第17章 意地か使命か


  4.

 振り下ろした刃は、リズを裂くことなく防がれた。突如として現れたその人物を、オルフェは内心驚いて見つめていた。
「ダガー……」
 リズは驚きをもって彼女を守る精霊を見上げている。
 ダガーはこちらを睨み付けながら剣を押し返す。相手から離れると、今度は横から大きなものに襲い掛かられた。リズに従う黒狼だと気付いたのは、剣と牙がぶつかりあう音を聞いてからだ。
 剣に噛みつく狼を引き剥がし、距離を取ってリズの僕である精霊と幻獣を見据える。
「主の命がないままに現れ、蝕んでおきながら行動するとは……お前たちがそのような存在だったとはな」
 本当に油断していた。召喚には呪文と魔法陣の両方を必要とする。名前を呼ぶだけでも喚び出せるようだが、それでも規則や手順はあるのだから、やはり簡単に喚べるものでもないし、来れるものでもないはずだ。リズが喚びさえしなければ、と思っていたので、ノーマークだった。
「うるせえよ。リズが殺されるのを黙って見てられるか」
 リズを庇うように立つダガーは、2つの短剣を逆手に構える。ダガーの隣でハティが唸っていた。ダガーは一瞬ハティに目をやると、オルフェに嘲笑した。
「しかも同じ動機で2回目だって? ふざけるのも大概にしろよ。てめぇだけは赦さねぇ。ぶっ飛ばしてやる!」
「できるものなら」
 オルフェは剣を構えた。精霊に幻獣とはいささかやりにくいが、問題はない。目標のリズは弱っている。彼女を仕留めれば、リズの魔力に依存して存在している彼らも自然と消えるはず。
 ウィルドは唇を噛んだ。
 距離を詰めずに、ダガーは右の短剣を右から左へと振った。炎を纏った斬撃を飛ばしてくる。人間離れしたその芸当にいささか面食らったが、軌道は見えたため余裕をもって躱した。
 恐ろしい。斬撃を飛ばすなど、風の術を心得た剣士か魔術師にしかできないというのに、彼は炎でそれを行った。それだけでなく、次から次へと炎を出現させる。魔法陣どころか魔術を扱うときに踏むべき手順すら行っていないようで、作り物の存在であるとはいえ、精霊の呼称は伊達ではないのだと実感させられる。
 炎に気をとられていると、狼の牙や爪が迫ってくる。
 2つの攻撃をかわすのは、さすがにきついものがあった。しかもどちらも規格外であるため、やりづらい。
 だが、オルフェとて伊達に1000年生きてはいない。相手をしていくうちに次第に慣れていき、隙が見えるようになってきた。
 隠し持った短剣を、ようやく立ち上がったリズに投げつける。
 仕留めた、と思った。なにもなければ、確実に彼女を葬れた。そうすれば、彼女の魔力によってこの世界に存在している精霊と幻獣も消えて、終わったというのに。
 しかし、彼女に迫った刃は、乾いた音を立てて宙の上へと跳ね上がった。鉄色の光が夜空に煌めく。
 リズの前に、白い大きな獣と、2人の人間が立っていた。スコルとリグ、それにグラム。グラムの手には、剣が握られていた。おそらく、狼の脚力で一気にリズの前に割り込み、グラムが短剣を防いだのだろう。
「お前、なにやってんだよ!」
 グラムが怒鳴る。リグはこちらを睨み付けながら、なにも言わずに彼女を庇うようにして前に出た。突然の乱入者に唖然としたのを隙と取ったハティが襲い掛かってくるのを振り払い、オルフェは2人に向き直る。ダガーはグラムたちが現れた瞬間から、リズのもとに走っていった。
「ダガー! ハティ!」
 こちらを睨めつけたまま、リグは振りかえらずに叫んだ。
「リズを安全な連れて行け!」
「ちょっ……リグ!」
 掠れた声でリズが抗議するが、リグは無視している。
「行け!」
 リズを抱え込んだダガーがハティに飛び乗った。
「逃がすとでも!」
 リズを追いかけようと駆けだすが、スコルが飛び掛かってきて防がれた。その間にリグは魔法陣を描いている。地面に足を着いた白狼は、主の負担にならぬように、地面に溶けるように還っていく。
「行かせるかっ」
 地面に緑色の魔法陣。そこから、岩の槍が幾つも突き上がって、オルフェの道行きをさらに阻んだ。
 槍の何本かは足の甲と腕を刺し貫いている。槍が消えると、オルフェの腕から血が滴り落ちた。それも直に止まる。草の上に落ちた血の跡も一瞬で消えていく。
 オルフェが神である証。今の負傷がなかったこととされたのだ。1000年前からオルフェの時は止まったままだ。
 リグは杖を順手で構えると、槍へと姿を変えさせた。それをぶん、と一度振ると、穂先をオルフェに向けて突っ込む。オルフェは穂先を剣の腹で受け止めた。そのまま押し合いとなる。
「邪魔を」
 刃の向こうから睨むと、リグは負けじと睨み返した。
「邪魔? 妹が殺されるのを黙って見てろってか」
「世界を乱す可能性のあるものを葬るのが私の役目。どこの誰であろうと、禁忌を犯した者には例外なく裁きを下さなければならない」
 刃を傾けると、穂先が剣の上を滑る。このままだとバランスが崩れるのを悟ったリグは、後ろに跳んで距離を取った。
「相手が、リズでもかっ!!」
「例外はない」
 そう、例外はない。たとえ2年間苦楽を共にした仲間であっても、はじめて心を開いた相手であっても。その人物がエリウスの言う世界の秩序を乱す限り、オルフェの仕事は変わらない。
「本当に、それだけか?」
 介入してきたのは、場にそぐわぬ憂いの声だった。敵対しているのを忘れて2人してグラムのほうを見る。彼はまだ剣を抜かないまま、オルフェをじっと見ていた。
「だって変だろ。禁忌を犯したのはリグも一緒なのに、おれには、お前がリズばかりを執拗に殺そうとしているように見える」
 グラムの言葉は、ウィルドの心を引っ掻いた。胸に痛みが走る。
「なあ、ウィルド……」
 その先は聴きたくなかった。
「貴方の言うとおりです」
 続けようとしたグラムの言葉を遮って、淡々とオルフェは告げた。
「貴方たちも、排除の対象だ」
 それが闇神の使命なのだから。



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