【事件簿】


『ハドソン夫人の優雅な日常1』




 1

 小さくなったホームズは、ミセス・ハドソンと妙に仲が良い。

 彼女に想いを寄せている私には、ぜひとも確認しておくべきことがある。朝食の席でそれとなく聞いてみたのが始まりだった。

「いやいや。それは誤解だよ、ワトスン。地球が太陽の周りを回っているなどというヨタ話くらいあり得ないことだ」

「探偵を気の毒に思った漫画家が髪の毛だけ描き増やしているというヲタ話くらいあり得ないことですわ」

 私はため息を吐いた。

「どっちもあり得る気がするんだが」

 ホームズはなんらかのショックを受けたらしく、空中に目をさ迷わせている。

 ハドソン夫人が『生え際の魔術師』と囁いたのがますます彼に刺激を与えたようだ。一気に茹で蛸のようになった。

 何かの暗号だろうか? それも恋人同士の。ホームズを事件以外で赤面させられる女性は、私の知る限りいない。

「二人はつきあっているんだね」

 私の落胆した声に、ホームズがかぶりを振った。

「いやいやいや! 今のセリフのどこをどうしたらそこまで飛躍できるんだ、ドクター」

「……」

「探偵は女嫌いイコール男色家イコール非童貞並みに結論を急ぎすぎです」

 ホームズがぐっと呻いた。ハドソン夫人の微笑みを宿した唇は麗しいが、氷の如く冷たい目が彼を見つめているのは世にも恐ろしい。

 人形はぼそりと呟いた。

「――僕が下の場合を想定してるのか」

「どっちの相手もいないという実にありふれた可能性です」

 暗号は日々進化しているようだ。私が会話を覚書き帳に記そうとすると、二人して止めてくる。ますます怪しい。

 私は努めて冷静な風を装った。

「そういえばホームズ、君は必ずといっていいほど僕とハドソンさんのデートについてくるじゃないか」

 ホームズはもじもじとして、膝頭を抱えた。床に指をつきたて円を描く。「そ、それは……その。別の視点で考えることを勧めるね。ワトスン」

「別の?」

「たとえば探偵が好きなのは医者で、伝記作家で、男で。デートについて行くのはむしろ彼が目的だとか――」

「えっ」

 ホームズの言い回しに思い当たる節があった。そうか。それなら合点がいく。私は驚きを押し隠してため息をついた。

「本当にすまなかった。出版代理人のドイル君とはもう何年も音沙汰がないんだ――君のわかりづらい愛情表現は彼にはまったく届いていないからね!」

 どうしたことだろう?

 ホームズは口をあんぐり開けて固まり、ハドソンさんはご機嫌になって「お茶を淹れてきますわね」と階下へ行ってしまう。

「いやいやいやいや! そこになんで大顔の髭もじゃらのスピリチュアル・ドクニートが出てくるんだっ」

「ドクニート?」

「本業をまっとうせず辞めたあげくに副業も放り出し怪しげな講演会と妄想に満ちた分厚い学術書を出版する者の総称さ」

 私は侮蔑にまみれたその言葉に、彼らしからぬ執着を感じた。人生に数多く訪れるいかなる人物にもこだわりのない男が、ここまで感情を露にしている。

 その理由はひとつしかない。

「よければ間に入ろうか。紙に描いた羽根をつけて妖精のふりをすれば、今の君ならひょっとしたら」

「僕の話を聞いてるのかい」

 大顔の髭もじゃらとは誰のことだろう。ドクター・ドイルは世にも美しい佇まいの痩身の二枚目である。

 麗しい光を秘めた眼差しが八頭身の体を引き立て、彼の吐く息と言葉と肉体を超越した魂の講演は、淑女たちの心を捕らえてやまないというのに。

「大体そこに何を書いてるか想像がつく。出演者のほとんどが五割増しの君の日記帳には、少女趣味に歪んだ妄想界の華やかな住人たちが住んでいた」

「創作手帳といってくれ」

「度があってない眼鏡をはずしたまえ」

 ぶりぷりとごまかされてしまった。

 しかし今日という今日は真実を突き詰めなくてはならないのだ。






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