魔を宿す石-1


 雨がまだ降り続いているある日。ちょっと余裕ができたから、と久しぶりにリグたちに呼ばれた。つい最近遠征に行ってきた小隊に仕事は入らないし、〈青枝〉のほうもお呼びが掛からないので、講義以外で〈塔〉に行くのが珍しくなっていたときだ。塔の中で行きかう人を見て、〈木の塔〉自体は暇じゃないんだな、と思いながら2階のリグたちの居る部屋へ向かう。
「悪いね、頼んでおきながらずっと放っておいて。別件でいろいろ頼まれちゃってさあ」
 いつものように紅茶とお菓子を出して、入り口側にいる僕の向かいに座ったリズが謝った。その隣にはリグが居る。研究室に居たのは双子たちだけで、他の2人はどうしたのかと訊くと別件で出掛けてると返ってきた。どうやらリグたちはとんでもなく忙しいらしく、僕との面会もなんとか時間を作ったらしい。そういえば、いつもはなにも置いていない足もとに本が積み重ねられてたり、僕たちの座っているテーブルにも書類が重ねられて本で重しがされてたりと、部屋がいつもより散らかっている。
「なにをしてたんですか?」
 魔術の研究が本業だが、リグとリズは小隊の活動もしている。それができるだけの余裕があったはずなのだが、最近はそうでもないようだ。小隊の活動に積極的だった彼らが出られないくらいに忙しいってどんな状況なんだろう、と思って訊いてみた。
「〈黒枝〉の別の研究室から、うちの研究内容についていろいろと質問があってな」
「転移の術を研究しているところなんだけど」
「テンイ?」
 聞いたことのない単語に首を傾げる。
「そう。ある場所から別のある場所へ、一瞬で行ける術」
「ああ。ありそうでないあれですか」
 そういうのには心当たりがあった。冒険を扱ったフィクション小説の中でよくあったりする。けど、現実には存在しない。空も飛べない、地にも潜れない、ありえない速度で移動することもできない。そんな人間がどうやって一瞬で移動しろっていうんだ?
 まあ、それをなんとかしようと考えている人間がいるからこそ、いつかは実現できるってものなんだろうけど、今はまだまだ到底実現不可能……だったはず。
「で、それがどう〈精霊〉と関係が?」
 転移と召喚じゃあ共通点はないはず。片や移動のための術だが、〈精霊召喚〉は周囲の火や水などの気を集めて人間に似た意志を持つ存在を創り上げる術だ。決して彼らを何処かから呼び出しているわけではない。
「話すと長くなるけど」
「そっちに問題がないなら、別に」
 興味があるから、むしろ話してほしい。彼らは忙しいから、無理は言えないんだけど。
 だけどそう支障はなかったみたいで、リズが話し始めた。
「じゃあ、まず転移の術の話について。さっきも言ったとおり、ある場所からある場所へ一瞬で行ける術なんだけど、その方法論として、現在3つ考えられている」
 リズが指を3本立てた後、リグが話を引き継いだ。
「まず1つが虫食い穴って言われている奴だ。トンネルみたいな抜け道ってところだな。そこを通れば普通に足で歩くよりも時間を短縮できる。問題はどうやってトンネルを作るか、どう移動するか、などがあるな。まあ、いまだ実現の見込みはほとんどない。
 2つ目は空間圧縮。地図を折りたたむように出発地点と目的地の間を失くして移動できないかって奴だ。これは具体的な仮説はほとんど成り立ってない。圧縮されたその後にどうなるか、っていうのが全然予想憑かない状況だからな。
 3つ目が、分解のちの再構築」
「分解して、……再構築?」
 どれもあんまりよくわからないが、これが一番わからなかった。分解って、それってもはや移動じゃなくないって思うんだけど。
「簡単にちょっと実演して見せるか。まず、対象物を転移の魔法陣の上に乗せる。仮にこれを入り口としようか」
 紅茶のカップを置いて立ち上がったリグは戸棚からグラスを取り出すと、テーブルの上に緑色の魔法陣を描き、その上にグラスを乗せた。
「入り口の魔法陣では、これを分解する」
 魔法陣が強く光ると、グラスが粒子となって消えてしまった。
「こうすると、まず対象物はこの場所から消えてしまうわけだ。このとき、分解と一緒に物質の構成情報が別の魔法陣に送られる。情報ってのは、だいたい構成物質、形状ってところか。で、この情報を受け取った、出口の魔法陣が再構築」
 パチン、と指を鳴らして、リグは戸棚を指さした。その指の先にさっき入口の魔法陣で分解されたグラスと同じ形のグラスが現れる。
 おお、と思わず声を漏らすと、今のは魔力を飛ばして遠くで術を発動させただけで、実際にその転移の術を使ったわけではない、と苦笑された。なんだ、残念。便利な未来が近づいたかと思ったのに。
「今のは俺がそれぞれの場所で別の術を使ってそう見せただけだが。これが実現して、分解と情報伝達と再構築が一瞬のうちで行われると、瞬間移動ってことになる。その上で必要なのが、情報伝達だな。設計図がないことには、全く同じものを作ることができないからな。まあ、これも“かもしれない”の段階だが」
 ほうほう、と感心して聴いていたけれど、だんだん疑問が出てきた。
「それって、ただ同じ形の物ができたってだけじゃないですか? 出口でできた物と、入り口で分解された物が必ずしも同じ物だとは言えないと思うんですけど」
 実際リグがやったのは、分解したものと同じ形のものを作っただけだ。それその物を再構築したわけじゃない。
 それに応えたのは、今まで説明を兄に任せてお菓子をつまんでいた妹のほうだった。
「まあね。でも、それがまったく同じものであれば……傷の位置とか、歪みかたとかがまったく一緒だったら、たいした問題じゃないと思わない?」
 確かに、見た目がまったく一緒だったら、同じものと認識してもおかしくないかもしれない。それを移動と呼ぶかどうかすごく疑問だけど。
「でも、物質とは違って心や記憶もそうとは限らない。そこが問題。再構成された自分が、心とか精神といった面で分解される前の自分と同じであるという保証はどこにある?」
 僕がさっき言った、再構成されたものが同じものとは限らないって問題。それがここにも出てくるのか。しかも、そういったものは基本的に物質ではないため、確かめるのが難しい。
 自分のことを知っている誰かが同じだと判断して、それで自分が納得できれば問題ないだろうけど、果たしてそううまく納得できるだろうか。
「これはこの前話したのと逆の話だね」
 前に僕が〈精霊〉の研究に協力することになったときは、肉体が精神を識別するって話だった。でも今聞いたのは、肉体を識別できても精神まで識別できないっていう話。
 ……あれ?
「その問題を解決する方法が、〈精霊〉ってわけ」
 一瞬頭を過ぎった疑問を知ってか知らずか、そのまま話を続けたリズはダガーを召喚する。思考を逸らされたはずなのに、その閃きはどんどん形を成していった。
「〈精霊〉ダガー。彼は召喚されるとこうして現れて、送還すると消えてしまう。けど、私の魔力と火の気さえあれば、いつでもどこでも再び呼び出すことができる。全く同じ姿で、全く同じ心を持って」
「あっ」
 いたよ、ここに。いくら分解されても同じ個性を持って出てくる存在が。彼らは記憶や精神なども含めて全く同じものを有して再構成されている、まさにその例だ。
 僕らのように血肉のない彼らは、簡単にその姿を霧散させるけど、あり方はいつも同じ。その心を維持するのには大変な魔力を必要とするけど、できないわけじゃないんだ。
 そして、〈精霊〉に対してできるなら、もしかしたら人間にも適用することができるかもしれない。そうしたらそれは、再構成された先に移動したってことにもなるんじゃないだろうか。だって再構成された器は分解される前と同じものなんだから。
「なるほど。その人はその理由を聞いてきたってわけですね?」
 もちろん、それで済まない問題はいろいろある。たぶん、僕が認知しないところにもたくさんあるだろう。けど、可能性を見せられたのは確かだった。
「その通り。で、私たちはそれをいろいろ検証して、まとめてってことをしていたってわけ」
 魔法陣の中に術式を抽出して、あれじゃないかこれじゃないかと推測を重ねて。でも、新しく〈精霊〉が生まれてしまった場合にどうすればいいのかわからないから実験による検証はできず。
「どうして前に召喚したお前と今召喚したお前が同一人物なんだって訊いても、そうそう答えられるものじゃないし」
 とリグがダガーを見やれば、彼は頷いたあとに首を傾げた。
「だって、俺は俺だと言うしかないし、召喚されていない時のことを訊かれても、自分でもよくわかんないし」
 あっさりとそうのたまうと、リグは苦笑と呆れを混ぜた顔で笑う。
「と、〈精霊〉様がこんな調子だ。全部仮定の話で確証は持てないもんだから、時間が掛かったって訳」
 因みにダガーだけでなくサーシャも似た反応だった、と付け加えた。そこでダガーがわずかにふて腐れる。大人しいサーシャを引き合いに出されると、自分が馬鹿にされている気がするらしい。
 そんなダガーに気付いて、リズはぽんぽんと自分の〈精霊〉の頭に手を置いた。
「ま、こっちにはこっちの都合があるってことで、ある程度材料与えて放り投げちゃったんだけどね」
 興味はあるけど、別の研究課題があったためいつまでも構っていられなかったのだ。その研究課題ってのが、魔石を媒体とした〈精霊〉召喚。……ちょっと、僕が邪魔したみたいで、申し訳なくなってくる。
「で、実現ってしそうなんですか?」
 ありそうでなかった転移の術。あれば授業受けるときにいちいち塔の階段を上らなくてもいいなーって思ってたのだ。なにせ多くの人が生活できる空間が作れるほどの大きな木。〈木の塔〉の大樹は背丈もある。
「うーん、とうぶん難しいんじゃない?」
 やっぱり、便利な未来はまだまだ遠いらしい。



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