第10章 誰そ彼


  5.

 あの子どもはなんだったのだろうか。さっきから、ラスティの頭の中で彼の言葉が繰り返し再生されていた。予言めいた言葉。それに、ラスティの素性を知っていなければ知るはずのないことまで言っていた。ラスティは、レンやグラムたち以外に自分のことを話した記憶はない。それに、最後の言葉も引っかかる。
「ラスティ? どうかした?」
 声を掛けられ、顔を上げると、リズがこちらを覗き込んでいた。いや、リズだけでない。レンにユーディア、グラムにリグ……全員がこちらを見ている。
「さっきから食事が進んでいませんけれど……具合でも?」
 ユーディアの言葉で、ラスティはようやく食事中であることを思い出した。グラムお勧めの食堂に連れられて来たのだ。目の前に出された肉料理は、半分も減っていない。これでは、心配されるのも当然だ。
「なに、なんか悩み? 相談くらいなら、乗るぞ」
 なんでもない、考え事をしていた、と言うと、そう親身になって言ってくれる。おかげでラスティも相談しやすい。そうでなければ、1人でこのままずっと悶々と考えていた可能性がある。
「さっき、妙な子どもに会って……妙なことを言われた」
「なんて言われたんだ?」
「故郷を焼いた戦火がリヴィアデールにも迫っている、と。それから」
 一度言葉を切り、躊躇ったあと口にした。
「俺がアリシエウスを出た理由も知っているようだった」
 がた、とユーディアを除いた全員が動揺した。1人ラスティの事情を知らずにいるユーディアは眉を顰めるに留まる。
「それ、どんな奴だった?」
 捲し立てるようにリグが訊く。
「10歳くらいの少年で、茶色の髪、目の色は赤と緑」
 たったそれだけの情報で、グラム、そしてリグとリズは、互いに目配せし合った。誰も真剣な目をしている。
「なにか知っているんだな」
 相変わらず隠し事が多い連中である。が、隠し通す気はないようで、あっさりとそれを認めた。
「……隠す理由もないな。ただ、信じ難い話だぞ」
「またですか。それは魔族の件で慣れました」
 だからさっさと話せ、とレンは促す。
 やれやれ、と小さく笑ったあとで、リグは暴露した。
「エリウスだよ、そいつ」
「………………は?」
「だから、エリウス」
 頭の中でその単語を検索する。が、見つかったのは1つだけだ。
「創造神と同じ名前?」
「いや、本人」
 グラムが顔の前でぶんぶんと片手を振る。
 その言葉をゆっくりと咀嚼してから飲み込む。消化されてようやく意味を理解すると、あまりに奇想天外な内容に一瞬気が吹っ飛びそうになった。
「い、いや、ちょっと待てっ!」
 思わず腰を浮かせると、冷静にリズが窘めた。
「待つのはいいけど、ヒステリーは起こすなよ。周りに人いるから」
 宥められて混乱が収まるわけではなかったが、出し掛けた声は抑えることができた。周囲を見回すと、近くのテーブルの客がちらちらと不審そうにこちらを見ている。軽く頭を下げて、腰を下ろした。だが、興奮は収まらず、手近にあったグラスを呷った、口に含んでからそれが強い酒であったことに気付いて噎せる。リグが渡してくれたお茶でなんとか喉を落ち着けた。間抜けだなー、とグラムたちに笑われる。普段なら気にしているところだが、今はそれどころではなかった。
 レンとユーディアは凍りついたまま動かない。
「創造神、だと? あの子どもが?」
 息を整えてから、周囲に遠慮して声を小さめにして話す。が、興奮の所為か怒鳴るようになってしまうのは抑えきれなかった。
「まあ、信じられない気持ちもわかるよ。あたしたちもそうだったし」
 テーブルに肘を突き、垂れ下がった髪を耳にかけ、食事の終わった皿からフォークを拾い上げて弄びながらリズは言った。
「だったってことは、接触があったんですよね? なにがあって、何処に神だなんて納得できる根拠があったんですか?」
 ある人物に突然自分は神だ、と言われて信じる人はまずいないだろう。神は今のこの世界を作ったし時折人前に現れもするが、基本的に人とは交じらない――ということになっている。信心深かろうがそうでなかろうが、これは全ての人にとって常識。だから、あの少年が神であることを真実だと判断する根拠があるはずである。特に、この3人は明確な根拠がない限り信じたりしない。
 グラムとリグはリズを見た。つられてラスティたちも彼女を見た。注目を集めた彼女は、気まずそうに頭を掻く。
「実は、先に会ったのは創造神じゃなくて闇神のほうなんだけど……、あたし、1回奴を殺そうとしたんだよねぇ」
 えへへ、と照れているかなにかを誤魔化すかのように笑う。
「で、死ななかったと。これはもう信じるしか」
 それどころか、傷が治癒術なしに傷が一瞬で回復してしまったのだそうだ。
「エリウスにはその時出会った。あたしたちの人生が一転した切っ掛けだな、忌々しいことに」
「忌々しい、ですか」
 いろいろあったからね、とリズは顔を顰めた。そういえば、彼女たちは神に対して何処か否定的だった。いろいろ、とはなにがあったのだろう。ラスティももはや他人事ではないので気になったが、彼らがそれについて言及することはなかった。
「因みに、その闇神ってのはウィルドのことだ」
「えっ!?」
 ある意味、あの少年が神さまだという発言よりも衝撃的だった。あまりに身近に神がいたという事実もさることながら、さっきリズは殺そうとした、と言っていなかったか。
「更に、フラウがアリシアだと思うよー、ウィルドの態度を見るに」
 2撃目にはもはや声も出ない。周囲に神が2人も……と思うと気が遠くなりそうだった。熱心な信者なら、さぞかし羨むに違いない――いや、1人神職者がいた。
 エリウスの信者が多いクレールの一番大きな神殿であるアタラキア神殿の神殿騎士である彼女は、絶句したまま固まっている。
「信じるか?」
「…………」
 正直、信じ難い話しだった。だが、そうだとすると、これまで疑問だったことが全て納得がいくのだ。ウィルドがアスティードの名と姿を知っていた訳。フラウがラスティについてきた訳。闇神であれば、破壊神の使っていた剣を見たことくらいあるだろう。破壊神ならば、自分の使っていた剣がどのように使われるか気になるに違いない。
 それに、さらっと言われた分、まことしやかに話されるよりもかえって真実味がある。嘘は相手を信じさせるためのもの。だが、グラムたちは無理に信じさせようとしていない。寧ろ信じてくれないだろうとも思っているはずだ。
「まあ、神かどうかなんて、たいしたことじゃないって。奴らはおれたちと同じ人間なんだから」
 本当にグラムにとっては些細なことであるらしく、出てきたデザートを口に頬張りながら彼は言う。彼を見ていると本当にどうでもいいことに思えてくるのだから、不思議だ。
「人間じゃないじゃないですか」
「人間だよ。旧世界の時から生きてるってだけ」
 どういうことだ、と双子のほうを見る。こういう説明は、グラムよりもこちらのほうが向いている。
「俺たちが神と呼んでるのは、実は旧世界の人間だったっていうだけだ。神話にもあるだろう。“人間の中から女と男を選び出し”って。あれはレティアとオルフェに限ったことじゃないというだけだ。だから、長生きしているだけの、俺たちと同じ人間」
 といってもそう簡単には割り切れないけどな、とリグは苦笑する。1000年生きているというだけで、充分に普通でないと言えるはずだ。
「どうして――どうやって、そんなに長く」
「さあ? エリウスが自分たちの時間を止めたとか言っていたけど、詳しくは知らないなぁ。オルフェもどういう原理かはわからないとか言ってたし。
 どうしてかっていうのもよく知らない。それぞれに動機があるみたいだけど、オルフェは教えてくれなかった」
 そこで皆ふとユーディアのほうを見た。さっきから黙ったままの彼女は、あちこちに視線を彷徨わせている。
「ユディ、大丈夫? ついていけてる?」
「え? ……うん、大丈夫」
 と言うが、あまりの急展開についていけるはずがない。ラスティたちもまた同じだ。彼らの告白は、これまで信じていた世界を破壊されるに等しい。
「まあ、グラムの言う通り、たいしたことじゃない。気にしたら負けだ。嘘と思ってもいいし、信じたところで変わらない。それでも起こるものは起こる」
 少し落ち着いて考えてみな、と言ってリズは席を立った。伝票を持ち、グラムとリグと3人で店を出ていく。
 残されたラスティたちはなにを言っていいかわからず、長い間押し黙っていた。
 目の前に残った食事は喉を通らなかった。



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