夢か現か幻か | ナノ
Dependence
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近頃、喫煙者に対する世間の風当たりは強くなる一方だ。煙草の値上げや喫煙所のお取り潰しに始まり、あらゆる媒体で日夜喧伝される煙草の害、煙草の広告の排除、アニメや漫画での喫煙の描写のカット、そして市井の民の視線の冷たさ……。

コンビニで煙草を取り扱っていたり日常的に買う人は気付いたかもしれないが、4月のはじめに、煙草のパッケージに記載されている警告文の大きさがまた少し大きくなった。その内、蓋の部分以外は警告文で埋め尽くされるのではないかとさえ思う。マヨボロのデザイン好きなんだけどね。原本がいた世界の昔のF1なんかは、マルボロの車が走っていたりしたものだ。

まあ、郷愁に浸るのは程々にしておいて。医者としては、煙草は吸うべきではないとは思う。喫煙人口を減らすには、煙草のパッケージの魅力を減らしたり、市民に害を教えたりが効果的なのも理解できる。もちろん喫煙できる場所を減らしたり、煙草を値上げしたりが有効な事も。

それでも、魂の拠り所と化している物体を取り上げるのは、可哀想だなと思ってしまうのだ。父親がヘビースモーカーだった身の上としては特に。なにより、ストレスフルな日々を送る好きな人もヘビースモーカーであれば尚の事。

しかし、やっぱり医者としては、彼の煙草の本数は異常なのも否定できない。このままのペースでは、一日二箱はカタイ。周りの人間の事を考えると、止めてもらわないと。

今回の議題の提案者が多数決を取っている。確実に私怨込みだけど、あたしがプレゼンのやり方を仕込んだ甲斐があって、まあ見事な演説をぶち上げてくれた。それに、この場合、公共の福祉を優先して然るべき場面でもある。自分が健康を守るのは土方さんだけではなく、他のみんなも、なのだから。

つまり、立場上賛成せざるを得ない!!上座に座る人の視線を伺いながら、そろりそろりと賛成に手を上げた。案の定、裏切り者と言わんばかりの視線を頂戴している。ごめんなさい!!!

「賛成十一人、反対一人。土方さん以外全員賛成ってことで、この議案は可決されました」

頭の中で処方箋を書いているけれど、はてさて、どれくらい効果があるのやら。この人の事だから、ニコチンパッチを当てながら煙草を吸うくらいはやりかねない。

「真選組屯所は今日から全域にわたり、禁煙にします」

土方さんがすごい顔をしている。絶望やら怒りやらそんな色々なものをまぜこぜにしたすごい顔だ。その唇にはいつもの赤マヨが挟まっている。原本の父親も、赤マル好きだったな。あの人も、大学構内がほぼ禁煙になると決定した時、こんな顔をしていたのかもしれない。

そうやって呑気な回想をしていると、せめてもの悪あがきとして元喫煙者の皆々様に色々言っていた土方さんが、あたしに水を向けてきた。順当だな。

「お、オイ、すみれ」
「はい、なんでしょう?」
「お前は今でも煙草吸ってるよな。いいのか?屯所の中で吸えなくなっても」
「私はいつでもやめられる位にしか吸ってないので、別に」

土方さんは周りを見渡して、他の喫煙者だった隊長達に助けを求めているけれど、誰もが煩わしそうに彼を見ただけだった。

三々五々会議室を出ていく隊長達を力なく見送った土方さんの肩を、近藤さんは労うように叩いていた。

*

コンビニで少し買物をして屯所の玄関をくぐると、外回りから帰ってきた土方さんと出くわした。彼は、頭を血まみれにして、ひどくぐったりとしていた。しかも、なんでか知らないけれど、煤まみれだ。頭の出血は止まってるから、ステープラーだけでいいかなと思うけど。

「土方さん、どうしたんですか!?」
「とっつぁんめ……自分が娘に煙草臭い言われたからか知らねーけど、俺達まで巻き込みやがって……」
「ああ、江戸全域の禁煙令ですか」
「なんで俺達まであのオッサンと一緒に心中しなきゃいけねーんだクソが……」

連れ込んだ医務室でなだめすかしつつ消毒やら洗浄をしている間も、土方さんの恨み節は止まりそうもない。

沖田あのやろう、とっつぁんと連携してたわけじゃねーだろうな」
「多分、タイミングが被っただけだと思いますよ」
「お前もお前だ。裏切りやがって」

これは相当機嫌が悪いな。外に出た際によっぽどひどい目にあったと見える。確かに、喫煙者のくせに屯所内全面禁煙に手を上げたのは、そう取られても仕方がない。土方さんから見れば、完全に肉屋を応援する豚状態だっただろうし。

「すみません。あたしがやり方を教えといてなんですけど、ああもうまくプレゼンされると、立場上賛成するしかないんですよ……」
「てんめェ……」
「曲がりなりにも学者の端くれなので、『教えて下さい』って頼まれると教えたくなるっていうか」
「馬鹿に武器与えてんじゃねーよ!」

ニコチン切れの人間の圧力は凄まじい。今すぐニコチンを処方しろとまで言われそうな勢いだ。適当な言い訳をして煙に巻いてしまおうか。

「こんな話があるんですが」
「つまらん話だったらあそこの松の木に吊るすぞ」
「まっまっまっ、聞いてくださいな。ちょっと聞いて面白くなかったら吊るしてくださって構いませんから」
「言ったな。本当に吊るすぞ」
「はいはい。さて、今でこそ地球上での生態系の頂点に立っている地球人、ホモサピエンスですが、大昔、6万年ほど前、我々の祖先には競争相手がいました」
「……あー、なんだっけ、ネなんたら」
「はい。ネアンデルタール人です。彼らは我々現生人類よりも大きな脳と、屈強な肉体を有していました。しかし、今現在、彼らは化石と、我々の遺伝子のごく一部にしか存在していません」
「絶滅したのか?今の人類よりもガタイが良かったのに」
「はい。現状を見る限り、現生人類の祖先はネアンデルタール人との生存競争に勝ったといえます。混血の末の淘汰なのか、それ以外の要因なのかは今なお議論中ですけども」
「お前は何故勝てたと考える?」
「これは誰かの話ですが、模倣子ミーム、かも?」
「ミーム?」

模倣子の説明を求められると少し悩む。インターネットミームとかそんな言葉が巷を騒がせているけれど、意外と難しい概念なのだ。

「はい。人間の頭が記憶して、他の誰かにそっくり伝えられる情報です。身近な例に例えると、そうですね、ミニ丈の着物とか、勝手に店の冷凍庫に入って写真を撮るアレとか、あとは局中法度とか」
「前二つと並べられるのは癪なんだが」
「言葉が定義している幅が広すぎるんですよ。いわば文化の源流みたいなものですから」
「分かった。局中法度の例で例えるなら、俺が思い描く侍像が局中法度で、それによって隊士達にも俺の侍像が伝わる、そういう事か」
「はい。肉体の遺伝子に依らず伝えられる情報、それが模倣子です。他には宗教とかもそうですね。殊に今の人類はそれの働きが強いようです。だから我々は本質的に教えたがりなんですよ」
「……なるほど。で、言い訳はそれだけか?」
「あっれー」
「面白い話だったが、馬鹿に刃物与えた件はそれとこれとは話が別だ」
「ぐっ……土方さんだって、あたしに剣教えてくれたでしょ」

土方さんは、あたしから目を逸らした。この人も教える事が嫌いな訳じゃないから、請われたら断りにくいのは分かるのだろう。

「公共の福祉って事で、ここは一つ、耐えてください。ニコチンガムの処方しますから」
「あんなもん気休めにもなんねーよ」
「少なくとも1週間、江戸では煙草を吸えないんですから、必然的に禁煙するしかないでしょう?」

土方さんは納得できないようだ。露骨な貧乏ゆすりは正直見苦しい。仕方がない。こんな事もあろうかと、医務室の冷凍庫で作っていたアレを出そう。冷凍庫から、目当てのものを取り出した。

「土方さん、お口を開けてください」
「なんだよ、氷か?」
「はい、あーん」

製氷皿で固めた氷を、土方さんの口の中に突っ込んだ。味をつけただけの簡素なものだけど、ないよりはマシだろう。イメージとしては、コンビニに売ってるボックスアイスみたいなものだ。前に土方さんは「あんな氷に味付けただけのもんが、100円以上するのかよ」って言ってたけど。

「少しは気が紛れませんか?アメでもガムでも氷でも、口の中に何かがあると、案外紛れるものなんですよ」
「口ん中が冷てェ」
「氷ですからね」
「わざわざ作ったのか?」
「沖田さんから議題は聞いてましたから、昨日のうちに。ニコチンパッチと併用すれば少しは治療の足しになるかなと思ったんですけれど、どうですか?」
「確かに、気は紛れるか……」
「いわゆる代償行為ですね。お母さんのおっぱいの代わりに指をしゃぶるようなものです」
「吸いたくなるたびにお前のとこ行くのもな」
「熱いお茶でも昆布でも何でもいいんですよ。口の中にしばらく残るものだったら」

それでも土方さんは渋い顔だ。よっぽど禁煙したくないらしい。ここまで来ると、煙草を吸っているのか、それとも煙草に吸わされているのか、分からない状態だ。あくまで日々に彩りを添えるための嗜好品なのに、それの薬理で摂らされるのはなんか違う気がする。

「なあ、禁煙令が出てるのは、江戸だけだな?」
「……そうですね」
「なら、江戸の外に出りゃいいんじゃねーか?」
「今、煙草の流通もストップしてますよ」
「だったら原産地まで飛べばいい」

そう言った土方さんの目は血走っている。ただでさえ目力がお強い人なのに、迫力が大変な事に……。

旅支度を整えるためか医務室を出ていく背中を見送りながら、煙草の恐ろしさを噛み締めていた。人を宇宙に飛ばしてしまうとは、いや、ホント、煙草恐るべし。

しかし、この時のあたしは知らなかった。土方さんと同じ便でセンター長まで宇宙に旅立ち、彼が抜けた分を常勤と非常勤の医療スタッフが全力で補わなければならない事を。

ちなみに、帰ってきた土方さんとセンター長は、揃いも揃って少しやつれた顔で「禁煙する」と力なく言ったそうな。……もちろん、二人仲良く禁煙には失敗するのは言うまでもない。
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