夢か現か幻か | ナノ
Un Souvenir Inoubliable
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抜刀は一瞬。コンマ数秒の後に鉄と鉄が火花を立ててぶつかり合う。背負うものの重さを思わせる、骨に響くような一撃を受け止めた。重心をずらして剣筋を逸したが、土方さんがそれで終わるはずもない。初見であれば迎撃できない型破りの一撃が、あたしの命を絶たんと胴体めがけて飛んでくる。辛うじて弾いたが、土手っ腹に浅い切り傷ができた。

――ああ、やり辛い。

胸の内でため息のように漏らし、殺意をむき出しにした刃をすんでのところでいなした。

剣客としての土方さんを一言で言い表すのなら、やり辛い、この言葉に尽きる。近藤さんのようにどんな敵でも押し通す力を持つのではなく、沖田さんのように恐ろしく上手く使うのでもない。万事屋の旦那のように出鱈目な強さも彼は持ち合わせていない。だけど、討ち入りでどのような敵と行き当たっても、この人は必ず勝った。

たとえば、足元が砂であれば、それをこちらの目に当てて目潰しとする。たとえば、上段から振り下ろしたと思えば瞬きほどの間をおかず横薙ぎに斬る。類まれなる戦術眼と鍛えられた剣筋で戦う。それが土方十四郎という人の剣だ。味方であるうちは頼もしかったけれど、敵に回ればやりにくいったらありゃしない。

まさに真選組の鬼の副長にふさわしい戦い振りだ。……しかし、やりにくいのは、見慣れた太刀筋だけか。

違う。太刀筋はあくまで表層に過ぎない。根っこはもっと感情的なものだ。

寒ささえ感じさせる悲しみが、やりにくさの土台にあった。

土方さんとやり合うのは悲しかった。なにせ、この人になら全てをかけてもいいと思った。好きな人でもある。そんな彼と道を違え、信念をぶつけ合う日が来てしまうなんて、思いもよらなかった。戦いの最中でなければ喉を掻き毟っていたと思う。

しかし、悲壮感と苦しさの中に、確かに高揚感があった。陶酔も入り混じっているかも。

だって、慕う人にあたしなんかの剣が届きそうなんだ。

あの時、路地裏で泣く事しかできなかった弱かった自分が、手を伸ばしてくれた人の背中に、もう少し、後ひと押しで追いつける。

火花が散るたびに、胸を突き上げるような興奮が鼓動に乗って全身をざわめかせる。長距離走者が走っているうちに多幸感を覚えるように、あたしはひどく興奮していた。きっと、あたしの頭の中では、アナンダミドが大量に出ているに違いない。

だって、ずっとずっとずっと憧れていたあの人に、あたしなんかが!

稽古で鍔迫り合いをしても、みんなで土方さんを追い詰めたあの時ですら、全く届かなかった憧れの人に!届く!あと少しで!

狂気に似た喜び。興奮は燃え盛る火のように体の中心を焦がす。多少の切り傷は興奮へのさし水になりえない。かすかな痛みがより強い興奮を招いている。

何分そうして剣を交わしていただろうか。緩急をつけた雨のように繰り返される剣戟が一時的に止んだ。間合いをおいて油断なくにらみ合う。互いに息が上がっている。

「見た目によらず、なかなかやるじゃねえか」
「そちらこそ、『鬼の副長』の通り名は伊達ではないようですね」

土方さんは、何かを言おうとして開いたはずの口をつぐんだ。柄が握り込まれ、切っ先がこちらめがけて落ちてくる。身体を動かして剣筋から逃れる。さらにがら空きの首めがけて突きをえぐりこむ。喉笛を狙った一撃はすんでのところでそらされ、首を浅く斬った。

何度も何度も刃を振るい、互いに必殺の一撃を放つ。しかしあたしと彼の一撃は些細なかすり傷を負わせていくのみ。

確かに、あと少しだ。でも、その少しが遠い。あと一歩がとてつもなく大きい。

まだ、焦がれる人に手が届かない。もう少しなのに。

そんな時に脳裏をよぎるのは、沖田さんの横顔だった。ニタリと意地悪く笑う想像の中の彼は『仕方ねェから手を貸してやらァ』と嘯いた。

普段はつながらない、つなげないシナプス同士がつながるような感覚。鞘花ちゃんを取り合った時にも同じ事が起きていたのを思い出す。

自己の内側に眠る沖田さんの剣技の真髄だ。性差があり、体格が違い、実力にも開きがある桜ノ宮すみれでは、到底模倣できない絶技。それが自分の身体で再現される。自分の実力に見合わない剣技を披露した代償として、身体のあちこちが軋みを上げる。この一撃で仕損じれば、後がないだろう。

「なっ――」

愛刀を土方さんの喉笛めがけて、もう一度突き出す。さっきとは比べ物にならない速度と精度。土方さんの目が、大きく見開かれている。

これで、やっと、届く。

しかし、届いたのは土方さんも同じだった。彼の剣はあたしの心臓めがけて突きを放とうとしていた。だけど、リーチの差を加味しても、あたしの方が速い!!

獲った。そう思った。やっと追いつけた!そう歓喜した。

でもそれと同時に、土方さんと仲間と、積み上げた思い出が蘇った。縁側で見上げた同じ空。共に超えてきた戦い。ケビントに収めた大切な物。

――あ、無理だ。

土方さんの頚椎の間を確実に通っていたであろう切っ先が、皮一枚を斬り裂いただけで止まった。あたしには、自分達が積み上げてきたものを壊す事が出来なかった。そもそもが、自分の意地を通すための戦いだ。その意地に土方さんを守ることだって入ってるのだから、当たり前だった。

しかし、自分が止まったからといって相手が止まるわけがないのは戦いの常だ。土方さんの刀は、自分の身体に迫っていた。得意の逃げもこの距離では間に合わない。戦意を失ってしまったから、息の根ごと一撃を止める事もかなわない。

土方さん、ごめんなさい。

負ける事への謝意を言葉にする時間もなく、いつだったかと同じ眼前に迫る死を恐れて目を閉じた。

だけど、いつまで経っても、あの時のように痛みもなければ、地面に倒れない。

どういうことだろうと恐る恐る目を開けた。

土方さんの刀の切っ先も、あたしの服を斬り裂いて皮膚を少し切っただけで止まっていた。彼はあたしの命を握っていたはずなのに、貫かなかった。

「土方さん、どうして」
「……きかん気の強い女がいた。黙って立ってりゃ勝手に男が寄ってくる、生きるのに困らんだろう女のくせに、どうしてか人斬り包丁持って俺達についていきたいって言って聞かねェ」
「…………」
「そいつは近藤さんを丸め込んで、俺は一つの賭けに引きずり出された。俺が勝てばただの医者として生きるが、女が勝てば隊に入れる。そんな賭けだ」

聞き覚えのある話だ。身に覚えがある話でもある。まさか。信じられないような思いで土方さんを見上げると、彼は小さく笑った。懐かしむような、諦めるような、そんな笑顔だった。

「そいつはいつの間にか総悟を手懐けて、周りの隊士全員を俺の敵に仕立て上げやがった。俺は期限ギリギリまで悪ガキ共に嫌がらせをされ続けて、やっと終わると思ったその直前、小娘の竹刀の切っ先を喉笛に叩き込まれた」
「それって」
「ああ。さっきと同じ、澄んだいい太刀筋だった、すみれ。……それだけに、直前で手ェ止めたのはいただけねェがな」

確かに、今まで何度も彼はデジャヴを感じているようだったけれど、まさか鎬を削って記憶を取り戻すとは。どちらかというと屈辱の記憶かしら。いや、むず痒くなるような顔つき的に含むところなく褒めているのかな。まあ、なんにせよ、刀で語り合う私達らしいっちゃらしいか。

「土方さん、あたし――」
「お前がなんの意味もなくこんな真似するたァ思ってねーよ。だが、後で始末書は覚悟しとけ」
「うへえ」
「あったりまえだろ。むしろ、脱走で切腹にしなかっただけマシだと思え」
「……わかりました。ご配慮痛み入ります」
「それにしても、一体何があったんだ。どいつもこいつも、お前がいない事を自然に思っていた。普通に考えれば、屯所のそこここにお前の痕跡が残っていたはずだってのに」
「それは……」
「お前、何に首突っ込んだ」

言っても信じてもらえるか微妙だけど、こうなったからには説明しなければならない。

坂田銀時の勾留中に開発された旦那の代理のプラモデルが坂田金時である事。坂田金時は坂田銀時に成り代わるべく、洗脳波を放ち、坂田銀時の記憶を坂田金時のものに塗り替えた事。自分は洗脳波の効果がなかった事。事態を解決するために建前を用意して坂田金時に接触し、あたしの存在が抹消された事。坂田銀時がやったのはたまさんではなく、たまさんを破壊した坂田金時の棒と玉である事。

全てを一つ一つ、順序よく説明した。

「……なるほどな。確かに、最近のストパーの行動と以前の家賃滞納給料未払いその他諸々の悪行とで矛盾があった。だが、俺達が洗脳されて、あのストパーが万事屋に成り代わってたのなら、説明がつく」
「なら、」
「全員しょっ引けば万事解決だな」
「あれぇー?」
「あれぇってなァ!警官としてあんな馬鹿騒ぎが許容できるか!」
「そりゃあ、そうなんですけど、もっと、こうですね」
「お前の考えてそうな事は分かってる。あの天パの手で落とし前付けさせようとしてるんだろ」
「……はい。居場所も大事にしていた物も全部奪われたのは旦那ですから。それに、旦那に『関わるな』って……」

土方さんは煙草の煙を深々と吸い込んで、吐いた。

「お前も奪われたのを忘れるな」
「あたしは別に」
「対岸の火事に自分から突っ込んで火達磨になったから関係ない、か」
「はい」
「お前はなァ……」

土方さんはなにかいいたげだ。だけど彼は何も言わないまま、無言でビルの外壁に背中を預けた。

「用事を思い出した。俺ァ屯所戻るわ。あっちの馬鹿騒ぎは、信頼できる桜ノ宮『先生』に任せるとすらァ。……できるな?」

彼は『あっち』の部分でいつも以上に騒がしいかぶき町を顎で示した。しかも『先生』なんてねちっこい声で呼んで、捕食者みたいな目でこっちを見て、『できるな?』と念押しされても、こっちは狼狽えるばかりだ。

「俺に首突っ込ませたくないんだろ」
「そうですけど」
「じゃあさっさと行け。俺が書類片す前に終わらせろよ」

萎縮こそすれ、土方さんの意図は読み取れる。これが土方さんなりの妥協案らしい。土方さんは無線でかぶき町に展開していた真選組隊士を全員撤退させている。これで外堀が埋まった。行くしかない。

「おい」と呼びかけられて、振り返る。顔面に黒い布を投げつけられた。ずしりと重いそれを手に取れば、それはしばらくぶりに手にする真選組の制服で。どういう意図かと目を向けると、土方さんはいつも通りの仏頂面だ。

「隊士のくせに制服も持ってない衛生隊長殿に貸してやる。後で返せ」

言われてショーウィンドウに映る自分の姿を確認する。スラックスにワイシャツ。確かに、暴徒を鎮圧するのに制服も着てないんじゃハクがない。しかし、上着だけでも肩に引っ掛ければそれなりに見えるだろう。

気をつけ。そして敬礼。土方さんに教わった基本動作は、未だに染み付いている。

「真選組衛生隊長・桜ノ宮すみれ、これより職務に復帰し、かぶき町一丁目付近に集結した暴徒を鎮圧します!」
「ああ、行って来い!――そういや、白髪の侍に伝言がある」
「伝言?」
「野郎に言っておけ…………ってな」
「……分かりました。確かに伝えます」

伝言を確かに記憶し、土方さんに背を向け、かぶき町に突入する。

羽織った上着がずっしりと重たく感じる。それは、久々に感じる布地の質量なのか、それとも彼が背負う使命の重圧なのか。
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