夢か現か幻か | ナノ
Forget-me-not part.8
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即席の爆弾で小型船を撃沈し、階段を駆け上がり、操舵室手前の船員室が集中しているエリアに到達した。船長室も副長室もロックがかかっていなかった上に空。多分、連れて行かれたんだ。

船長や副長以外の船員の居室にはドアがないようで、廊下と部屋を区切っているのはカーテンだけだった。船員さんってこういう部屋で寝泊まりしているのか、と興味を示す時間はない。なぜならば、

「死ねェェェ!!」

全てをかなぐり捨てたむき出しの殺意が、白刃を伴って襲ってくるからだ。でも、土方さんはそれらを正確にさばいている。

自分の助けなんていらないんじゃないかと思う事数度。多分土方さんも同じ事を感じているはずだ。でも土方さんは何も言わずに同行を許してくれている。お荷物を背負わせるようで大変申し訳無い。

「ったく。遊園地のアトラクションじゃねーんだぞ」

こういった見通しの悪い場所から奇襲するのは常道だけど、それは彼我の実力差がある程度で収まっている場合のみだ。土方さんと彼らは、お荷物の分を差し引いても、天と地ほどの差がある。奇襲ですら戦力の差を埋めるに値しない。

土方さんは黙々と浪士を斬る。これ程の差があるのに、どうして彼らは戦うのだろう。前に出撃した同志はすべからく死んでいる。この薄いカーテンなら同志の断末魔は聞こえているはずなのに。

「なぜ戦うのかな」
「――我らには、崇高なる理念が、ある。蝦夷に国を興し、やがて日ノ本全てを救う、高遠なる目的が」

足元に横たわっていた浪士が私の独り言に答えた。男は文字通り血を吐きながら、理想を紡いでいた。

「貴様や、そこの男のような、上から命ぜられて、戦うだけの、幕府の犬には、理解できまい……」

土方さんがとどめを刺し直すまでもなかった。男は最後の一言を言い終えると、ゆっくりと息を吐いた。それっきり、肺に空気を満たす事なく死んだ。

「何してる。行くぞ」

犬、いや狼が唸るような低い声。道草を食っている場合ではないと思い出して弾かれたように立ち上がる。

――上から命ぜられて戦うだけの幕府の犬。

目の前のこの大きな背中は、本当にそれだけの理由で戦っているのだろうか。確かに、全体的に事務的だ。積極的に護るというよりは、護るのが仕事だから護るような。彼自身の剣を振るう場所は浪士側であっても全く構わない。そんな気配もうっすら感じる。

でも、命ぜられて戦うだけ、本当にそうなんだろうか。

考え事をしている間にも、土方さんは浪士を切り結んでいく。また、船の中に男の断末魔がこだました。そうして、とうとう廊下の左右には部屋がなくなり、重たそうな扉があるのみとなった。この船の頭脳。操舵室だ。

目配せをして、自分が外開きの扉を開き、刀を抜いた土方さんが突入した。

「御用改めである!神妙にお縄につけ!」

扉の陰を飛び出し、土方さんに続いて操舵室に入ろうとして、足を止めた。

「動くなァ!!」

そう叫ぶ男の声が聞こえてきたからだ。

「動けば船長の命はないぞ!」

なるべく自然になるように扉を閉めて、考える。土方さんに目が行って私に気がついていない事を願おう。

どうすればいいんだろう。こうなってしまうと、私が状況を打開しなければならないけど、できればやりたくない。なんせ刀を握っているだけで震えてくる。こんなので何の働きができるというのか。無理だ。できない。

でもあのままだと、この船の人間が人質に取られたまま下船する。一部には戦闘員の生き残りもいるだろうし、これだけが戦力じゃない可能性もある。そうなれば、反乱分子の目的、国興しが成功してしまう。

蝦夷に反乱分子が一つの国を興した場合。まず幕府もとい天人達は連中を放っておかない。間違いなく鎮圧にかかるだろう。それこそ、一つの国に対して侵攻するように。

戦争で死ぬのは兵士だけじゃない。無力な市民もだ。そして、私は知っている。追い詰められてなりふり構わなくなったテロリストは、時として護るべき市民をも盾にして戦おうとする事を。

出港する時に見たものを思い出す。陸に向かって手を振る人達の中には、小さな子供もいた。そばには父母と思しき男女も。

元気よく手を振って、楽しげに笑う横顔を思い浮かべた時、あれだけ震えていた手は、静かになった。

護らないと。あの子供も、土方さんも。酒を飲んでいた時の穏やかな横顔を瞼の裏に描く。冷えた心臓に熱が注がれた。

戦わなければ。今だけは、真選組を追い出されたとかそんなの関係ない。きっと、この腰の刀は、彼らのようなささやかなものを護るためでもあったのだろう。

となれば。私は上を見上げた。

*

突入した先にいたのは、もちろん船長だけではなかった。船長と思しき立派なダブルのコートを着た壮年の男。そして、男の太い首筋に刃をあてがう、いかにも浪士然とした男。見廻組から回ってきた写真と、人相は合致する。船長の後ろの男がこの騒ぎの元凶だろう。

「誰かと思えば、鬼の副長、土方十四郎殿ではないか」
「テメーか。こんなくだらん事してるのは」
「フン。芋侍ごときが、我々の深遠なる目的を理解できるものか」
「……どうやら、分かり合えないみてーだな」
「そんな事、最初から分かりきった事であろう。普段の貴殿なら、問答無用で叩き切ったはずだが」
「警察は人命を尊重しなきゃならねーからつれーよ」

一服しつつ適当に言い繕ったが、そんなもんで誤魔化されちゃくれなかったようだ。期待もしてなかったが。野郎の目が探りを入れるように細くなる。

「部下の報告によると、貴殿には連れがいたようだが」
「知らん」
「ふ、話によれば、怖気づいてマトモに刀も握れもしない小娘だったようだが、あれが真選組の衛生隊長か」

確かにその通りだが答える義理はない。無言を貫いた。野郎は我が意を得たりとばかりにべらべらと話している。余裕ぶってるつもりらしい。

「かの衛生隊長があれでは確かに蝦夷に流されるだろうよ」

外野から見たらそうだろうな。

だが、俺は、違う。

船室から飛び出してきたアイツは、苦しみながらも、前進しようともがいていた。確かにそれは、記憶を失う前のすみれの姿勢だった。

だから、俺は信じたい。

未だに迷いながら、頭抱えながら戦う女が、知恵絞らないわけねーだろうが。

記憶を失って、戦えなくなった癖に、まだ戦おうとするあの女が、たかがこの程度で引き下がるかよ。

「どうした。俺の正論にぐうの音も出ないのか」
「なわけあるかよ」
「なに?」
「俺ァ、約束した女を信じるだけだ」
「信じる?あの小娘を?」
「それに」

男の背後。窓の外にそれまではなかったものを見つけた。男の制止も聞かず、煙草を咥え、先端に火をつけた。

「貴様、何を笑って――」
「おまわりが迷子の手ェ離せるかよ」
「迷子――?」

目を閉じて、煙を吐いた。顔の前で腕を交差させ、頭部をかばう。

そのコンマ一秒後。

けたたましい音を立てて、窓ガラスは千千に割れた。

*

風が吹いていた。強い強い風が、船橋の上を走っている。

風の中で、船にあったものを使ってあらかたの準備を終え、あとはもう一度装備を確認して実行するだけ。土方さんが常時オンにしていた無線から、操舵室に立てこもる浪士と土方さんの会話が聞こえてくる。

その中には、私の話もあった。

真選組衛生隊長。それが、私だ。これからは、違う肩書になるのかもしれないけど、少なくとも、刀を腰にさしている今は、そうだ。

どうして、記憶を失う前の私は戦う事を選んだのだろう。

死にかけの男に止めを刺しただけなのに、恐ろしくて仕方がなかった。たった一人殺めただけで、自分がとんでもなく汚れた気がした。

きっと、前の自分も、人を殺した時に同じ事を感じたはずだ。なにせ、記憶が失くなっても私の本質はあまり変わっていないようだから。

なんで私は戦うのだろう。

考え事をしていたら、確認の手が止まってしまった。大丈夫。ブーツの底にはスパイクもついてる。これなら操舵室の窓も壊せるはず。

ロープを握り、降下の準備を整える。

作戦は至極単純だ。操舵室上からラペリング降下して、窓を破壊して操舵室に侵入し、鎮圧する。こういう分かりやすい作戦は案外うまくいく。これは私の勘だ。きっと勝負勘みたいなもの。本能ともいう。

「ロープよし、エイト環よし、窓よし、安全装置外す……」

操舵室の上、船橋のてっぺん。その端っこギリギリ。そこに立つだけで怖い。拳銃のコッキングを確認する声が泣きそうになっているのが自分でもよく分かる。できることなら、今すぐにでもロープを手放して、自室に戻りたい。

でも、それだけは、できなかった。今、危険に直面している人に背を向けて逃げ出す、それだけは、したくなかった。

「降下!!」

吹き荒ぶ風に負けない声で叫んで、ロープを下ろし、窓を蹴破る。

その僅かな間。

――おまわりが迷子の手ェ離せるかよ。

あたしはそこで、自分を取り戻した。

拭っても拭えない血。

殺してしまった好きだった人。

暗がりでうずくまって泣いていた自分。

そして、そんな自分に手を伸ばしてくれた人。

彼と大切な友人(?)と仲間達。別の形になって戻ってきた失くしもの。やっと、全部思い出せた。やっと、引っかかっていたものの正体が分かった。どうして、こんなに大切なものを忘れられたのだろうか。

懐かしくも、少し悔しい。だけど、それに浸る余地はない。ガラスを割って滑り込んだ操舵室の中に、こわごわと周囲を伺う船員がいる。そして、彼らの視線の先には、喉笛に小刀を突きつけられた船長がいた。

「動くな、警察だ。今すぐに武器を捨てて投降しろ」

今の自分は与えられた役割を全うするだけ。それ以上は必要ない。

「きっ貴様はァァァ!!!」
「私は、真選組衛生隊長、桜ノ宮すみれ」

もう名乗る時に迷ったりしない。真選組があたしの居場所だ。

男の首筋に刃をあてがい、可能な限りドスを聞かせた声を上げる。

「この手が届く範囲で、誰かを殺せると思うな」

男はがっくりと項垂れ、手の中の小刀を落とした。

*

怪我人の治療、武装グループの生き残りの治療及び拘束、そしてご立派な船で駆けつけた見廻組による事情聴取や現場検証に立ち会っていたらあっという間に夜が明けていた。結局、一睡もできなかったわけだ。幸いにして、陸にいるであろう残党の掃討は見廻組がやってくれる事になったから、ゆっくり休めるけれど。

事情聴取のため乗客らが船室に押し込められているのを尻目に、自分達以外は誰もいない展望デッキで朝日を眺める。遮るもののない水平線の向こう側から、大きな太陽が頭を出していた。

足元から背中側に流れる二つの影は、どこまでも平行だ。でも、この前よりもずっと距離が近い。

ちなみに土方さんは、船長と口裏を合わせたおかげで、晴れてめでたく船室外でも人権を得た。よかったよかった。

誰もいないのをいい事に、禁煙のはずのデッキで堂々と煙草を吸う土方さんに、気になった事を問いかける。

「いいんですか?」
「何がだ」
「見廻組に手柄譲っちゃって」
「いいんだよ。これで連中に恩を売れたんだからな」
「確かに。そこそこ大きな貸しですよね。見廻組の局長副長に直売りつけられなかったのはアレですけれど」
「確かにな。地球外に出張たァ、流石はエリート様だぜ」

どこか馬鹿にした言い方だけど、言いたい事は分からなくもない。こんな時期に出張かぁ。それも二人揃って。なんか妙な気もするけど、きっと杞憂であればいい。

「それにしても、本当に戻ったんだな」
「もしかして、疑ってます?なんなら、事故る前に見た、土方さんの背中のほくろの数言ってもいいんですよ」
「なっ、人が着替えてる間にそんなもん数えてたのかテメェ」
「まず肩甲骨の上に――」
「言わなくていい!」

朝焼けよりも顔を赤くした土方さんはそっぽを向いてしまった。

「そういう物言いするってこたァ、戻ったと考えていいんだな」
「はい。あなたの桜ノ宮すみれです」
「素面で恥ずかしいセリフいいやがって……」

土方さんは明後日の方向を見て、何事かぶつくさ言った後で、はたと気がついたようにこっちを見た。

「そうだ。お前の異動先に断っとかねーとな」
「え?」
「江戸に戻るだろ?」

当たり前に迎え入れられる事、それが嬉しい。なんだかんだ言ったって、古巣が一番安心するものです。

「そういえば、そうでしたね。異動のためにこの船に乗ったんでした」
「記憶が戻ったんじゃあ、蝦夷に行く意味も薄いしな」
「あら、やっぱり戦えないあたしはお邪魔だったんじゃないですか」
「今のお前なら、分かるだろ。それに」
「それに?」
「――いや、なんでもねェ」

追求はかわされそうな気配。こういう時の土方さんは何を言っても答えてくれないのは分かっている。

ミツバさんと同じか。戦えない自分を、彼女に重ねたのか。明日があるかも不明確な身の上には、幸せにできるか分からない。一人置いていってしまう事が、耐え難い。

きっとそれだけでは、ないんだろう。自分にはうまく理解できないけれど、記憶をなくしたあたしを見ているうちに思う事があったのは、間違いない。ただ、それが、あたしが疎ましいとかそういうのではなく、もっと、彼自身に関わっている。多分、そうなんじゃないかと思う。

自分がどう推察しようが、土方さんが正直に吐くわけもなし、今となってはどっちでもいい話なんだけれども。

「向こうに変わりの人材紹介しねーとな。誰か心当たりはいるか。できりゃ救命医がいいらしい」
「救命ってなるとかなり条件が厳しいですね……多分一人抜けると穴が大きいかなと」
「常勤じゃなくてもいい」
「あー、墨東の春日部先生なら、優秀だし、出身が蝦夷だし、なのに非常勤だしで丁度いいかも……?今度聞いてみますね」
「そうしてくれ」

遠い海を眺めながら、この先に思いを馳せる。

なるべく急いで帰らないとね。

朝日のように暖かなものを抱えて、駆け抜ける潮風に目を閉じた。
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