夢か現か幻か | ナノ
Forget-me-not part.9
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その病院は、港から車で一時間程の距離にある蝦夷最大の都市、その中心部よりやや外れたあたりにあった。蝦夷の中でも最大の都市とあってか、立派な病院だ。この病院が、地域の患者を担っているのだろう。

その病院の医局室で、あたしはとんでもない話を聞かされた。……聞き間違いでなければ。上司になる予定だった人から聞いた言葉に、現上司の土方さん共々素っ頓狂な声を上げて、揃って気まずくなって咳払いした。

「――えっと、すみません、私、耳が遠いみたいで、もう一度言ってもらえますか?」
「あの、ですからね、常勤の方、江戸からいらっしゃったので、もう結構です」
「やっぱり聞き間違いじゃなかった。……もしや、その先生、春日部先生では?」

今度は先生が驚く番だった。

「どうして、それを」
「コネ、ですかね……」

これは一体どういう事だろうか。

その時脳裏をよぎったのは、ニタリと意地の悪い笑みを浮かべる我らが一番隊隊長と、ニカッと自前の白い歯を見せて笑う岩尾先生だった。

そういう事かと土方さんと同時に納得して、頭を押さえた。あの野郎共、そもそもここに赴任させる気なかったんだな。岩尾先生と共謀し、先回りして人員を手配、土方さんをトランクに押し込み、素知らぬ顔であたしを送り出したのだ。どおりで沖田さんは別れの言葉を言わなかったわけだよ。

この分だと、武装グループが船を占拠することも織り込み済みだったのか?見廻組とのパイプがないのをいい事に、知らんふりをしてあたしと土方さんを載せたのか。流石に被害妄想だと思いたいけれど、傍証的にはかなり怪しい。

あの時、もしものためにと用意されていた物品は、拳銃に銃弾、無線、エイト環、そして出動の時に履いているブーツとガラスブレイカーだ。あまりにも用意が良すぎる。一番最後なんて、もしもで用意する装備ではない。

証言と犯人の自白が揃えば完璧だな。

「ちなみに、春日部先生を紹介したのは」
「岩尾先生です。あの先生には親父が随分世話になりました」

なるほど。先生の伝手を使ったのか。

「聞けば、桜ノ宮先生は岩尾先生のお弟子さんだとか」
「はい。不肖の身ではありますが……」
「では、先生に改めてお礼の方をよろしくお願いします」
「もちろんです。こちらこそ、お世話になりました」
「今回は我々の手違いで、そちらにご迷惑をおかけしてすみませんでした。私共はこれにて失礼させていただきます」

貴重な土方さんの敬語だ。普段部下に対しての言葉ばかり聞いているせいか、ひどく新鮮に感じる。

「いえいえ、こちらこそ、せっかく江戸からいらしてくださったのに、ろくにおもてなしもできず。……まあ、今回のシージャックでしばらく船も出ないそうですし、ゆっくり観光なさってください。それと、こちらの独身寮に届いた荷物は、今度着払いで事務員に発送させますので」
「何から何まで、すみませんでした」

医局室を辞して、そして、病院を出て、しばらく歩いて出てきた感想はただ一言。それを憚る事なく口にする。

「ホント、いい性格してる」

恨み言めいたあたしの言葉に、土方さんは力強く頷いた。

*

独身寮は入れないから、船が出るまでの間は宿を探さないとな。全く勝手がわからない街で一体どうすればいいのやら。

ため息をついて荷物を持ち上げようとすると、自分よりも大きな手にひょいと取り上げられてしまった。土方さんは自分が入っていたスーツケースに加えて、あたしのトランクケースまで持っていこうとしているみたいだ。

「いいですよそんな」
「黙って持たせろ」
「両手塞がりますよ。浪士の襲撃に遭ったらどうするんですか」
「そん時は……そうだな、お前に任せるか。船ン中じゃあ散々こき使ってくれたし、浪士の一人や二人、任せてもバチは当たるめェ」
「意地が悪いですね」
「なんとでも言え」

しばらく歩き、東西に細長い公園のこれまた大きな噴水の前に出た。向こう側には、電波塔が建っている。元の世界にいた頃、この公園を写真で見た事がある。確か、大通公園っていったっけ。

天人の資本が流入しているおかげで、あたしが知る歴史よりもずっとハイペースで開発が進んでいるらしい。周りを見渡すと、ビルの造形を除けば、自分の知る現代の都市とそう大差ない高層建築が立ち並んでいる。

丁度お昼時とあってか、とまり木に集まるムクドリのように、人々がベンチに腰掛けている。あたし達はどうにかこうにか空いているベンチに体をねじ込み、一度腰を落ち着けた。

「どうするか近藤さんに聞いてみる」

そう言って彼は携帯電話で近藤さんに連絡を取っている。その間やる事がないあたしは、ぼんやりと噴水の水が上がって落ちるのを見つめていた。

しばらく会話したと思えば、口論に変わり、口論の末に土方さんは不承不承折れたような事を言い。そして電話は切れたらしい。もう誰にも繋がっていない絡繰仕掛けに悪態を吐くのは、土方さんにとって厄介な結果に終わったからだろう。

「『少なくとも二、三日は船出ないみたいだし、羽伸ばしてくるといい』……だってよ。それができるような、大人しい連中だったらいいんだけどな」

なるほど。近藤さんの寛大極まりない言葉のおかげで、あたし達は降って湧いた余暇を持て余す事になったらしい。

「どうします?」
「本当はすぐにでも帰りたいが、そうもいかねェ」
「じゃあとりあえずススキノでお酒でも」
「こんな真っ昼間からか!?」
「えー他になんかあるんですか」

土方さんは大きくため息をついた。コイツは全く……そう言わんばかりの態度。流石にカチンと来る。

「そんなリアクションするんなら、なにか心当たりあるんですよね」
「あー……テレビ塔とか、ラーメンとか」
「すごく無難なプランですね」
「酒飲む事しか考えてねー飲兵衛プランよかずっとマシだろうが!」
「確かに」
「つーかそもそも、ホテルに行くのが先だろうが」

土方さんの言葉に、引っ掛かりを感じる。さっきのだと、もう予約をとってあるかのような物言いだ。「もしかして、」と口に出すと、「その通りだ」と首肯が帰ってきた。

「総悟が俺の名前で勝手に予約していたらしい。しかもいっちょ前に、そこそこいいホテルをな」
「はあ」
「ったく眠剤の件といい、あの野郎……」
「まあまあ、いいじゃないですか。今から飛び込みで入れるホテルを探すよりは」
「確かにな」

一応納得はしても受け入れられないようで、土方さんは小さく、「あの野郎」ともう一度呪詛をこぼした。

この時のあたし達は知らない。

ホテルにたどり着いて、もらった鍵が一つこっきりしかない事を。

そして、ホテルに空きはなく、部屋をもう一つ用意してもらうのはかなわない事を。

それらの事実に行き当たって、土方さんが三度「あの野郎」と怨嗟を口にする事も、全て。

あたし達は知らない。

……本当、いい性格してる。

*

海鮮にラーメンに雪印パーラーにあれやこれやを味わい、テレビ塔に登り、天人の建築を真似たという庁舎を興味深げに見て、酒を飲んでと、なんやかんやと観光し、そして申し訳程度の視察を行って、帰りのフェリーでは一番いい船室に入れてもらい。そんな具合で蝦夷の土地をそこそこ楽しんで帰ってきた。今度は武装集団に占拠される事なく平和に航行できたから嬉しい。

蝦夷に転勤ではなく、旅行してしまったことを少し後ろめたく思いながら、そっと屯所の門をくぐり、玄関から中に入ると――。

連続して鼓膜を震わせる火薬の炸裂音。破裂音が聞こえると、抜刀しそうになるのは職業病だ。しかし、火薬の匂いとともに降り掛かってきたのは、色とりどりの紙吹雪だった。

「せーのっ!」
「――おかえりなさい、すみれ先生!!」

近藤さんに、沖田さん、斉藤隊長、そして一番隊の隊士であったり五番隊であったり、手すきの隊士達が玄関に集まっていた。彼らの手には、リボンがぶら下がるクラッカーがある。

大勢の声が、あたしの帰還を祝ってくれている、らしい。髪の毛に絡まった細長いキラキラのリボンを呆然と見つめながら、状況をうまく整理できなくて、意味をなさない言葉を漏らした。

どうすればいいのか、と後ろの土方さんを見ると、彼は一瞬、ほんの一瞬だけ、優しげに目を細めた。逆光のせいでよく見えなかったから、気のせいかもしれないけど。

「おかえり、すみれ」

紫煙が香り、顔がよく見えないせいで、土方さんが一瞬だけ、今は亡き人に重なった。昔、誰もいない家に帰って大きな声でただいまと言って、そして、今みたいに後ろから――。

泣きたいような嬉しさに視界が潤むのを、今回だけは隠さなくても、許されるだろうか。

「――ただいま、みんな」

屯所の玄関を、歓声が包み込んだ。

*

かぶき町の居酒屋が集う一角。万事屋銀ちゃんの胡散臭い看板が堂々とかかっている建物の前にあたしは立っていた。外階段を無視して、一階の入り口を開ける。

曙を深々と吸っているお登勢さんが出迎えてくれた。元泥棒のキャサリンさんと、違法からくり家政婦のたまさんも。全員元気そうだ。

「おや、アンタかィ。聞いたよ」
「馬鹿ノ癖ニ記憶失ッタンダッテナ」
「失礼ですがキャサリン様、桜ノ宮さんは少なくともキャサリン様よりは頭がいいかと」
「喧シインダヨ!コノ腐レポンコツ!」

キャサリンさんが例のモップでしばかれているのを尻目に、カウンター席に座った。

「記憶は戻ったのかィ」
「はい、おかげさまで。その節はご迷惑をおかけしました」
「やっぱり連中はアンタがいる方が生き生きしてるね」
「はは。褒めてもボトルキープしかできませんよ。――北部美人を」
「アンタ、これ以上ボトル増やすつもりかィ」
「名前は、坂田銀時で」

お登勢さんがピタリと止まった。深々とため息をついて、煙草を灰皿に押し当てた。

「アンタ、なんのつもりだか知らないけど、あの腐れテンパに酒の良し悪しが分かると思ってんかィ」
「まさか。でも、一応誠意の形にはなるでしょ。今回そこそこ大きな借りを作っちゃったので」
「…………」
「これでもって今回の件はチャラ。今まで通り貸した金を取り立てていくって寸法です」
「アンタ、律儀なんだか難儀なんだか分かりゃしないねェ」
「ま、とにかく。あんまり飲ませすぎないでくださいね。せっかくいい酒なんですから」
「分かってるよ。それで、他に注文はないのかィ」
「じゃあ、鬼嫁で」

酒を注いでもらい、グラスを掲げて、続く日常に乾杯を捧げた。
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