夢か現か幻か | ナノ
Hydrangea macrophylla part.4
文字サイズ 特大 行間 極広
現着した隊士達に対して土方さんの奇行をなんとか誤魔化し、その間ずっと切られ続けるシャッターを甘んじて受け入れ、屯所に戻れば(あたしの恋愛対象が両性なので)大江戸警察署から呼んだ女性の応援と一緒に重要参考人のトッシーの彼女に事情聴取を行う。忙しい。

「お金が必要だったの。最初の男に借金背負わされて、でもわたしみたいな顔しか取り柄のない女にはろくな勤め先がない。何人も男を食い物にして金を払ったけれど、利息分くらいしか払えない。路頭に迷っている所にあの男達が近づいてきた」

このご時世、弱みを見せれば良からぬ輩が近づいてくる。よくある話だ。

「『この男を籠絡して指示通りにすれば、借金を帳消しにしてやる』って言われて見せられた写真が、トッシーだったのよ」
「それで」
「それで、わたしは指示された通りトッシーに近づいて、程々に信頼を得たわ。『男をネオアキバの奥に連れてくればいい。それで最後だ』って言われて、やっと借金から解放される。そう思ったわ。けれど、わたし、聞いたの」
「何を?」

彼女は両手で顔を覆ってしまった。耐え難い痛みを堪えるように、彼女の華奢な体が縮こまる。

「最初の男とアイツらはグルだったのよ。わたしみたいな馬鹿な女を使って、幕臣の誰かを釣って、それで釣られた男を殺すつもりだったのよ!わたしごとね!!……おかしいと思っていたわ!男を釣るだけで借金を帳消しにできるなんて!」

なんともいたたまれない話だった。重要参考人だから、下手に感情移入するのはよくないと分かっていても、女性の涙を見ると胸が苦しくなる。このくらいは許されてほしい、とハンカチを手渡した。

「それがわかったところで、どうしようもなかった。逃げるにも浪士共に何もかも握られていて、逃げ場所なんかなかった。そこにあなたが現れたのよ。丁度いいと思ったわ。わたしが死ぬのは悔しいけれど、どうしようもなかったわ。でも、浪士共の思い通りになるのだけは癪だった。だから、遠回しに暗殺を決行する日取りを伝えて、最後のデートもなかった事にしようとしたのよ。あなたは気がついてくれなかったけれどね」
「すみません。人のものを取るという発想がなくて」
「人斬りなのに、善人なのね」
「曲がりなりにも警官ですから」

自分が善かどうかはさておいて。

「そう。続き、よね。あなたに気付いてもらえなくて、このままトッシーごと殺されるのだと思っていたのだけれど、あなたが助けに入ってくれて助かったわ」
「その、」
「間に合ったのだから結果オーライね。むしろ最上の部類じゃないかしら。なんせわたしも借金地獄から抜け出せそうだし!」

確かに。奉行所あたりに申し出れば多分借金を帳消しにしてもらえそうな案件だ。ひまわりのように笑う彼女を見て、少しだけ安心した。他人を金づるとしてしか見ていない人は嫌いだけど、どうしてかこの人だけは憎めなかった。今にして思えば、切実な事情と、根っこの善性が透けて見えていたからなのだろう。あたし、この人を助けられてよかった。

「ありがとう。後が楽しみだわ」
「そうですね。あなたの話の裏が取れた後は、住居がないとのことでしたのでしばらくはウチで借り上げた仮住まいですが、あなたが住居を確保でき次第、完全に自由となると思います」
「そう。他人を利用する人間には同じ人間しか寄り付かないというし、今度はあなた達のお世話にならないような真っ当な仕事につこうと思うわ」
「それが一番だと思います」
「あ、そうそう。トッシーにはね、全く興味もなかったけれど、今回の件だけは、そうね、ちょっとだけ見直したわ。ヘタレだと思っていたけれど、やればできるんじゃない」
「本人に伝えておきましょうか」
「駄目よ。人のものは取れないもの、でしょう?」
「ははは……」

ちらりと透視鏡、いわゆるマジックミラーに視線を向ける。間違いなく土方さんもいるはずだから、この会話をトッシーも聞いているはずだ。……まあ、知らぬが仏とも言うし、黙っておこうか。

*

取調室の隣の扉を開くと、さっきチラ見したマジックミラーの向こう側に、土方さんがいた。案の定だ。彼は暗い部屋の壁にもたれかかって、腕を組んでいた。イケメンって何やっても様になる。あたしがこれやっても滑稽なだけだものね。

「よくやった。女はしばらくの間大江戸警察署に移送して身柄を保護する」
「まだ連中の残党が残っていますものね」
「残党狩りが終わり次第解放する。女の証言通りなら起訴されまいよ」
「分かりました。副長、その」
「あの女と会って話す事なんざ、なにもねェよ。あの女も言ってたろ。他人を利用するような人間には、同じ目的の輩しか近寄ってこねェってな。騙していた、この一点では野郎もあの女も同じなんだよ」
「で、でも、騙し合っていたのでも、ごっこ遊びだったとしても、恋愛は恋愛です。関係を精算するのなら、はっきりと告げるべきだと思います」

関係を精算できずに何もかも終わった人間としては、そう思う。それが伝わったのか、それとも呆れたのか。土方さんは深い深い溜め息をついた。

「分かった。奴にそう言っておく」
「はい、ぜひお願いします」
「それにしてもお前は……関係が終わらなかったらとは考えなかったのか?」
「……考えますよ、そりゃ。でも、それはあたしが口を出すとこじゃありません。トッシーと彼女の決定です」
「律儀なんだか、難儀なんだか」
「それ、お登勢さんにも言われました」
「その性格、絶対に損するぞ」
「こればっかりは性分なので。第一、土方さんも嫌いじゃないでしょ、こういう馬鹿は」

土方さんはあからさまに顔を逸らした。取り繕うようにマジックミラーに目を向けているけれど、重要参考人に意識が向いていないのは明白だ。たっぷり間を置いた後で呟くように「うるせ」と言ったのはきっと照れ隠しだろう。

「じゃあ、報告書書いてきまーす。ワープロでいいですよね?」
「ああ。なるべく早くな」
「善処します」

「確実にやれ」という容赦ない正論を背に受けて、取調室を後にした。

*

トッシーと、彼の恋人をめぐるドタバタの後。しばらく、忙しい日々を送った。報告書、浪士の粛清、その他の雑事や呼び出しその他……。忙しさにかまけてトッシーとは顔を合わせていなかった。

しかし、何気なく広げっぱなしのアルバムを見ると隊服もどきを着たあたしの写真があったり、未だに床の間にフィギュアが飾ってあったりと、トッシーと土方さんが奇妙な共同生活を送っているのには変わりないようだ。

トッシーの彼女は既に解放されて、彼女も新たな住まいを確保して、就職先も決まったらしい。来週から出勤だと聞いた。業種は知らないけれど、きっと一人で立って歩いていける職についたのだと思う。

平和だ。清々しい気持ちで縁側から空を見上げると、高く澄んだ青色がどこまでも広がっている。心地よい風が頬をなでてくれている。

「うん、いい天気!」
「あ、あの!」

かけられた声に振り返ると、土方さん、ではなくトッシーが立っていた。いつもの格好で、片方の腕を掴んでもじもじと、何かを言いたげにしている。彼の方から声をかけられたのは、随分久しぶりのように思える。

「お話があるんだけど、いいかな……?」
「はい、どうぞ?」
「えっと、できれば、別の場所が」
「分かりました。じゃあ、お散歩がてら、あっちの茶屋にでも……」
「はい!行きます!」

食い気味に肯定されて、その勢いにちょっと引いた。でもよく見れば、犬がしっぽを振っているように見えなくもない。

好意的に人を見ていると、同じ人の同じ仕草でも微笑ましいものに見えてくるものなんだな。会話もなく街を歩きながら、自分の不明に恥じ入った。

「桜ノ宮氏、どうしたんでござるか?」
「ちょっと、自分が恥ずかしくなったんです。私って、まだまだだなあって」
「僕には、君はすごい人にみえるけれど」
「全然、そんな事ないんです。ちょっと前に、その人の本質を見ないまま、その人を嫌って、『もっと早くこうして互いに本心をさらけ出していたら、違う結果になっていたのかな』って思ったばかりだったのに、また同じ事をしていました」

トッシーは何かを言おうと口を開いて、そのまま何もいえずに閉じるのを繰り返していた。そりゃそうだ。こんな話されても、少し困るだろう。

「ごめんなさい、こんな話、つまらないですよね」
「僕も、吉野氏が苦しんでいたのを、ちっとも分かっていなかった。だから、僕だって同じだ。僕も、何も見えていなかった」
「トッシー……」
「さ、団子を食べよう」

くいくいと腕を引かれて赤い布が敷かれた縁台に二人並んで腰掛ける。行き交う人々は、あたし達に気を払う事なく、せかせかと歩いていく。店員さんに注文をして、団子を待っているけれど、あたしは何を話せばいいんだろうか。迷っていると、トッシーが口火を切った。

「桜ノ宮氏はよく気がついているよ。僕と吉野氏のデートでも、助けに入ってくれた。あれって、僕達が心配になって付いてきてくれたんだよね」
「まあ、一応」
「何も見ていなければ、何にも気が付かないさ。それに、結果として吉野氏も僕も助かったんだし、それで全部良しとしようよ」

トッシーはらしくもない饒舌さで、あたしの事をフォローしてくれている。なんとなく、くわえタバコの土方さんの影を感じながらも、曖昧に頷いた。

「ありがとうございます」
「それで、話、なんだけれども」
「どうぞ」
「えっと、まず、吉野氏とはお別れしました」
「そうなんですか」
「なんというか、ウン、十四郎が言っていたけれど、他人を利用しようとする人間には、同じ人間しか寄ってこないんだなって痛感したよ」
「利用しようとしたんですか?」
「うん。本当に好きな女の子がいて、でもその子は僕の事を、多分、嫌いで、でも好きになってもらおうにも、僕じゃ『彼』には勝てない。だから、他の誰かを代わりにしようとしたんだ。それが、僕に声をかけてくれた吉野氏だよ」
「そうだったんですか……」
「だから、僕の自業自得なんだよ。君から逃げて、それで利用されて殺されかけただけのね。だから、君が気に病む事なんてない」

絶妙に先回りしたフォローにやっぱり同じ顔の人が過るけれど、まあいいか。

「その、もう一つ、話があるんだ。聞いてくれる?」
「ええ」
「えっと、さっきの話で、薄々気がついたと思うんだけど、その、僕は、君の事が」

トッシーはそこでどもってモゴモゴと口を動かしている。多分、ハードルが高いんだな。何も言えずに、ただ『彼女』と二人、手を繋いで歩いていたあの頃を思い出して、胸が締め付けられそうになった。話が脱線するのもアレなので、隣の人に意識を戻したけれど。

「僕は、君が好きでござる」

トッシーの元カノから言われて知っていたものの、本人から改めて言われると、それなりに衝撃だった。

さて、あたしは、どう答えたものだろうか。答えは決まっている。トッシーが望むものも、うっすらと。しかし、自分の中でうずくまる、幼い自分は、彼も自分も望まないものを口にしようとしていた。

かぶりを振って、幼い自分を追い払い、口を開いた。いつの間にか、日がだいぶ傾いて、青かった空に黄色いフィルターがかかっていた。

「あたしがどう答えるか、分かっていても、そう言ってくれるんですか」
「……うん」
「ごめんなさい。あなたの気持ちには答えられません」
「うん」
「あたしには、好きな人がいます。だから、答えられないです」

なぜか、トッシーは安心したように微笑んでいた。本来の肉体の持ち主なら、死んでも浮かべないような柔和な笑みだ。

「やっぱり、君を好きになってよかった」

感じ入ったような言葉が、胸に鋭く突き刺さった。聞いていたから、知っている。けれど、それでも衝撃だったのは、自分のようなろくでなしでも、好きになってくれる人が本当に存在していたからだ。

自分が肯定されるのは、もったいない。そう思うのに、心の隅っこでは、とても喜ぶ自分がいた。

ふと、自分と彼には、近しい部分があった事に気がついた。あたしが好きな人にも、敵わないと感じる人がいる。綺麗で、賢くて、優しい人。その人は、きっと彼の記憶の中で美しいまま微笑んでいて。それが苦しくて、ずっと土方さんへの恋心をいろいろな理屈で封じていた。紆余曲折あって、好きだという気持ちに向かい合ってからも、やっぱり勝てないなと痛感してばかりだった。

それでも、好きになってよかったと、今はそう思えるのだ。

「今やっと、トッシーの気持ちが分かった気がします」
「え?」
「好きな人の心に、絶対勝てない人がいるのって、ちょっと辛いですよね」
「そんな事ない!」

いきなりの大声に、通行人は皆こちらを振り返った。気まずくなって、互いに咳払いをした。

「その、うまく言えないけれど、その、君が好きな人は、そんな、ええっと」
「いいんです。気にしないでください。それでもいいって思ったのは、あたしです」
「ち、違うんだ。君の場合は、勝てる勝てないじゃないよ。くくりが違うんだよ」

なんか、余計に突き刺さるものがあるような。

「ええっと、彼は、君の事も彼女の事も、こう、くくりが違っても大事にしたいという気持ちに、変わりはない、と思う」
「優しいんですね」
「敵に塩を送ってる気分でござる」
「それ、あなたの元カノさんも言っていました」
「そっか……」

どっちも恋敵に塩を送っていたな。彼女はあたしに、目の前のこの人は多分土方さんに。

「ありがとうございます。なんにせよ嬉しいです」
「僕も、言えてよかった」
「その、お付き合いはできないんですけれど、あたしと、お友達になってくれませんか?」
「へ」
「あたしの名前は桜ノ宮すみれ。好きなものは特撮です!」

団子を一気に頬張って、お茶で流し込み、立ち上がる。その場で一回転すると呆然としているトッシーと目があった。
prev
83
next

Designed by Slooope.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -