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「杏ー、英語の参考書貸して」
お風呂上がりは至福のひと時。ベッドの上で大の字に寝そべり、軽く目を瞑れば一日の疲れも吹き飛んでいく。
そんな最高のリラックスタイムにまるで土足で踏み込むかの如く、部屋の外からヤツの声は飛んできた。
「うあっ、ちょっと待っ……!」
慌てて飛び起き、素肌を纏っていたバスタオルをきつく巻き直す。
その間にも無遠慮に足音は近づいて、ノックもなしにドアが開かれる。
「あ? 起きてんじゃねーか。返事くらいしろよ」
人のことなどお構いなしにずかずかと入り込んできて理不尽に毒づくのはいつものこと。
彼はお隣さん家に住む幼馴染で、こうして我が物顔で上がり込んで来るのはもはや日常の一コマである。
三つも年下とは思えないガタイの良さは昔武道をやっていたからか、それともただの筋肉馬鹿か。
身長だって私のほうが勝っていたはずなのに、高校に上がった途端急にメキメキと伸び出してあっという間に追い抜かされてしまった。
「瞬ちゃん、もう遅いから用が済んだら早く帰りなさいねー」
「ういっす」
手馴れたように母を軽くあしらって、ドアをパタンと閉じる。
振り返りざま私は眉間に皺を寄せて怪訝な視線を送ってやった。
「ちょっと瞬! 今何時だと思ってるの」
溜め息をつきながら時計に目をやる。
もう九時過ぎだというのに、幼馴染だからって家族も甘すぎるのがいけないのだ。
「子供はもう寝る時間でしょ、何しに来たわけ?」
「だーかーら。参考書借りに来たっつってんの」
「……本当にそれだけ?」
「まさか」
彼はにっと八重歯を覗かせ、いたずらな笑みを浮かべた。
すかさず身を引くも彼のほうが一足早く、簡単にベッドに押し倒されてしまう。
強引に組み敷かれ、耳朶に唇を押し当ててくる。
「ん……! ちょ……と、こんな時間……っ」
「こんな時間だからヤりたくなんだろ? つーか、これでも毎晩徹夜で勉強してんだぜ。少しくらい労わってくれてもいいんじゃねーの?」
私たちがこういう関係になったのはまだ数ヶ月前のこと。
幼馴染期間のほうが遥かに長かったせいで、あまり実感が湧かないけど。
瞬の大学受験まで半年を切って、会えない時間が増えて、ちょっぴり寂しさや恋心というものを意識し始めるようになった。
長年の癖でつい素っ気ない態度を取ってしまうけど、本当は瞬が来てくれて悪い気はしない。
「はあー……お前の匂い、落ち着く」
「……変態」
うるせ、と短く呟いて彼は私の肩に顔をうずめたまま深く息を吐いた。
熱い息が首筋に吹きかかってくすぐったい。
「最近、完全にお前不足……寝不足よりしんどい」
そう漏らす彼は本当にお疲れの様子でわずかに声が掠れている。
抱きしめるようにして頭を撫でてやると、彼は嬉しそうにふっと笑った。
「無理して偏差値の高い大学目指すから……これまでロクに勉強してこなかったくせに」
「出来の悪い男のままじゃ格好つかねーだろ。お前よりいい大学出て、いいとこ就職して、それから嫁に貰ってやるから黙って待ってろ」
「……もう、ほんと勝手」
そういう瞬だから好きになったんだけど。
なんて、口にすると調子に乗りそうだから今日のところはやめておくことにする。
「で、頑張ってる俺にご褒美は?」
「……」
「んだよ、焦らすなって。早くヤりたいって顔に書いてあるぜ」
「かっ、書いてない!」
覆い重なった身体を押し返してやろうと腕を伸ばすと、逆に掴まれてしまった。
再び唇が降りてきて、額から鼻の頭へ、頬から耳へと優しいキスが幾度と注がれる。
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