夢か現か幻か | ナノ
Inside
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「ご迷惑おかけしました」
「次が無い事を願ってるよ。お大事に」

センター長の言う事はごもっともだ。あたしだって病室から脱走して怪我増やすなんて嫌だよ。晴れ晴れとした気持ちで病院から一歩足を踏み出す。

長かった入院生活もようやっと終わった。少し先には、覆面パトカーで待機している土方さんと近藤さん、それに沖田さん。錚々たる出迎えにちょっとびっくらこきながら駆け足で三人に駆け寄った。

「すみれさん、体力落ちたんじゃねーの」
「そりゃ年間の6分の1の期間入院していましたから。鍛え直さないと。その、土方さん、沖田さん、できるなら、また」
「ああ、血尿出るまでしごいてやらァ」

脳裏をよぎるのは土方さんや沖田さんにしごかれまくった3年間の記憶。思い出補正か、イメージの中の二人は、禍々しいオーラだとか鋭い眼光を放っている。あな恐ろしや。つーかあの時はマジで血尿が出たからシャレにならない。

「お手柔らかにお願いします……」
「まあまあ二人とも。今日は岩尾先生のとこ戻って休もう、ね?」
「近藤さんありがとうございます」
「近藤さん、ソイツを甘やかすなよ。すぐ付け上がるぞ」
「そうでさァ。遅れは一分一秒でも早く取り戻さねーと。つーことで見廻りがてら岩尾先生とこよるから、飯用意しとけよ」

沖田さんの後半のセリフはあたしに向けられたものだった。仕方がない。もはや十八番と化して久しい、本格麻婆豆腐をおみまいしてあげよう。勿論豆板醤と花椒たっぷりで。どうせ完膚なきまでにボッコボコにされるんだ。多少の意趣返しくらい許されるだろう。

*

翌朝。あちこちに青あざを作り、のらくろのようになった顔を鏡で見て憂鬱に浸りながら診療所の倉庫にいた。今日は休診らしい。そして先生はもうじきジョギングに行くとか。出会った頃から思っていたけど、100歳まで問題なく生きられそうなくらい元気な人だな。

天井と床、それに枠と足以外は硝子でできた白い棚を指で示された。中には何も入っていない。

「すみれちゃん、快気祝いと言っちゃ何だが、これ貰ってくれねえか」
「スペース余ってるんでいいですけど、入れるものに心当たりがないです」
「そりゃ自分で考えてくれよ」

それはそうだ。自分はあの部屋を管理する立場なのだから。

脱走して傷を増やしてあらゆる方面からどやされた事もあったけれど、長かったり入院生活も終わり、昨日なんとか退院できた。そして、本格的に仕事を始めるのが今日からだ。復職後の初仕事は、この古風なケビントを運び入れて、どうにか使い道を考える事だった。

屯所の一角を占拠する医務室に、ケビントを運んでもらって、隅の方に置いてみる。古びたケビントは古いものが多い医務室にしっかりと馴染んでしまった。こうなってくると、空っぽである事が違和感の種になる。しかも、そこそこ大きいから何も入ってないと余計に目立つ。

かすり傷にカットバンをはっつけた土方さんはケビントをしげしげ眺めて、「あのジジイにしては趣味が良いな」と余計な事を言った。

「何を入れたらいいか、ちょっとアイディアもらえませんか」

怪訝そうな顔でこちらを見る。どんな顔をしていても男前な人だ。顔がいいって羨ましい。

「使い道がわからねェのに貰ってきたのか」
「なんというか、割と有無を言わせない空気だったので」
「あのジジイ、何考えてるか分かんねェ時あるよな」
「なんか、課題っぽい?」
「この部屋を管理するのもお前の仕事だから、よく考えろって事だろ」

ゆっくり考えろよ、と彼は手を振って医務室を出ていってしまった。

「包帯入れるスペースはもうあるし、薬品入れるにはもろくて不安になるし、重いものも怖いしなあ。岩尾先生、絶対これ持て余してたよね」

耐震性を加味すると、なんか小物入れて見て楽しむくらいしか用途を思いつかない。といっても何を置いたらいいのやら。標本は倉庫だし、患者さんへの説明で使う模型はデスクの隅だ。

硝子の棚を前にウンウン唸っていると、唐突に視界が真っ暗になった。目元に温かい体温。誰かの手だ。

「だーれだ」

生憎と、こんな事をする人間には一人しか心当たりがない。入ってきた音がしなかったから、開いている窓から入ってきたなこの人。

「沖田さん、窓から入るのは止めてって何度も言ってるじゃないですか」
「あり、バレちまった」
「ちょうどいいや。沖田さん、これの用途思いつきます?」
「なんでィこの頼りねー棚」

確かに、前も後ろも横も硝子だし脚も細い。そんなに頑丈そうには見えない。土方さんが蹴りを入れたらあっさり壊れそうだ。沖田さんの言う通り、頼りないという表現はしっくり来る。

「俺ならSMアイテム置いとく」

ことりと真っ赤なムチが飾られた。いや、あたしの趣味じゃないし。でもまあ飾るという点で言ったらこの棚はいい棚だ。

「飾るというアイディアには賛成ですが、ムチは要らないのでお返しします」
「じゃあ、俺の予備のアイマスクを」
「そのまま寝せちゃうと面白くないから、なんでか医務室に置いてあるプリズムを土台にして」
「なんか博物館みたいだねィ」
「いつか沖田さんの私物が博物館に収蔵される日も来るんですかね……自分で言っててアレだけど、世も末だな」
「なんでィ、江戸の治安を守ってやってるってーのに」
「お前の始末書つ みを数えろ」
「さぁて、いくつだったかねィ」

見廻り行ってきますと言って沖田さんは逃げた。沖田さんが破壊活動をして直接困るのは土方さんだし、ちゃんと出入り口から出ていってくれたからいいかな。

入れ違うようにがたぴしなる引き戸を開けて新たな患者さんがやってきた。復職後初の患者さん一号は誰かな。

「棚に飾るもの?」
「山崎さんにも知恵をお借りしたくて」
「じゃあこれ」

土方さんにでも折檻されたのか、顔をひどく腫らした山崎さんが医務室にやってきた。ちょうどいいので治療しつつ、なにか考えを聞いてみると、潰れたアンパンを貰った。

「ナマモノはちょっと」
「じゃあ、これを」
「捨ててください」

色が鮮やかな血がついたバドミントンのシャトルを差し出されたけれど、他人の血なので医者にとっては汚いゴミだ。山崎さん、またミントンやってて土方さんに見つかったのか。川砂利が傷口にくっついていたから、その辺の河川敷で見つかったのかな。

「じゃあ……これを」
「機密的な意味合いで大丈夫ですか」
「多分」

丁寧な字で「真選組監察レポート」と書かれた和綴じの冊子を貰った。沖田さんのアイマスクの隣に飾ると、ますます博物館の展示品めいてきた。でもやっぱりまだ寂しいな。空っぽよりはいいけれど。もう少し物があったほうがこの棚も喜ぶと思う。

*

山崎さんが喋ったのか、何故か色々な人が医務室を訪ねてくれた。大抵の人がピンシャンしている。

『じゃあ、この内偵日記帳をあげるZ』
「あ、ありがとうございます」

……自分も含めて全員お世辞にも素行がいいほうじゃないから、厳重に封印して中身は見ない事にしておこう。こういうのは知らぬが仏だ。まあ、万が一、どうしても誰かを強請る材料が欲しくなったら見るかもしれないけれど。

「このえいりあん対やくざのパンフ……飾って置いてくれ……そして出来る事なら映画館でいまやってるから見に行ってくれ」
「ありがとうございます」

映画館だとどんなくだらない場面でも涙を流す土方さんならまだしも、原田隊長がマジ泣きしてる。そんなにすごい映画なのかこれ。今度観に行ってみよう。今週末が楽しみだ。

「俺はこのお妙さんの秘蔵写真を」
「うわあ、盗撮写真じゃなかったら一番この棚に似合うんだけども。ありがとうございます」

硝子の飾り棚に置いてみる。可愛らしいフレームに収められた綺麗な人の写真はしっくり来ている。これが、ちゃんとカメラの方を向いて写ってる写真なら言う事ないんだけどな。本人には絶対見つからないようにしておかないとやばいやつだな。ケビントもろとも粉砕されかねない。

「先生、これどうですか」
「俺はこれがいいな」
「こいつなんか置くと可愛いと思います!」
「ありがとうございます」

あれこれ手渡されて、それを順番に飾っていく。そこそこ広い棚はあっという間に埋まっていく。スペースが狭くなるにつれてどう飾るのかを考えなくてはならなくなってきたけれど、考える時間が案外楽しい事に気がついた。次は何が持ち込まれるのだろうか。

「すみません副長に見つかるとヤバイので隠してもらえますか」
「公序良俗に反するものはちょっと」

彼の手にあったものはナースのコスプレをしたお姉さんが色気のある視線をこちらに向けている写真がカバーになったDVDのケース。タイトルはとてもわかり易く扇情的だ。要はAV。流石にこれを飾るのは。突き返そうとしたところで、新たな来訪者の気配。振り返ると、蔑みきった目の土方さんが隊士を睨みつけていた。

「おー仕事サボってセクハラたァいい度胸してんな」
「ふ、副長ォォ!その、これはですね」
「士道不覚悟で切腹だゴラァ!!」
「すすす、すみませんんんん!!九番隊平野、仕事に戻ります!」

土方さんの一喝ですくみあがった隊士は、脱兎のごとく素早さで医務室から逃げていった。今の所『医務室の扉を開ける選手権』トップを独走する速さだ。そんなに土方さんが……いやあの状況だと普通に怖いだろうな。

「コイツは破棄だな」
「土方さんもこういうの見ないんですか?」
「誰が見るか。こんなのばっか見てるから女に免疫がなくなるんだ」

屯所の中じゃ割合女慣れしている人の言う事は違う。まあ、この人も本命相手にするとうまく話ができなくなるみたいだけど。

「ったく、どいつもこいつも……」
「私のせいで、すみません」
「分かってんなら、まァいい。にしても、随分集まったな」

がらんどうだったケビントの中には色々なものが詰められていた。どの品にも関連性はなく、もちろん統一性なんてものは欠片もない。知らない人が見たら、なんだこのゴミはと思うかもしれない。けれど、自分にとってはどれも大事なものだ。

「そうですね、山崎さんや沖田さんあたりから色んな人に広まったみたいで」
「お前自身のものはねーのか」

思いもがけない事だった。アイマスク、和綴じの本、写真、プリザーブドフラワーといろいろある。でも、この中にあるものは基本的に他人が選んだ物ばかりで、自分のものは何一つない。

「あたしのもの」
「俺は、コイツを置きに来た」

土方さん愛用の品、マヨネーズ型のライターだ。こっちは赤いキャップの部分がフリントホイールになってるタイプだ。確かに、土方さんといったら刀か煙草かマヨだから、消去法でいくとこうなるか。土方さんらしくて、ちょっとおかしい。笑う自分とは対照に、土方さんは不機嫌丸出しになった。

「んだよ、文句あんのか」
「いえ、土方さんだなって」
「それ、どーいう意味」
「ご想像におまかせします」

舌打ちして、土方さんは去っていった。へそ曲がりの引き戸に対して悪態をつくのはいつもの事だ。そういえば、自分が入院したりなんやしたせいで、この引き戸を直す話も立ち消えになったな。自分としては居眠りしてても即座に目覚めるから、このままでいいんだけれども。岩尾先生にこの扉の利点の話をしたら、うんうんと頷いていたっけな。あの人も同じ事を考えて引き戸を直さなかったらしい。

「んー岩尾先生は何を思ってこれを……」

ケビントを眺めていて、気がついた事があった。

ここにあるものは、自分の私物であれ、あたしにと選んだものであれ、持ち込んだ人の個性だ。棚は何のためにあるのか。中の物を護るためだ。

つまり、ここにあるものは、彼らの一部で、ケビントはそれを護るものだ。このケビントみたいな大層なもののつもりはないけれど、その手伝いくらいはできればいい。

「岩尾先生が言いたかった事って、こういう事なのかな」

お前はもう空っぽではないのだと、目の前の古ぼけたケビントがそう言っている気がした。

――お前自身のものはねーのか。

ついさっき土方さんに投げかけられた言葉に促され、弾痕で痛々しく変形しその上真っ二つにされたライターを取り出した。まだ屯所委託医師だった頃、幕臣を震え上がらせていた連続狙撃犯に銃撃され、お賃金でホクホクだった財布をも貫通した凶弾を受け止めた父親の遺品だ。

犯人が消音性を重視して亜音速弾を用いていた上に、サプレッサーを使用していたおかげで弾丸のエネルギーが大分削がれていた事と、幕臣達が銃撃された時よりも少しだけ遠かった事。そして下ろした給料でパンパンだった財布を懐に突っ込んでいた事。数々の幸運が重なったものの、最終的にはこのライターのおかげで、奇跡的に肋骨を折っただけで済んだし、連続狙撃犯を捕らえる事にも成功した。

けれど、あたしの命を護った結果、ライターは修理できないほど壊れてしまった。装飾も完全に潰れてしまったから美術品としても喫煙具としても使い物にならない。それでも、大事にとっていた。そのおかげで、いつぞやの似蔵の一撃からも護られた。代償として、ライターは今度こそ真っ二つになってしまったけれど。

師に与えられた教本によって命を拾った桂に対して思った事を思い出した。死者は世界を動かさない。あの男の命を護ったのは、師の意志の象徴を大切に持っておいたあの男自身だと。それを自分にも当てはめるとして、父親の意思とはなんだっただろうか。

こんな時に、いい事も悪い事もすべてひと纏まりにして思い出さないようにしていた自分が憎らしくなる。父親はこのライターで葉巻の先を炙りながら、何を言っていたんだったか。スチールのライターの断面をなぞりながら、ソファに腰掛けた父親の姿を思い出す。

保育所から戻ってきて、将来の夢がないと嘆いた自分に、あの人は何かを言っていたのだ。

――お前の望んだ道に進みなさい。どんな道であれ、父さんはそれを護るから。

不意に、そんな言葉が蘇った。続きも思い出せる。『だから、やりたい事が見つかるまでは、何でもやってみなさい』だ。その言葉に従って、自分は剣道を始めんたんだ。

未練がましく持っていたライターが、元の持ち主の願いをも護ったのか。これを持っていた事は、自分ができた唯一の親孝行に数えていいのかもしれない。

でも、自分はもうやりたい事を見つけて、望んだ道に進んでいる。そして、自分は成人して、親元から離れている。ライターは役割を終えた。奇跡に護られるのはもうおしまいだ。これからは、自分が誰かを護る番だろう。

「父さん、今までありがとう。でももう大丈夫」

ライターの断面をなぞって、ケビントの真ん中にライターを置いて、扉に鍵をかけた。
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