夢か現か幻か | ナノ
June bride part.1
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6月も折り返しを迎えたものの、まだまだ梅雨真っ盛りのこの時期。梅雨の合間の数少ない晴れの日だ。この機に布団を干そうと女中さんが動き回っている。自分もシーツを干したいな。

短くなったせいで広がりやすくなった髪の毛を束ねて仕事をしていると、誰かががたぴしの引き戸をこじ開けようとして阻まれる音がした。もれなく悪態も付いてくる。この声は土方さんだ。一体何の用だろう。事件があるとか討ち入りとかの話は聞いていないけれど。

第一、前線復帰は認められていない。まだ入院前の水準には戻っていないという判断が下されたからだ。毎日毎日、再訓練と称してしごかれ、この前なんて疲れの余り渡渉点でもないのに川を渡りかけた。カチ渡りしようとしたら入水と間違われて、奉行所の人にお説教されたのは1週間経ってもまだ語り草になっている。

考え事をしている間に、引き戸のこじ開けダイスロールに成功したらしい。土方さんが顔を出した。

「お前に仕事だ」
「はあ」

昼下がりの医務室で言い渡された仕事とは――。

*

江戸某所。都会の喧騒からは少し離れた小綺麗な丘の上のチャペル。綺麗に整えられた洋風の部屋で椅子に腰掛ける自分を、見知った男性らが取り囲んでいた。

「おお、似合うじゃないか!」
「馬子にも衣装だねィ」
「先生綺麗ですよ!ほら、写真撮るから笑って笑って」
「…………」

控室で各々が好き勝手言っている。でも半数以上は割合好意的な反応だ。少し安心する。若干一名が沈黙を保っているけれど、なにか変だろうか。

異常がないか確認するために鏡を見る。頭にはキラキラ光るティアラ。床まで垂れる長いベール。きっちりセットされた髪の毛。顔には普段ならここまでやらないであろう化粧。そして純白のドレス。真っ白の豪奢なレースの布は尻尾が床を引きずっていて、ゴミが集まりそうだなと色気のない事を思った。靴も真っ白でレースで彩られた特別な品だ。ヒールの靴を履き慣れていないせいか、歩きにくくて仕方がない。

つまり、端的に言えば、あたしはウェディングドレスを着ている。変なところはないはず多分。

黙り込んでいる若干一名、土方さんは一体どうしたのだろう。みんなは似合っていると言ってくれているのはお世辞で、実際変とか?それとも防弾チョッキのラインが出てしまっているだろうか。それとも腿にセットしている短ドスの存在が足捌きのせいで分かってる?

――そう。ドレスを着てはいるけれど、別にあたしが結婚するわけじゃない。れっきとした任務だ。自分は花嫁『役』として顔しか知らないお兄さんの隣を歩く事になっている。危険な任務なので、ワンサイズ大きなドレスの下には防弾チョッキを着て、ある程度は安全を確保している。

こんな事をやる羽目になったのは、端的に言うと、つまらない痴情のもつれだ。もつれた原因は花婿のお兄さんの元恋人。

そのお兄さんは顔も麗しくお金持ち、そんな一見すると良物件を女の子が放っておくはずもなく、かつてはガールフレンドがたくさんいた。その内の一人が凶悪ストーカーと化してしまったのだ。

しかし愛に障害はつきものと燃え上がる二人にはつまらない妨害は通用せず、晴れてめでたく結婚の流れとなった。それでも諦めない元カノさんは、強硬手段に及んだ。

義理で招待状を送った式に参加の意思表明をしてきたのだ。幸せに沸く花婿達のもとに、新聞の切り抜きを使った古典的な脅迫状と実弾が返送された。実力行使を暗示している事は疑いようもない。標的は花嫁だ。

愛する我が子の結婚を妨害する無粋な輩に心を痛めた新郎新婦の母親達は、相談した。どうすれば結婚式を潰されずに済むかと。

母親会議の結果、警察の手を借りるしかないという結論に至り、幕臣の花婿側の父親を通じて我々の上司たる松平公に相談した。そして、その松平公は、花嫁護衛及びストーカー女の捕縛を真選組私 達に丸投げした。真選組の職務は幕府に仇為す不逞の輩を捕縛する事であって、松平公の便利屋じゃないんだけども。

切った張ったが日常の真選組は殉職率が依然高く、充足率も低い。自分が来てからは少しマシになったけれど、それでも減る数の方が多い月は何度かある。つまり、頭数が足りていない。暇じゃないのだ真選組も。

そんな中に舞い込んできた愛憎劇にいい顔をしなかったのが、今控室で仏頂面をしている土方さんだ。そりゃストーカーは奉行所の管轄だ。嫌がるのも分からなくはない。この仕事を受ける事になったのは近藤さんの独断だし。まああのクソカエルも護ったんだ。真正の一般人の命が狙われている場面で、あの人が立ち上がらないわけもない。

しかし、それで関係各所や勤務なんかで調整を強いられるのは近藤さんの腹心の部下たる土方さんだ。彼はここ1週間ほど調整を繰り返していたようで、あまり休む暇がなかったようだった。煙草の本数が飛躍的に増えたし、山崎さんの怪我の頻度は高くなったし、医務室でたまに漏らす愚痴もそこそこ切実だったのを覚えている。

土方さんが大変なのは傍から見ていただけの自分もよく分かっている。でも、命を狙われる一般人を放っておけない近藤さんの心情も分かる。経緯はどうあれ、決まってしまったのは仕方がないのだから、せっかくの晴れの舞台で暗い顔をしないでほしいと思うのは人情だろう。たとえ、自分のそれじゃないにせよ。

胸の内で手はずを確認する。

作戦は簡単だ。花嫁と背格好が似ているあたしが花嫁に扮して、もともと式をやるつもりだった時間にヴァージンロードを歩き、宣誓を行う。多分宣誓の途中でストーカーが割って入るだろうからそこで捕縛。それだけ。披露宴までもつれ込んだ時のためにカラードレスも用意してある。大丈夫なはずだ。

だから暗くなる要素は特にない、はず。組織的な犯罪の兆候はない。近藤さんに土方さん、そして沖田さん、それに山崎さんと、少数ではあるけども、真選組の隊士の中でも精鋭揃いだ。失敗する事はまず無いと思う。

「土方さん、似合いませんか?それとも防弾チョッキがはみ出ていたりしますか?」
「ちげーよ。なんで俺達が自分のケツも拭けねェクソガキの後始末をしてやらなきゃならねーんだ」
「それには同感ですがねィ。ウンコ拭いた後のトイレットペーパーみたいなそのツラは止めてくだせェよ」
「誰の顔がウンコ付きだクソ野郎。ったく。シケたツラしたくもなるぜ。男らしく的を絞らねェから、こんな時にまで女に足引っ張られるんだ。同じ男として情けねェ」
「まあまあ、せっかく俺達を頼ってくれたんだから」

まさに立て板に水とばかりに流れる不平不満。そういえば、今日が公開日の映画を見に行くつもりで週休入れてたんだっけ。貴重な休みが潰れたんだ。そりゃ愚痴りたくもなるか。

「郵送されたのは実弾だったんですよね」
「それも新型の拳銃が使う弾丸だ」
「じゃあどこから入手したのか、ルートを解明すれば浪士達の武器の流れを突き止められるかもしれませんよ。我々や幕府陸軍どころか見廻組だって配備してない最新鋭で高性能な武器を使ってくる浪士が増えて、手を焼いてましたもんね」
「ああ、馬鹿の手に渡ったおかげで、もっと大きな魚の餌が手に入ったのは確かだがな。それにしたって、タチの悪ィ女だ。今更結婚相手を殺ったところで意中の相手が手に入るとでも思ってんのかね」
「思い通りにならないのなら、いっそ全部壊しちまえって考えてるのかも」
「なお悪いな」

間違いない。そうだとしたらひどい話だ。そんな事をする余力があるのなら、そのエネルギーをもっといい人を探すのに当てればいいのに。

「男も女も見る目がねェな。本物の花嫁もどんなもんだか」
「それが清純を絵に書いたようなお方で。しかも交際関係もクリーンかつ、商家のお嬢様。そっちになびくのは大いに分かりますよ、同じ男として」
「そうは言うがな、人間なんざ、一皮剥いたらなにが出てくるか分かったもんじゃねーぞ。特に女は厚化粧だ。剥いても剥いても出てくるのは化粧でベッタリの顔ばっかりで嫌になる」
「あら、あたしの事もそう思っていらっしゃるんです?」
「……お前は素でも笑えるといいな」

言われた言葉が不意をつくものだったので、つい固まってしまう。いつも笑っているつもりなんだけど、この人にはそう見られていなかったらしい。……そういえば、隊士になるだいぶ前に、本当に笑っていると崩れたような笑顔になるって言われてたっけ。昔よりは笑うようになったとは言われるけれど、それでもやっぱり不十分だと思われているらしい。

「女としては綺麗に笑える方が良いなと思いますよ」
「それが本気で笑ってんならな。お前は大抵その場の空気で笑ってるからだろ」
「そうですね。やっぱり分かりますか」
「3年も一緒にいるんだ。そのくらい分かる」

とはいえ、自然に笑うなんてどうすればいいのやら。

*

ワイワイガヤガヤと、花嫁の控室とは思えないほど野太い声で満ちている控室に、抑え気味のノックが響いた。

入ってきた母親達と本物の花嫁は深々と頭を下げた。花嫁さんは綺麗な人だ。それでいて纏う空気は清廉で、なるほど男性とはこういう女の人が好きなのだなという理想をかき集めたかのような立ち居振る舞いだった。山崎さんが鼻の下を伸ばしている。アンタ、この人は他人の花嫁さんですよ。

「真選組の皆さん、この度はうちの馬鹿息子のために、お忙しい中わざわざ警備に来ていただいて、申し訳ありません。しかもこんな若い娘さんを囮に使わせてしまうなんて」
「大丈夫ですよ。市民の安全を守るのが我々真選組の職務ですから」
「本当に、こんな事になってしまうなんて花婿の母親としてお恥ずかしい限りです。私がしっかり躾けておけば……」
「いえいえ、娘もこれを承知で結婚したのですから。外部の方にまで助けを頂いているのです。このくらい乗り越えられずに、この先の人生が乗り越えられましょうか」
「すみません。どうかよろしくおねがいします」
「はい。全力を尽くします」

真っ先に銃撃される危険性が高いから、万が一に備えて替え玉になったのはいいけれど、花婿の方はどうなっているんだろう。花婿はあたしみたいに素顔をベールで隠すわけにもいかないから、防弾チョッキを着せた花婿をそのまま使う事になったのだ。

母親達は互いに慰め合いながら早々に立ち去った。そりゃ花嫁でもなんでもない小娘の着替えなんか興味ないだろう。居られても正直邪魔だ。

「今更だけど、今からでも他の方法を考えるべきかもしれんな。胴体は防弾チョッキがあるから大丈夫だけど、もし頭に当たったりしたら」
「相手は素人でしょう?なら小さい上によく動く頭にはまず当たりません。自分としては、それよりも心配なのは周りへの被害です。もしギャラリーに当たったら大目玉ですよ」
「客は殆どを真選組隊士に入れ替えておいた。残った一部は俺達が守る。お前は自分の安全だけ気にしておけ。ここにあたったら死ぬぞ」

土方さんの指がベビーパウダーをはたいた鎖骨の下を撫ぜる。ちょうど肌が顕になっている部分の下は、太い血管が多く通っている危険地帯だ。原本がいた世界だと、拳銃弾が鎖骨に当たって跳弾しそこから下行大動脈に当たって死ぬ、なんて痛ましい話もあった。下手くそだから当たったりしない、と思いたいけれど、下手くそだから当たるって場合も少なくない。

「やっぱり囮は危ないか。別のやつに変わってもいいんだよ?いっそドレスを着ないとか」
「このデザインじゃ骨格モロバレなのに誰と変わるってんですか。それに直前で気付かれて逃げられたりしないためにも、ドレスは必要だって結論になったじゃないですか」
「そうなんだけどさ、やっぱり心配だよ。嫁入り前なのに、これ以上傷が増えたりしたら」
「大丈夫でさァ。この人はとっくの昔に傷物です」

父親の口癖が飛び出しそうになるのをぐっと堪えていると、沖田さんがなぜかふと笑った。揶揄うような、どこか慈愛めいているような。……沖田さんと慈愛なんて対近藤さんでもない限り、最も縁遠いワードだな。多分気の迷いに違いない。

「こんな人に付き合えるのは俺達くらいしかいませんぜ。安心してくだせェ。どうしても貰い手がないってんなら――」
「すみません、僕のためにこんなに人を割いてくださるなんて……あれ、お邪魔でしたか?」

ノックもなしに飛び込んできたのは白のタキシードに身を包んだ青年だ。今日の主役の片割れ、花婿だ。確かに、モテるのも分かる。甘いマスクは世の中の女性がころっと行きそうな感じ。……でも沖田さんとか土方さんを見慣れていると、あんまりすごく感じない。

「未婚の娘がいる部屋に入るのにノックもなしかィ。さっきてめーのかーちゃんが言ってたように躾がなってねェな」
「ちょっと沖田さん!」
「すみれ先生は黙っててくだせェ」
「お前は下がってろ」

奴なりに思う事があるんだ。土方さんはそっと耳打ちしてくれた。……男心は分からない。でもこの空気はちょっと困るな。結構ピリピリしてる。でも、花婿さんは沖田さんの言葉を完全に無視して、土方さんを押しのけてこちらに歩み寄ってきた。視界の隅で土方さんが顔を引きつらせるのが見えた。

「すごくお似合いです!貴方の写真を拝見して、これがいいんじゃないかって選んだ甲斐がありました!」
「新郎さんが選んでくださったのですね、ありがとうございます」
「いえいえとんでもない。それにしても素敵な人ですね、肌も白くて柔らかくて……」

手の甲を撫でられて「ん?」と感じる。けれどまさかそんな事はないだろうと思ってスルーしていると、土方さんが花婿さんを無理やり引き剥がした。

「はーい、そこまでー。そろそろ時間だ。俺達も最後の打ち合わせをしたいから、ちょっと出てもらえるかなー」

わざとらしく伸ばされた言葉尻に、土方さんの苛立ちを垣間見た。沖田さんは沖田さんでさっきよりも更に殺気立ってるような。彼らの中で一体何があったんだろうか。

花婿さんは渋々と言った様子で退室した。近藤さん以外の男性達は塩を撒かんばかりの形相をして、その背中を見送っていた。

「もう、どうしたって言うんですか」
「お前……そういう方面にはえらく鈍いよな」
「どうして人間ってやつァ自分は違う、安全だって思っちまうんですかねィ」

なんか、貶されてないかあたし。そういう方面ってなんの事だかさっぱりだ。まさか花婿が会ったばかりの女に靡くはずがないだろう。……まさかね?違うよねという願望を込めて土方さんを見ると、真顔で見返された。

「……ひょっとしてコナかけられてたんですかね、あたし」
「どう見てもそうだろ。お前鈍いな」

思考が硬直した。あんなんだったらそりゃ妙なの引っ掛けるわ。すると、ますます女の人の心理がわからない。ダメンズウォーカーとかその類いかしら。

「え、あたし中身が破綻してると思うんですけど」
「でも外見だけは上玉だ。件のストーカー女も見た目はマトモだったから、そこだけ見て選んだんだろうよ」
「外見だけは割合マシな方なのは自覚している事とはいえ、面と向かって言われると腹立たしさが増しますね」
「騙される野郎が多い内に婿探しでもしておけよ。見た目とスペックだけはいいんだから」

と、言われたものの、あんまり気乗りしない。結婚するならやっぱり好きになった人としたいなんて、らしくもない乙女心が働くせいだろうか。結婚するために好きになるってのはなんか違う気もするしなあ。というか、恋愛は当面懲り懲りなんだけども。

「とにかく、女をとっ捕まえるまで気を抜くなよ。しくじれば桜ノ宮の命と、俺達の首が飛ぶぜ!」

「おう!」と男の野太い声が控室に響き渡った。

*

審議の結果、ヴァージンロードは新婦の父親と身長が近い土方さんと一緒に歩く事になった。新婦の父親と並んだ時に見せたいつも以上に渋い顔は当面忘れられそうもない。

ややうつむき加減で赤い絨毯が敷かれた道をゆっくりと歩いていく。今の土方さんを見上げると絶対に笑う自信があるので顔はあげない。なにせ、今の彼はロマンスグレーの髷を結ったカツラを被せられているんだから……。出席客に扮した隊士達も笑ったら山崎さんの二の舞になると分かっているので、絶対に顔をあげようとしない。その山崎さんは隅っこで顔にガーゼをはっつけて座っている。おいたわしや。

「すみません、こんな事頼んじゃって」
「謝るべきはあのクソガキだ。お前が謝るな」
「土方さんがそう仰るのなら、それでいいのですが。あ、そうそう。沖田さんが笑いながら撮っていた写真は、どうにか消してもらえるように交渉してみますね」
「そうしてくれ」

そんな事をオルガンの音が鳴り響く教会の中でささやきあう。短いようで長いヴァージンロードは終わりを告げ、祭壇の手前にたどり着いた。組んだ腕が離れて、控えめに送り出される。

「足引っ張ったら叩っ斬ってやる」

鬼の副長の声に新郎は笑みを深めた。
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