夢か現か幻か | ナノ
Hydrangea macrophylla
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ある日。俺は遠くから、その光景を見る。丁度、少し離れた席から映画を見ているようなものだろうか。スクリーンには、女が一人、映っている。カメラはソイツ以外の一切を意識から排除しているのか、周囲の状況は曖昧だ。

「あのっ」
「すみません!今呼び出しがあったので!また!」

女は頭を下げて、背を向けて走り去った。

めげるな。次がある。

数日後、同じような視点でものを見る。また、同じ女が、画面に描かれている。遠いような近いような、そんな距離感に、女は立っていた。

「あ、あのっ」
「ごめんなさい!さっき江戸高で玉突きがあったので、それで呼び出されるっぽいので!」

女は顔をまともに見もせずに早足で去った。そういや速報のテロップで玉突きの話が流れてたな。

……事故なら仕方がねェだろ。次だ次。

更に数日後、俺は観客として、女を見ていた。白いシャツにジャケットを羽織り、身長の割に長い足を細身のスラックスに包んでいる。こうして見ると、相変わらず地味な格好だな。だが、銀幕の上に踊る女は輝いているようだった。……半ば自分のようなものとはいえ、分かりやすいな。

「あの、桜ノ宮氏!」
「すみません!今から出動なので、交代してもらえますか!?」

今度はソイツの方を見たかと思えば、お前は引っ込めと切り捨てられている。顔にはでかでかと邪魔だと書いてある。流石にこれは、ひでェな。同じ男、体を共有するものとして、ちと気の毒になってくる。だが、そう言ってる場合でもない。

スクリーンに向かって声をかける。

替われ。これからは、戦いの時間だ。……そうだ。死にたくねェなら替われ。……ああ。見向きもされてない?それどころか嫌われてる?そりゃあ……どうしたもんかね。

俺と同じ声の情けない嘆きと入れ替わりに、銀幕に吸い込まれ、そして俺の視界に主体性が戻ってきた。目の前には不機嫌な顔のすみれがいる。そんな顔してるとシワが寄るぞ。親指で眉間のシワを伸ばしてやると、心底鬱陶しそうな面で振り払われた。懐かない犬か猫を見ているような気分だ。

鯉口に手を添えて、わずかに刀身を引き出す。……できた。目の前の女もそれを見ていたのか、満面の笑みを浮かべた。少し赤みのある頬。笑うときにわずかに苦しげになるのは、コイツが心から笑っている証拠だ。歪んじまってるが、こればっかりは今すぐどうにかなるもんでもねェ。四六時中愛想で笑ってるよりはずっといい。

俺を見上げる目には、尊敬以上の何かが含まれている気がしてならない。……いや、これは男の欲目かね。

「おかえりなさい。土方さん」
「ああ、行くぞ」
「はいっ」

好意的に見られているのは悪い気はしねェが、今回ばかりはどうにかならねェもんかな。

この状態が続くのは、俺にとっても望ましくはない。

今だって意識の最奥でもう一人の自分がさめざめと泣いているのが伝わってくる。ノイズのようにちらつく鬱陶しさ。あんだけ殴られても罵られても集られても、めげずに女に貢ぎに行く近藤さんを見習えってんだ。

俺は妖刀の呪いによってヘタれたオタク的部分が増長した土方十四郎――今では別人格として切り離されトッシーという名を得た第二人格――とその想い人桜ノ宮すみれをなんとしてでもくっつけなければならないのだ。俺の内なる戦いを終わらせるために。

「すぐにでも手ェ打たねーとな……」
「そうですね。今回の浪士は過激派のようですし」
「あ、ウン。どっちもな」
「……どっちも?」
「こっちの話だ。今は気にするな」

とはいえ、意識の奥底に未だに居座るトッシーや つは臆病で自分からアタックするのはほぼ不可能。やったとしてもあの通り玉砕だ。

すみれもすみれだ。自分に対する感情の矢印を理解しないのはいつもの事だが、それにしても、あの態度は困る。先の動乱の原因となったのがあの妖刀なせいか、奴に対して刺々しい対応ばかりだ。何かしらの手を打って、どうにかこうにか、俺の人格の一部、トッシーに対するすみれの態度を軟化させねーと。

総悟に借りを作りたかねーが、頼むしかねェか。良くも悪くも、総悟とすみれは付き合いが深い。近藤さんに言ってもらうよりは効果があるだろう。……あのドSの事だ。なに要求されるか分かったもんじゃねーけど、万事屋に頼むよりはマシだ。

「クソっ」

玄関を出る直前に悪態をついて、それで終わりだ。あれだけうるさかったトッシーの声すら届かない。目の前には整列した隊士達。最前列の端にするりと入り込むすみれ。野郎共の前に立っている近藤さんの横に並び、声を張る。

「行くぞ――真選組出動だ!」

多数の男の声が、地鳴りのように空気を震わせた。

*

出動、呼び出しからの出動、出動、非番、出動して休もうかと思ったら呼び出し、週休、週休を打ち消す呼び出し、そして出動。

ここのところ、忙しい。体力はそれなりに自信があったつもりだけど、流石に今週はきつかった。まともな休みが殆どない。こんな週はファンデーションのコンパクトを開く元気さえ出ない。

「すみれさん、いつも以上にくたびれてらァ」
「沖田さんはなんでそんなに元気なんですか」
「すみれさんとは鍛え方が違うからなァ」
「今週ずっと暇そうだった奴に言われるのは心外です」

暗にアンタは出動の時以外サボってたろと言ってやると、あからさまに視線を逸らされた。ため息をついて、ハンバーガーにかじりついた。

「食う元気がある内が華でィ」
「確かに。今日何人かに点滴打ち込んだしね」
「あのくらいで飯食えなくなってんじゃ世話ねーや。ちっとはすみれさんを見習えってんだ。デブみたいな食らいつき方してるってのに」
「すみませーーーん!こっちにマスタードくださーーーい!!このクソ野郎の鼻の穴から流し込むんでーーー!!」
「ああ、クソ野郎で思い出した」
「何をですか?」

受け取ったマスタードを沖田さんの鼻から強制的に流し込む手前で手を止めた。

「土方の野郎の事でィ」
「土方さんが何?」
「アンタ、ヘタレた野郎に随分と冷たいって話じゃねーか」
「…………」
「黙ったままってこたァ、アンタ心当たりあるんだな」
「……確かに、世間的にはそう取られてもおかしくないのかも」
「分かってたのかアンタ」
「うん、まあ」
「土方さん、謹慎になる前に俺に『人が誰しも持っているヘタレた部分が、妖刀によって目覚め始めている』って言ってたんでィ」

大方、沖田さんと自分で役割を分担しようと言った後の話だろう。そういえば、あたしには言いにくい事も沖田さんになら言うかもと、一応話を聞いておいて欲しいとお願いしたんだった。約束を守ってくれたのか。

「つまり、元を正せば、土方さんとあの人は同じであると」
「そうなるな」
「それを根性で別人格として切り離しているのかな」
「難しい事は俺にゃわからねーんで」
「少しは態度を改めるべき、そう言いたいの?」
「自分で結論にたどり着いてくれるたァ、ありがてーや」
「できると思う?何人も死んだのに」
「……これだからすみれさんは」

分かっている。不条理だ。

「野郎の刀のせいで死人が出ちまった、そう本気で思ってんなら。――なんで野郎本人を恨まない」
「…………」
「それはあくまで方便だろィ。ホラ、ちゃっちゃと吐いちまえ」
「珍しく奢ってくれたけど、土方さんに頼まれでもした?」
「――さて、どうだか」

……この反応。多分土方さんに頼まれたな。報酬はお金と、しばらくの間サボりを黙認する、そんなところかな。いや、それを対価として提示したにせよ、沖田さんが従うなんて意外だな。この話に沖田さんが面白がる要素なんてないはずだ。

そもそもの話、何考えてるんだ、あの人。聞きたい事があるのなら、あたしに直接言えばいいのに。

「……純粋に話し方が苦手。テンションが合わない。あとなんか無理。土方さんの顔でアレってのが許せない」
「アンタ、土方の事がどう見えてんだ?」
「どうって……男前で、ぶっきらぼうで無愛想だけど実は優しくて、それで――強くてかっこいい!」
「…………うわ」

沖田さんはあたしの言葉を聞いて、不味いものを食べているかのような顔をした。……しまった。ついつい語ってしまったけれど、この人の姉上は、土方さんの事が好きだった。そんな相手の話なんて、聞きたいとは思えないだろう。

「ごめんなさい。変な話した」
「いや、妙に隠されるよかいい。…………………」

沖田さんは何かを言った。だけど、店のBGMが邪魔をしてうまく聞き取れない。唇の動きで見当をつけようにも、動きが小さくて読み取れない。もしかすると、聞かせる気なんてなかったのかもしれない。

「沖田さん?」
「なあ、すみれさん、もし、3年前あの時、路地裏で――」
「路地裏で?」

沖田さんはたっぷり間を置いて「やっぱ今のナシで」と首を振った。

「沖田さん?」
「妙な話したから腹減っちまった。すみれさんの奢りで食わせてくれィ」
「……はいはい」

追加の注文をしに行く途中、沖田さんは何を言おうとしたのだろうと考えたけれど、ついぞ分からなかった。

*

言葉を聞いて、愕然とした。気のせいじゃなかったら、それ、俺に……なのか?いや、アイツ、惚れてる女がいたとか言ってなかったっけ。あとは自助だとかなんとか。前にヤろうとした時は「好きな相手同士でやるべきだ」なんて宣うくらいだし。だから、ないだろ。ナイナイ。……ない、よな?

「お前の罠だろ。適当に都合のいい事だけ報告して、ぬか喜びする俺を見て愉しもうってんだろ。そうなんだな?」
「……ここにも馬鹿がいた」

頭が痛いというように振る舞うアイツは少し珍しい。コイツは振り回される側よりも振り回す側に立つ事の方が多い。腹立たしげに総悟はため息をついて、俺の顔面に物を投げつけてきた。ICレコーダーだ。これで話を録音していたらしい。すみれがそんな事を許容するようには見えないから、多分勝手に録音したなコイツ。問題行動だが、ありがたいのには間違いはない。

「じゃあ、仕事はしたんで、残り一週間のサボりは許容してくだせーよ」
「ああ、屯所内でのサボりは目をつぶってやる」

いくらサボろうが、俺は何も言わねェ。その代わり、サボったツケはきっちり請求するぞ。サボりは見逃せと言われたが、仕事を肩代わりしろとは言われてない。内心で奴の文机に積み上げる書類の数を数えながら、総悟の背中を見送った。
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