自分の直感を信じるならば、多分、彼女は根っこから悪い人間ではないのだろう。去り際の彼女の目には、贖罪めいたものが見えたような、そんな気がする。そして、わざわざ日付を指定してきたからには、なにか狙いがある。
そんなわけで、近藤さんに頼み込んで急遽半休をもらい、トッシーと女性のデートを尾行する事にした。服装はどうしようかと思ったけれど、ここは電気街兼オタクの街。いっそありえないほどキャピキャピにメイクした上で、長い丈の隊服に松平公に押し付けられた隊服のホットパンツを合わせてみたりして、真選組のコスプレ娘として振る舞う事にする。普段纏めてる髪を巻いて下ろしてしまえば大分印象も変わるだろう。
しかしまあ、下手な下着を履くと見えそうな裾の短さだけど、松平公はなんでこんなものを作らせたんだろう……?
写真を撮っていいかと聞いてくる人達をあしらいつつ、距離を開けて二人の後を追う。……こうしてみるとホントにATMとしてしか扱ってないな。こうなる前にトッシーに警告しようかとも思ったけれど、やっぱり避けられっぱなしなのは変わらなくて。
つーか、あたしがついてきてどうすんだ。えっ、振られた所に「偶然通りがかって〜」とかできる分厚い面の皮は持ち合わせてないよあたし。やっぱり帰ろうかな。いやでもしかし……。
延々と同じ思考を繰り返しながらもデートにはついていき、二人はどんどん地下都市の奥深く、薄暗いゾーンへと向かっていく。ここまで来たらどんな格好でも浮くかな。いや、風俗店とかも少なからず見受けられるから、案外そういう店の嬢に見られたりしないかな。こういうのって、「わたしはここで働いてます」って顔してたら案外バレないって聞くし。
それにしても、トッシーは不思議に思わないのかな。普通こんな場所に引きずられたら、いかがわしい事目当てしかないと思うのだけど。もしかして、そういうのに興味があったりするのか。……年頃だし、あっても何らおかしい事じゃないな。
もしかして見せつけプレイが目的なんだろうか、彼女。いや、それとは何かが違うような気がする。彼女の狙いは一体何だ。
彼女の言い分をもう一度思い出す。目当ては顔と金。愛情はない。本気にされたくないから今日捨てる予定。男は心も含めたまるごと奪わなければ気がすまない。
……うん?矛盾が生じている。心を奪うならば、本気になってもらわなければ困るだろう。本気にされたくないのなら、まるごと奪う必要などない。果たしてどちらが嘘なんだろう?
駄目だ。分からない。
ため息をついて、思考回路をリセット。推理するには情報が足りないのなら、集めるしかない。古今東西、情報は足で稼ぐものと相場は決まっている。目的が見えなかった尾行に、目的が見いだせただけで大分価値がある。
実情を知ると空々しく見えてくる、先を歩く腕を組んだリア充。その後ろ、丁度あたしと彼らの中間点。そこにいかにもな浪士風の男が一人歩いていた。別にここではそんな輩は珍しくない。なんなら大物中の大物、桂だってここに潜伏していたのだから。一掃作戦でこのあたりの浪士は捕縛されたか逃亡したかだったけれど、喉元過ぎればなんとやらで戻ってきていたらしい。どうやら彼らの後をつけているようだ。
歯噛みせずにはいられない。二人に夢中になりすぎて周囲の警戒が疎かになっていた。しかし、妙だ。つけているだけで奴はこれといった動きを見せていない。でも、誰かと無線機でやりとりしている様子だ。どうやらコイツは単体ではないらしい。……なんだ?
何にせよ、嫌な予感がする。悪い予感というものは本当によく当たるんだ。あたしは物陰で携帯電話を取り出した。短縮ダイヤルに登録してある番号を呼び出し、簡単に相手の特徴と、発見場所を伝えて電話を切った。
*
真ん中の列から、映画を見るように、その風景を見る。女ってのはどこまでも化粧が濃い生きもんで、化粧の奥には何が隠れてるんだか。間近に見えている女も笑顔ではあるが、腹ん中で何考えてるんだか分かりゃしねェ。
見れば見るほど空虚な絵面だ。女の事なんざ穴埋めくらいにしか思っちゃいねェ男と、男の事なんざ財布程度にしか見てねェ女。微塵も本気じゃねェモン同士、似合いといっちゃ似合いだが、俺のためにもさっさと割り切って本気になってもらうか、諦めてアイツに戻るか、どっちかにしてもらいたいもんだ。
俺がこの状況を甘んじて受け入れているのには、理由がある。俺は外では浪士共と戦い、中では
トッシーと戦っていた。呪いや祟りくらい背負ってやらァなどとは言ったが、疲れたんだ。中でも外でも戦い続けて、俺は一体どこで休めるというんだ。
内なる戦いに終止符を打ち、心の平安を取り戻すために、俺は別人格として切り離したトッシーと渋々向かい合い、奴の未練を聞き出そうとした。しかし、奴は頑なに口を割ろうとしなかった。しまいには俺の足元を見て条件まで突きつけてきやがった。
どうにかして、射止めたい女がいるのだという。それが終わったら、本当の未練を明かす、と。
当然俺は認められなかった。それ、お前が願いを二つ叶えたいだけだろうが!連日連夜、俺は内側でゴネる奴を説得したが、しかし奴は折れなかった。ヘタレオタクらしからぬ粘り強さに両手を上げた俺は、仕方なく、その女の名前を聞いたのだった。
俺の見た目で情けなくもモゾモゾしながら、たっぷり間を置いて出てきた女の名前は桜ノ宮すみれ。真選組衛生隊長にして、大江戸病院救急センターの非常勤医師の名前だった。
もちろん止めた。悪い事は言わねェから他の女にしておけ、と。理由だって何度も説明した。だが、奴は頑として変えようとしなかった。それどころか、全部知った上で、それでも、惚れているのだ、と抜かしやがった。
近藤さんの例を思い浮かべるまでもなく、惚れた腫れたは熱病みたいなもんだ。こうなっちまったら他人が言って止まるようなもんでもねェ。仕方なく俺は協力する事にした。手始めに総悟に頼んですみれの態度の軟化を促したんだが、そこで問題が発生した。
肝心の奴がヘタれて他の女に流れた。理由は不明。このデートが終われば未練を教えると言われたから静観してるが、コイツ、これでいいのか?
まァいい。俺はなんとしてでも自分だけの肉体を取り戻す。それだけだ。
女と付き合うに当たって、俺と奴が取り交わした約束はシンプルだ。デート中は干渉しない事。あくまでデートしてるのは奴だから当然っちゃ当然だろう。
だが、どうにも、胸騒ぎがする。女の動きだ。しきりに奴を横目で見て、何か言いたげに眉根を寄せる横顔。道端で開けては閉めを何度も繰り返される画面がついてない携帯かコンパクト。脳天気なトッシーは気がついてないが、これは何かがある。俺の立場、この状況、考えられるのは尾行か。……狙撃されるような気配はない。なら、ギリギリまでトッシーには伏せておくか。下手に伝えれば厄介な事態になるかもしれねェ。
スクリーンに映し出される背景は、どんどんうら寂しくなっていく。この辺も、浪士共の巣だったなァ。もっとも、掃討作戦によってこのあたりを根城にしていた奴らは大分数を減らしたはずだが。
大分歩いたところで、女は立ち止まり、カメラもとい奴も足を止めた。
「ごめんなさい。わたし、あなたの事を騙していたの」
「……え?」
「最初っからね、あなたの事、好きでも何でもなかったのよ」
複数の草履が砂を踏む乾いた音が劇場に響いた。
カメラがぐるりと回り、デートに似つかわしくない野郎共の顔を順繰りに映し出していく。前方と後方には浪士、横手には壁。囲まれている。数は十人ってとこか。こんな姑息な手段を使うくらいだ。大した腕ではないだろう。
「よし、よくやったな、吉野」
「その男と一緒に死ねィ」
なるほど。女は捨て駒だったのか。それで、あの顔か。女ってのはどうにも。……まァいいだろう。
替われ。俺は銀幕の向こう側に呼びかけたが、震える声が、それを拒否した。
「ぼ、僕は、か、彼女を守るんだ。だ、だって、女の子を守るのは、日本男児の役目だ!」
ガタガタと震える手が、腰の飾りを抜こうと手を伸ばしている。馬鹿!替われ!
「いやだ!デートしているのは、僕だ!騙されてたって関係ない。僕が、彼女を、まま、護る!」
刃が悪くなりそうな抜刀のやり方だが、なんとか刀を引きずり出したらしい。酔剣のような構え方に男共の嘲笑が沸き起こった。無理だ無駄だと笑う男共。俺も同感だ。コイツは部屋の中でぬくぬくと生きてきたヘタレだ。そいつが戦うなんざ無謀だ。そんな構えで戦えるか!男共は見せつけるようにゆっくりと刀を抜いていく。俺は見ている事しかできない。
くそ、俺もここまでか――?
「――案外、そうでもないかもしれませんよ」
哄笑にも打ち消されない軽やかな声の直後、背後から突如として吹き抜けた旋風。まばたきの後には、立っている浪士は誰ひとりとしていなかった。
*
「いやー、間に合ってよかったです。お怪我はありませんか、二人共」
双方から肯定の返事が帰ってきた。よかった。今度はちゃんと間に合ったんだ。
「もう駄目だと思ったわ」
「助けに入るのがギリギリになってしまってすみません。実は――」
電話で山崎さんに浪士の人相を伝えてどこの組織のものか調べて欲しいとお願いしていたら、二人と一匹を見失っていた。あろう事か、電話中に、対象から目を離して、挙げ句見失った?やべえ、こんな初歩中の初歩なヘマしたなんて土方さんに知れたら呆れられる。慌ててあたりを見回しても、結構離れてしまったのかいない。
慌てて薄暗い裏通りを走り回り、やっとの事で見つけたトッシーと女の人は、浪士に囲まれていた。マズい、始まってた!思い出されるのは過去の悪夢。浪士に囲まれて土下座をし、足蹴にされていた土方さん。土方さんにあんな事は二度とさせない。連中はまだあたしの存在に気がついていない。急がないと。
しかし、頭がはじき出した未来像は、無情にも、土方さんが斬られるものだった。自分の存在を知らせて気を引くか?……いや、二人が人質に取られる可能性が高い。可能な限り正体を気取られずに近づくのが望ましい。でも時間が足りない!駆け出せば10秒程度。しかし相手に気取られて人質に取るのは数秒で事足りる。
不意打ちによる迅速な無力化。これしかない。
焦る気持ちを必死で抑え込んで、慎重な足取りで男共に接近する。暗がりで黒い上下のおかげか、それとも目の前の大物にばかり目が行っているのか、連中があたしに気がつく様子はない。距離はまだ遠い。
浪士共は今にも抜刀して斬りかかりそうだ。走り出そうとした、その時、トッシーが動いた。この際だから土下座でもなんでもして時間稼いで!
「――女の子を守るのは、日本男児の役目だ!」
彼の震える手が、腰の刀を抜こうとしている。今の彼にとって、刀なんてものは、ただの飾りであるはずなのに、それでも自分を奮い立たせて、戦おうとしていた。その光景に、自分の幼い頃を思い出した。自分を精一杯鼓舞して、刀を抜いた運命の分かれ道。
トッシー達を囲む男達は、トッシーの構えを馬鹿にして、大笑いしているけれど、自分はちっともおかしいと思わなかった。
距離、適正。ここからなら、人質を作る事なく、全員を無力化できる。
「貴様のその構えで何を守れるのか、ちゃんちゃらおかしいわ!」
いいや。違う。
「無理だ無理だ!大人しく斬られた方が身のためだぞ!」
無理なんかじゃない。戦いの最初の一歩は、戦う意志なのだから。
「無駄な抵抗だなあ!」
「――案外、そうでもないかもしれませんよ」
無駄なんかじゃない。その行動が、時間を稼いでくれたのだから。
そして、どうしても足りない部分は、あたしが補うのだから。
一気に踏み込んで抜刀し、手近にいた男を一閃のもとに斬り伏せる。返す刃で隣を。そして壁を形成していた男共が地面に横たわるより早く、残った連中が状況を理解するより早く、向こう側の人壁を斬り裂いた。
「――とまあ、そんな経緯です。すみません。初歩的なミスをしたばっかりに、危ない目に遭わせてしまって」
浪士共を治療及び捕縛しつつ、簡単に事情を説明すると、女性は「そうだったのね」と頷いた。遠雷のように、パトカーのサイレンが聞こえてくる。きっと真選組のパトカーだろう。
「わたしが思っていたのとは、ちょっと違うけれど、助かったのだし、結果オーライってやつね」
「本当に申し訳ありません。怪我がなくて本当によかった」
「それにしても、本当に強いのね、あなた」
「いえ、私なんてまだまだですよ。隊長達の中じゃあ一番弱いので」
本当は真選組の制服を着るのも畏れ多いくらいなのだ。かっこいいから着させてもらえる内は着るけどね。
ビルの狭間を反響するサイレンが近い。もうすぐ現着なのだろう。
「すみませんが、重要参考人として、ご同行願えますか」
「浪士に協力していたのは確かだもの。構わないわ」
「あのっ」
前のめり気味のトッシーが、カメラを持って、うずうずとしている。
「その制服、かわいいね!写真撮ってもいいかな!?」
あまりの近さと気迫に、思わず頷いてしまったのが、運の尽きだった。パトカーが現着するまでの間、あたしは何度もストロボに晒される事になったのであった。
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