなかった。長年の友達である僕が贔屓目に見ても、熊と話している気分だ」

 私はため息で応えた。

「まったくその通りだ。“そろそろ世間体も気になるので家事育児炊事を任せられる女性と法律上の関係を結びたい”と言い出したときは正気かと思ったが、まあ私の手腕を見ていたまえ。来週は候補者がたくさん押しかけるぞ」

 そうでもなかった。

 というのは故アドラーの年若い娘が翌日になって依頼人として訪れ、適齢期を過ぎた悲しい老人の話相手を買って出てくれたからだ。雑誌の発売はご覧の通り間に合わず、ふたりは愛しあって結婚した。

 世の中もの好きもいるものだから、そう悲観したものではないと独身男性諸君には言いたい。

 それにこのほうが無理がないではないか。誰も不幸にならない。





 訂正・こんな不公平があっていいものかと嘆くばかりの老人物書きの存在を忘れてはならない。医師免許あり。髪の毛あり。印税あり。贅肉と世話の妬ける友人少々難あり。

 追記・外見の熊っぽさにかけては右に出るものおらず。連絡乞う。


 ――ジョン・H・ワトスン


End.




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