第11章 出陣要請 1. 目を覚まして時計を読むと、昼過ぎになろうかという時間帯だった。久し振りの――故郷を出てからははじめての寝坊である。 身を起こし、ぼうっと中空を睨む。薄い絨毯の上に毛布を持ってきて寝ていたので、身体が少し痛い。 「おはようございます」 左上から声が掛かったので目を向けると、ベッドの上でレンが座っていた。カーテンを開けず薄暗いというのに、本を読んでいる。リズが好きだと語っていた英雄譚。本棚にあったのを借りたのだろう。 この部屋はリグとリズの下宿先だ。実家もこの町にあるというのに、自立の名目で借りたというこの部屋を、滞在の間だけ貸してくれたのだ。その間は実家で過ごすから、と。 金銭面に不安があったので、正直助かっている。 「カーテンを開けたほうがいい」 このままでは目を悪くする――いや、暗い所で物を見ただけでは目は悪くならないのだったか。嘘にしろ本当にしろ、良くはなさそうだったので、仕方なく毛布を退けて立ち上がろうとすると、 「まだユディが寝てますから」 この部屋にはユーディアもいる。男2人いるところに、と思ったが、リズが彼女が使うベッドの足下に魔術の罠を張っていった。ユーディアも身の安全が保証されれば、男と同じ部屋にいること自体は気にならないらしい。神殿騎士も男社会なのだろう。 彼女が寝ているベッドは、毛布の下が膨らんでいた。朝は誰よりも早いユーディアだが、本当にまだ寝ているらしい。だが、眠ってはいないだろう。ラスティは確信していた。おそらく昨日のことについて考えているに違いない。 神は旧世界から生きてきた人間である。 信仰心はあまりないとはいえ、漠然と神を――神という人智を越えた存在を信じていた者にとって、あまりに突然の告白だった。はじめのうちは混乱するばかりであったが、時間が経過するにつれ、衝撃が襲ってきた。グラムたちが帰ったあと、3人は言葉も交わさずあのままこの部屋に帰って床につき、だが皆眠れずに各自困惑を処理していた。思考はぐるぐると回転を繰り返し、睡魔が襲ってきても悩みの所為で深く眠れない。だからずるずるとこんな時間まで寝ている羽目となった。 だが、一晩考えても、答えは出せていない。そもそも、どんな答えを出せばいいのかもわかっていない。 欠伸をひとつ。腹が減ったが、なにか食べようという気にはならなかった。これからどうしようかと考える。これといってすることもない。アスティードに関する調べ物は、なんの収穫もないまま終わっている。 なにか知っていることは間違いないウィルドかフラウに話を……と思うが、真偽を問いただすにしてもどう切り出せばいいのかわからない。 床上に腰を下ろしたままいろいろと考え、次第に考えるのも面倒になって、寝転がり毛布を被った。 最近昼寝をしていなかったし、せっかくなのだから、もう一眠りしよう。 「あれぇ?」 研究室の扉を開けるや否や、グラムは素頓狂な声をあげた。 「誰もいない」 無論、こうしてリズと2人いるわけだから、誰もいないわけがない。ラスティたちのことを言っているのはわかるが、文脈だけではわかりにくいから言葉を選べと言いたい。 「そりゃ、あれだけの事があったらなぁ」 グラムのおかしな言葉は綺麗に流して、ノートに魔術式を書きながら、リズは受け答える。 「リグは来てたじゃん」 自分たちがラスティと同じ立場だった時の事を思い出したらしい。リグも思い出す。確かに来た。 「そりゃ仕事があったからだ」 いろいろあって世界が瓦解してしまうようなショックを受け、部屋に引きこもるところだったリグを引っ張り出したのは、仕事に対する義務感だった。せめて顔くらいは出さなければ、と重い足取りで向かったのだ。まったく手につかなくて、ジョシュアに怒鳴られたあとに追い出されたが。 「じゃあリズは?」 基本的に同じ考えを持つ妹だが、あのときは自分以上のショックを受けたらしく、同じように引きこもっていたリズはリグが声を掛けても部屋から出てこなかった。そのときのことは触れてほしくないのか、リズは少し慌てて口を挟む。 「昔の話はいいじゃん。それよりリグ、これでどうだろう?」 すっとノートを差し出した。覗き込んで、式を目で追う。召喚術の改良を行おうというので、まず魔力の消費量をなんとかしようと、あれこれ模索していたのだが。 「うーん……なんか違う気がするな」 「やっぱりぃ?」 だが、何処が違うのかはっきりとわからない。(自分で言うのもなんだが)魔術の天才のリグとリズだが、それは飽くまで実技の話で、実は理論面は人並みだ。兄妹揃ってセンスだけでどうにかなった、他人から見たらふざけたくちの天才である。 ともかく、もう一度はじめから理論を組み立てたほうが良さそうだ。はぁ、と2人して溜め息を吐く。こういうのは嫌いではないが、上手くいかないと腹が立つ。研究者としてあまりに未熟な自分にも腹が立つ。 腹が立つと言えば。 「そういえば、さっきなんか煩かったけど、なにしてたんだ?」 グラムが来る少し前まで破裂音が断続的に聞こえていた。その音が気になり、集中できずに苛々していたのだ。 「ああ、銃の試射してた」 「銃? あれ使ってる奴は、一握りだろう」 火薬を用いて金属の弾を撃ち出すという銃は、そのほとんどがサリスバーグで作られているということと消費する弾が矢より高いということもあって、マイナーな武器である。知り合いに何人か使う者もいたが、同じ理由から演習のときなどはやはり安価な弓矢を用いていた。ああいう武器は、消費する物があるから大変だ。 「それが今朝、サリスバーグから大量に入ってきたんだ。最近できた型だって。で、不具合がないかを遠距離系の奴ら中心で確かめていたんだ」 それを見学していたら、グラムも誘われたらしい。彼は近距離戦が専門だが、他にもいろいろな武器が使えるので、こういうときも重宝されているようだ。 「戦争の準備?」 厄介な魔物が出たとは聞いていないし、野盗の被害も聞いていない。魔物の多い土地なので戦士たちからは絶えず新しい武器が求められているが、一度に大量に仕入れることも〈木の塔〉から配給されることもあまりない。 となれば、最近の状況も鑑みて、答えは自ずと知れる。 「誰もなにも言ってなかったけど、たぶん」 真剣に頷いて、なにかを思い出したらしく、視線を上に向けてあっと言って、 「そうそう、ディミィトリスの奴がキュウテイマジュツシとやらが塔の上のほうに来たって言ってた」 片言でなにを言われたかわからないので、脳内で繰り返し再生し――ようやく“宮廷魔術師”の言葉に行き当たる。 「って、それ王宮に所属する魔術師じゃねぇかっ」 国の軍部に所属する魔術師の一団で、王宮の一角に研究室を持ち、高額の研究費が賄われるという、リヴィアデールでは、〈木の塔〉に並ぶ魔術師の憧れの就職先だ。研究費の面では、むしろこちらより待遇がいい。 「そうなの!?」 予想はしていたが、あまりに物を知らないので、リグは呆れた。議員の任期を知らなくても、それくらいは知っていて欲しいものである。というか、言葉から推測くらいしてほしい。 ――まあ、ただごとじゃないと思ったんだろうがな。 だから話題に出したのだろう。知識面に不安がある我らが隊長だが、こういうところでは頼りになるのだ。 さて、ここから予想されることもまたひとつである。 「そろそろお呼びがかかったりして」 「滅多なことを言うなって。ホントに来たら哀しいから」 そうだな、と3人して笑いあう。その表情が凍りついたのは、たった数分後だった。 [小説TOP] |