1000hit記念企画 | ナノ

1000hit記念企画

もしかして記憶喪失?01
目覚めたとき、赤い目の男性が私の顔を覗いていた。見覚えのある赤と深い眉間のしわ。確かに見たことのあるはずなのにうまく思い出せない。誰だろう。……ダメだ、まるで霧の中を探るような感触だ。目の前の彼だけじゃない。目覚める前のあらゆる記憶がそんな具合だ。なんだか私という人間は今始まったかのよう。いや、たしかに知っているという感触がある以上そんなはずはないのだけども。

気のせいか頭が痛い気がする。そっと頭部に手をやると薄手の布が触れた。おそらくは包帯だ。後頭部で手を上下に動かすと包帯はそこそこの幅に巻かれていることがわかった。でも、やっぱりどうしてこんな大層なものを巻くハメになったのか、どうにも思い出せない。

「ここは……」
「医務室だ」

言われてみればヨードチンキや脱脂綿、包帯に鍵の掛かった戸棚にはモルヒネや眠剤、確かに医薬品の類が目立つ。何らかの原因で頭部に打撃を負った人間が寝かされているという点から考えても、医務室という言葉に間違いはなさそうだ。いかんせん、私にはこの人のことは覚えにない。会ったことがある気がする程度の認識だ。少しばかり身構えてしまう。

「どうしてこんな事に」
「覚えてねえのか」

低い声で投げかけられた問いに頷けば、彼の眉間の皺は更に深くなった。あのカスが、と地の底から響いてきそうなほど低い声がここに居ない誰かを罵った。もしかしたら私が担ぎ込まれた原因となった人に対してかも知れない。

「てめえの名前は」
「わかりません」
「みょうじ・なまえだ」

名前を教えられても自分の物の気がしない。首を傾げていると読めない表情で彼は私を見つめていた。赤い双眸に心の底まで見透かされているような気がしてどこかむず痒いようなそんな感じがする。

「オレが分かるか」
「……いいえ」

彼は今度は何も言わなかった。すっと立ち上がってしまうと、扉の方に歩きだしてしまう。あの人一体何だったんだ。というか名乗らなかったよ。見舞いに来るくらいには親しい間柄なのかもしれないが。まさか、恋人?いやいやまさか。あんな怖そうなお兄さん、でもあんまり違和感はない。恋人といわれてもなんとなく納得してしまう自分がいた。

赤い瞳の彼が出ていってから暇を持て余した私は、手を開いたり閉じたり、足を揺すったりしていた。とりあえず、手も足も動くから神経に深刻な損傷が見られるわけじゃなさそうだ。感覚もしっかりある。やがてそれにも飽きて、窓の外から空を見上げる。太陽の光が雲に遮られて大分柔らかい。悪くない日だ。どうしてそう思うのかはさっぱりわからないが、とにかくそう思った。

*

「うむ、全生活史健忘ですな」

人の良さそうな好々爺といった風体の医者が診断書を書きながら言う。私の目にペンライトの光を当てたり、物の名前やイタリアの大統領の名前を言わされたり、そんなことをされた結果がこれだ。つまり、私は自分に関することをまるっと忘れているらしい。幸いにして知識の忘却はないらしいから、人間関係は非常にややこしくなるが、仕事はできないわけではなさそうだ。給料をもらっている以上、その給料分は働かねば。

「いつ戻る」
「半日で戻るかもしれませんし、十年たっても戻らないかもしれませんなあ」

男の人の質問に困ったような口調で返す老医師。彼は明らかに不機嫌そうなオーラを放っているのにおじいさんは気にした様子もない。むしろ慣れている空気すらある。医者に何を言っても仕方がないと彼もわかっていたのか盛大に舌打ちをしただけだった。旧知の仲、というやつだろうか。

「まあ、若い方は刺激も多いだろうし、何かの拍子ですっともどりますよ」

老医師は、はっはっは、と豪快に笑った。結構なお年だろうに銀歯も入れ歯もない綺麗な歯をしていらっしゃる。そういえば聞き忘れていたが、一体私は何があってこんな記憶を落っことすことになったのだろうか。

「あの、私、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか」

それを聞いた老医師は坊っちゃん言ってなかったので?と不思議そうな口調で男の人に問いかけた。男の人は吐き捨てるような乱暴な話しぶりだが、身なりや立ち振舞に雰囲気は、確かに坊っちゃんでも違和感はない気がする。男の人もとい坊っちゃんはえらく不機嫌そうな顔で口を開いた。

「てめえの上司が屋敷のトラップに引っ掛けた」
「屋敷、トラップ」

なぜそんなものが屋敷にあるのだろうか。嫌な予感しかしない。

「ここはヴァリアー本部だ」

知識ぐらいは残ってんだろ、と坊っちゃんがありがたくも説明になっていない説明をしてくださったので、頭の中の百科事典をひっくり返してヴァリアーなる組織を検索する。

ヴァリアー。超巨大マフィア、ボンゴレファミリーの誇る最強の暗殺部隊。おそらくは地上で彼らに勝てる暗殺部隊はいないと言われるほどの超絶精鋭集団。それがヴァリアーだ。

その本部に上司がいるということは、つまり、あれだ。私は暗殺部隊ヴァリアーで働く人間だということになる。え?え!?

「えっと暗殺者」
「あんな初歩的なトラップに引っかかるような、鈍くせえのが暗殺者なわけねえだろ」

はい。違ったらしい。安心できるような、ひどく傷ついたような。頭以外の場所が痛い。具体的に言うと胸のあたり。あんな初歩的なと形容されるレベルのトラップに引っかかる程度には私はトロ臭いらしい。いや、彼らの規格と私の規格が違うだけだと信じたい。私は普通の人間で、彼らが人外の領域に両足を突っ込んでいるだけなんだきっとそうなんだ。

「てめえは補給班だ」
「あ、そうですか」

補給か、なんかそう言われるとしっくりくる気がする。多分天職だったのだろう。人間、なかなか自分にあった職業につけることは少ないと言うし私はなかなかラッキーだったのでは。

「今日は休め。寝てろ」
「はい……あ!」

突然叫んだ私に二人からの視線が突き刺さる。私は意を決して唇をもう一度開いた。

「えっと、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

きょとんとした顔つきになった坊っちゃん。それをまじまじと珍しいものを見たと言いたげな表情で見る老医師。彼は老人の好奇の視線に気づいたのかすぐに表情を仏頂面に変えてしまった。

「XANXUSだ」
「坊っちゃんはヴァリアーのボスなんですよ」

この坊っちゃんはXANXUSというらしい。そしてさらっと投下された爆弾に思わず固まる。まあ確かにこんな入れ替わり激しそうな組織の古株っぽくて、なおかつあの威厳だったからそんな気はしていたけれど。そっか、この人ボスなんだ。ボスにお見舞い来てもらってたんだ私、そんなにエライ人間なのかそれとも心配されてるのか。
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