沢田さん家の長女さん! | ナノ

沢田さん家の長女さん!

長女さんの遠い過去:その3
オッタビオが二人を中庭に連れ出してから約30分が経過したが、二人の関係性は一向に改善する様子が見られなかった。広い空間に出たおかげで空気の重苦しさは幾分かマシにはなったが、それでも何かあればにらみ合う二人を見守るのは彼にはいささか荷が重かった。

どうせ喧嘩しないだろうという油断と、本部の奥深くのここならば安全だという慢心がオッタビオのミスだった。彼は庭師に声をかけられ、二人それぞれにここを離れることがないように言い残し、いそいそと鉄のカーテンの間から抜け出した。

お目付け役がいなくなった子供は暴走を始める。XANXUSは一人でぼんやりと座っている愛海に静かに近づいていく。芝を踏む小さな足音に彼女は音の方を振り返った。思っている以上に近い距離に少年がいることに気づいて思わずこわばる少女。

この時彼女の脳裏には最初に遭遇したときに壁際まで追い詰められて『何か』をされた場面がぐるぐる回っていた。少女は少年に背を向け井戸の方に全速力で走った。少年ははっきりと嘲りの表情を浮かべ、彼女の背を追った。

二人が井戸の近くに来た時、それは起こった。

突然二人の足元が崩れ、彼らは大きく口を開けた古井戸に放り出された。悲鳴を上げる間もない出来事。それでも愛海はとっさに少年の手と井戸の壁を構成する石材を掴んだ。井戸が崩れた際に落ちていった石が1秒ほど間を開けてごとりと音を立てた。もし落ちれば自分たちもああなるのだと彼女は理解した。

愛海がとっさに掴んだ石材はかろうじてモルタルで他の石と結びついているが、いつ他の石と同じように剥がれ落ちるか分からない。彼女はもう片方の自分よりか幾分大きい手を強く握った。

自分と彼を支えるので精一杯の彼女の力では這い上がれない。誰か人を呼ばなければ。少女は日本語で誰か、と叫ぶ。彼女の叫びが井戸の中に不気味に反響したが、助けが来る様子もない。

井戸のやや下にいるXANXUSはまた別のことを感じ取っていた。井戸の中から僅かに黒色火薬の臭いがしたのだ。帝王学として様々なことを叩き込まれていた彼は、この臭いをかいで一つの可能性――この井戸の崩落は黒色火薬を用いて、人為的に引き起こされたものだという可能性を導き出した。

狙いは確実にボンゴレ10代目候補の自分だ。何度かこの中庭には自分一人できていたからずっと機会を伺っていたのだろう。そして罠を仕掛けた以上、仕掛け人は確実に自分の戦果を確認すべく、近くにいる。このか細い手の持ち主がいくら助けを求めたところで、真っ先に来るのは下手人だ。自分ごと殺されるのが関の山だ。それかこの少女が下手人とグルなのか。

悩む彼の前に男が現れた。男は石にしがみつく彼女の手をしっかりと握った。彼らの位置からは逆光になって男の顔は見えない。だが、服装から、男が庭師であることはわかった。XANXUSはこの男が下手人と見て、鋭い視線を向ける。

愛海は男が来て、自分の手を握った時、安堵するのではなく、凄まじいまでの怖気が走るのを感じた。出所の分からない恐怖に顔をこわばらせる彼女を見て、男は少し笑ったようだった。少年の手の温度を確かめるように彼女は片方の手を握る。少年は何も言わなかった。

「名も知らぬお嬢さん。少しお話をしようか」

庭師は唇を三日月のような形に歪めた。愛海の怖気は強くなる。今彼女の手を掴んでいるのは男だ。男がその気になれば、愛海の手を離し、今度こそ井戸の底に落とすことも出来るのだ。つまり、彼が、彼女と少年の命を握っているとも言える。

「聞き分けのいい子で助かるよ」

男はうっそりとした笑みを浮かべている。手を掴んでも引き上げず、そもそもいの一番にやってきた、何より彼女の直感は悲鳴を上げていた。この男こそが、井戸を崩落させたのだと。事故に見せかけて自分たちを抹殺しようとしたのだと。

「その少年の手を離しなさい。そうすれば君は助けてあげよう」
「どうして、こんなことを」
「君が手を繋いでいる少年が邪魔だからさ」
「なんでじゃまなの?」
「まだ幼いレディにはわからないことさ」

男のはぐらかすような言葉に、愛海は眉をひそめた。会話が不穏なものだと雰囲気で察したXANXUSは彼女の分からない言葉で男に呼びかけるが、男は彼女に話す声と打って変わって厳しい声で何事かを言った。彼女は、この話し方こそが、この男の本性なのだと悟る。

「もしかして、XANXUSのことを気にしているのかな?大丈夫さ、彼は最初から君の手を掴んでなんていなかった。そういうことにしてあげよう」

足元から震えるほどの甘い言葉。でも彼女はなんとなく感じていた。もし少年と自分の位置が逆だったら問答無用で落としていた、と。それは彼女を巻き込む形で井戸を崩落させたことからも分かる。この男は、目的のために犠牲が必要ならば、ためらいなく他の誰かを生贄に捧げるような男だと、彼女は気づいていた。

この男の手が離されれば、絶対に二人共助からないだろう。自分が手を離せば、彼は助からない。愛海は、手をしっかりと握っている少年の顔を見る。彼は自らにとってこの状況は決して良くないことを薄々分かっていながらも、その赤い目は真っ直ぐに男を見据えていた。彼女はその瞳に射抜かれたような錯覚を抱いた。そして、もう一度男を見上げる。愛海は、一つの結論を口にする。

「ぜったいに、いや」

彼女は普段の気弱な態度を一切打ち払った口調で男の持ちかけた取引を一蹴した。何を言われたのか理解できなかったのだろう男の顔が驚愕に満ちたものになり、やがて怒りに歪んでいく。愛海は男に手を離される前に自分からその手を離した。

重力に従い落下していく体。光はどんどん遠ざかる。愛海はそっと、少年の体を引き寄せ、抱きしめた。彼女にとってこの一秒ほどの落下は、永遠にも感じられた。

なにかないか。自分と少年が二人共助かる何か。愛海は必死で考えを巡らせ、下方に、横穴を見た。あそこに入れれば、助かるかもしれない。

彼女は空いた手に炎を灯し、横穴と反対方向に噴射し、飛び込んだ。炎を灯したのは殆ど直感ではなく、確信だった。少年のあの炎を改めて思い出したときに、気づいたのだ。あれは、形こそ違えど自分にもあるものだと。彼女はそれを己の手に灯し、運動エネルギーの向きを変えた。

愛海はほとんど墜落に近い形で額を打ち、地面に擦った。その体が静止したとき、彼女は額を覆う激痛に呻き声を上げた。彼女が抱え込んでいた少年に怪我は一切ない。

彼女たちが静止した直後に、がらがらと石が崩れる大きな音を立てて、井戸が崩落し、横穴の入り口の7割ほどが石に埋まった。男はこの横穴の存在を感知していなかったのか、彼らがいる横穴は崩落の憂き目を逃れている。少年はゆっくりと身を起こす。彼女は苦痛に顔を歪めたまま、起き上がらない。

少年から見た少女の有様は酷いものだった。服はあちこちが泥に汚れ擦り切れ、顔の左半分は血にまみれている。額から流れる血は横穴を舗装する石と石の間の溝に満たされていく。頭を切ると出血が多いとは彼も聞いていたが、それにしても量が多い。

無傷の少年にはいくつかの選択肢があった。一つは彼女を置き去りにして、自分だけでこの先に進むこと。だが、助けを呼んでやるにしろ呼ばないにせよ、戦果を確認するためにここにやってきた男によって、彼女は殺される可能性が高いだろう。もう一つは、彼女を連れて脱出すること。この状態の彼女を連れていれば、間違いなく彼にとって足手まといだ。戦うこともままならないだろう。

だが。ちらりと少年は少女を見下ろす。男と少女のやり取りは少年にはわからない。それでも、彼女は自分を助けた。自分の顔に浅くない傷を作りながら。いずれボスになる自分は部下の行為に報いなければならない。自分の不利益になることならば制裁を。自分の利益になることならばそれなりの報酬を。この場合、彼女に与えるべきものがどちらかなど考えるまでもないことだった。

少年が自分の言葉で何事かを言う。彼女は両手で額を抑えたまま一切反応を示さない。傷の具合を確認しようと少年は愛海の手を患部からどけようとするが、余程痛いのか、彼女はその手を動かそうとしない。彼が手を引き剥がそうとすれば、彼女はそれ以上の力で手を止めようとした。

少年はそっと彼女を抱き起こし、顔の血を自分のハンカチでそっと拭ってやる。そのハンカチを傷口を押さえる彼女の手に当てる。使え、少年は、言葉が通じないと分かっていながらも声をかけた。少女の血に塗れていない片方の目がゆっくりと開く。もう一度少年は同じことを言った。ハンカチを少女の手と顔の間にほんの少しねじり込むように入れる。

彼女は少年の言わんとすることが分かったのか、そっと傷口から手を離した。少年は小さく息を呑む。

ひどい傷だった。髪の毛の生え際から眉毛の近くにかけてのびる傷口。かなり深いところまでえぐられている上に、まだまだ出血が収まる様子はない、彼の目にはそう見えた。傷跡が残るかもしれない。そっと傷口にハンカチを当ててやる。本来ならばガーゼのほうがいいのだろうが、贅沢は言ってられなかった。

少年は、泣き出しそうな彼女をそっと起こしてやり、腰を抱えて歩き出した。
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