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「恭也さん、恭也さんってば! いるのは分かってるんです、観念して出てきてください!」
大きな声で叫びながらドンドンと拳でドアを叩く私を、隣の住人がいつものことのように呆れ顔で窓から覗き込んだ。
初めこそ恥ずかしさはあったものの今ではそんな悠長なことを考えている暇などない。
今日ばかりは、私のクビがかかっているのだから。
ふんと鼻を鳴らしてもう一度拳を持ち上げると、ようやくガチャッとドアノブが回った。
そして、開いたドアの隙間からは睨みつけるような鋭い視線が私を見下ろしていた。
「……何ですか。人を立てこもり犯みたいに。相変わらず騒がしい人ですね」
「立てこもってるのは事実じゃないですか! とにかく入りますよ、いいですね!?」
隙間に指を入れて強引にドアを引き、立ちはだかる彼を押しやってずかずかと上がり込む。
くしゃくしゃに丸められた紙や分厚い本がそこらじゅうに散らかっている光景には今さら驚くこともなく、私は足の踏み場を探して奥へ進んだ。
「はぁ……やっぱりまだ書けてないんですね。締め切りは明後日ですよ? どうするつもりですか?」
ノートパソコンの真っ白な画面を見るだけで溜め息が出る。
私がこの人の担当編集者になってから、締め切り騒動に巻き込まれるのはこれで三度目だ。
「私、明後日までに原稿を回収できないとクビだって脅されてるんですよ! あなたのせいで職を失うなんてそんな理不尽なことあってたまるもんですか!」
先月も、先々月も、締め切りを大幅に遅れてようやく原稿が完成した。
今業界が最も注目している人気小説家ともあれば、ちょっと……いや、かなりルーズでも許されてしまうのが憎い。
彼の代わりに編集長に怒られるのは全部私だっていうのに。
「ちょっと恭也さん、聞いてるんですか!?」
ブツブツと文句を垂れ流す私をよそに、彼は胸ポケットから煙草を取り出して呑気に呟く。
「聞こえてますから、もう少し静かに喋っていただけますか。それと、原稿の締め切りっていうのはだいたい余裕を持って設定されているものなんですよ。心配しなくても、本当のデッドラインまではあと一ヶ月の猶予はあるでしょう」
淡々と理屈を並べる彼に私はむっと頬を膨らませる。
「ちょっと売れてるからって良い気にならないでくださいよ。恭也さんの小説の主な読者層は女子中高生です。若い女の子なんて新しい流行を見つければすぐに目移りしてしまうんですから」
「はぁ……僕は本来ミステリー作家のはずなんですけどね。おたくの編集長が勝手に僕を"イケメン作家"なんてイメージ像を作り上げて女子中高生の人気を集め、ありきたりな売れ線の恋愛小説を書かせてるだけじゃないですか」
「そ、それはそうですけど……やっぱり恭也さんだって書きたくて書いてるわけじゃないんでしょう? だったらそんな仕事引き受けなきゃいいんじゃ……」
「それとこれとは話が別です。僕は金になるなら何でも書きますよ? 変なこだわりやプライドはありませんから」
こんなやり取りをするのも今に始まったことではないが、そうきっぱりと言われてしまうとそれ以上の返す言葉が見つからない。
もう一度大きく溜め息を零すと、彼は灰皿に煙草を押しつけてデスクに向かった。
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