第10章 誰そ彼


  4.

「この話はもうするな」
 このままでは不毛な会話になりかねない。それはラスティの望むところではないので、一方的に話を打ち切った。はい、とユーディアは小さく頷き、そのまま黙り込んでしまう。
 この気まずい空気をどうしようと考えたときだ。
「なんだ〜。2人ともここにいたんですか」
 変声期の少年の声に、2人は弾かれたように屋上の出入り口を振り返った。そこには、欠伸をしながらこちらへと歩み取ってくる金髪の少年。いつも白っぽい色の髪が、今は黄昏の光で橙色になっている。
「レン」
「レンくん」
 同時に彼の名を呼び、声が重なったことで互いに黙り込む。ラスティとユーディアの間を流れる微妙な空気に、レンは首を傾げた。どんな光のもとでも変わらない赤い目を瞬かせて、きょとんとした表情でラスティたちを見つめた後、意地の悪い笑みを浮かべる。
「あれ? もしかして、お邪魔でした?」
「はあ?」
 なにを言いだすのかと思えば。ラスティは呆れかえった。
「どうしてそうなる」
「夕暮れ時の見晴らしのいい場所に、男女が2人きり……なんて如何にもじゃないですか」
 ねぇ、とユーディアのほうを向くと、彼女は顔を赤らめてレンからもラスティからも顔を背けた。
 ――だから、どうしてそうなる。
 意外に初心であるらしい。いや、神殿勤めなので、そういうこととは縁がないのか。
「見当違いだ」
 冷静に訂正すれば、ちぇー、と何処か不服そうである。
 アーヴェントの元へ行き、衝撃の事実を聴いて、彼の心中を心配したものだが、ラスティの懸念とは裏腹に、レンは胸につっかえていたものが取れたらしく清々しい表情をしていた。今のように晴れ晴れとしていて、少し年相応らしい様子を見ると、これまでのレンには何処か翳があったことに気付く。姉を殺したという罪によるものだろうが、ラスティとユーディアに告白したことによって、肩の荷が下りたようだった。
「下世話な奴だな」
「僕くらいの歳頃って、みんなこういうものだと思いますよ? ラスティもしたでしょう、そんな話」
「しない」
「うっそだぁ」
 アレックスやデイビッド、クロードはよくしていたが、ラスティは興味がなかった。幻滅したのだ。ラスティに言い寄ってくるのは、貴族の女か城の女中たち。あまりにあからさまな打算で近づいてくるので、こちらから避けていた。だから、20年近くに渡る人生の中で、そういった色恋沙汰の話は持ち合わせていない。
「それで、魔術の練習のほうはどう?」
 ユーディアは話題を変えた。なんでも、ここ数日ずっと、レンは魔術を教わっていたのだそうだ。
「初歩的な水の魔術だったら、もう使えるようになりましたよ」
 あの横柄な物言いでありながら、ジョシュアは教えるのが上手いらしい。この数日の間に魔力を操る技術が上達したのだ、とレンは楽しそうに語る。
「これで札の枚数を気にしなくて済みます」
 沙漠を渡る頃から、レンが〈魔札〉を使わなくなっていたことには気づいていた。持っていた札の枚数が減ってきたからなのだそうだ。使いやすくて便利だが、残量を気にしなければならないのが難点で、しかも、サリスバーグの一部地域にしかないから、補充もできない。そういうのが煩わしかったから、前々から道具なしでの魔術を覚えたかったという。
「ラスティも覚えればいいのに。楽しいですよ?」
「性に合わないんだ」
「魔術に関しては不器用だからってぇ……」
 やれやれ、と頭を振る。まるで、できないからやらない、みたいな言い方はやめてほしい。
 ぽつぽつと、白い光がシャナイゼに灯っていく。街灯だ。火とは違って毒を出さず、熱くもない光を使っているのだという。街の明かりは家の中も含めて、すべてこれで賄っている。
 日が暮れる。
「おーい、飯食いに行こうぜ〜」
 入口でグラムが手を振っている。
「はーい! 今、行きまーす」
 元気に手を振り返して、レンはグラムの元へ走っていく。数少ない、レンの年相応の仕草だ。ユーディアが母か姉のような笑みを浮かべて、レンの後を追った。ラスティもどこか心和むその光景に口の端を僅かにあげて、それに続こうとして、
「ねえ」
 背後から声がかかり、ラスティは振り返った。子供の声。けれども、レンではない。声変わりする前の少年の声。
「ここでなにしてるの?」
 一体いつからそこにいたのか。
 少年は、ラスティの隣に立つと、背伸びをしながら景色を見下ろした。10歳くらいに見える。〈木の塔〉の誰かとは考えにくいから、遊びに来た街の子供だろうか。淡いブラウンの髪に、白い肌。そして、オッドアイ。右の眼は芽吹いたばかりの葉のような緑色。左は赤だが、レンのような血の色ではなく、黄昏の赤だった。
 問われた言葉の意味を図り、ラスティは押し黙った。なにをしている、と問われても、ラスティはただユーディアと話をしていただけだ。特に追及されることではないはずだが……。いや、そもそも、初対面の子どもに訊かれることだろうか。子どもが好奇心をもつような不自然なことをした覚えは全くない。
 レンたちはラスティが来ていないことに気付かず、先に行ってしまったらしい。
「戦火は貴方の故郷を焼いただけでなく、リヴィアデールの西にも放たれかけているよ。じっとせずただ見ているつもり?」
 予想だにしない言葉に、ラスティの顔が強張った。彼はラスティのことを知っている――。
「それとも、目を閉じ、耳を塞ぎ、なにもしないつもりなのかな? それだと彼女と同じことになるから、勘弁してほしいところだけど」
 語る言葉は抽象的、だが、何処か確信を突いているようでもある。なんのことを言っているかわからないが、そう言って無視するにはどうにも引っかかる。
「なんの話だ。……なんだお前は」
 ラスティの中で、強い警戒心が生まれていた。たかが、見た目10歳の子供にだ。周囲に食えない人間はたくさんいる。だが、この少年は、その中の誰よりもつかみどころがない。子どものようだが、子どもらしくない。矛盾した表現だが、そうとしか言い表せない。
 会ったことはないのに、ラスティのことを知っている。しかも、予言めいたことを言う。正直、気味が悪くて仕方がない。
「そう、まだ聞いていないんだ、僕のこと。まあ、僕はどちらでもいいんだけど」
 ――聞く?
 ――誰に?
「そろそろ、その剣の使い道を決めるといいよ。世界を救うも滅ぼすも、あなたの自由だ」
 “剣”と言う言葉に、ラスティは完全に固まった。話の流れからして、どう考えても、アスティードのこととしか思えない。少年に対する不信感が高まる。アスティードのことは、ユーディアにも話していないのだ。いや、そもそも自分から話した覚えもない。ハイアンかディレイスのどちらかに聞くか、或いはウィルドたちのように剣そのものを知っていなければ知りようがないのだ。それなのに。
 子どもは背を向けて歩き出す。ラスティはそれを呆然と見送った。塔の中に消えて、宵風が背中をそっと撫でたところで、弾かれたように、少年を追った。
「待て!」
 出入り口の扉に手をかけて、下りの階段を覗き込む。しかし、誰の姿もなかった。



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