第24章 門と枷


  1.

 晴れ渡る空の下、アリシエウスの王城の庭の一角で、魔術を心得る者たちがユーディアの目の前を右往左往していた。なにかの術の準備をしているようである。だがそれは、ユーディアの知るものとは違って、地面を掘って陣を描いたり、なにかを撒いたりと、準備に時間の掛かる大掛かりなものだった。中心となって指導しているのは、キース。言うまでもなく、これは禁術の準備だった。
 準備を手伝っているのは、クレールの政府軍の魔術師だ。神殿騎士の魔術師でない。神殿騎士のクラウスが政府軍の者たちを従えているなど不思議なことであるが、ユーディアが東に行っている間になにか根回ししたのだろう。政府と神殿、2つの組織が切り離されていないクレールだからこそ、可能だったに違いない。
『どうして君は、俺を止めないのかな?』
 先程地下から出たときにクラウスが発した言葉。ユーディアにはあまりにも予想外で、戸惑ってしばらく言葉が出なかった。
『なにを言っても、止まらないのでしょう?』
 確認する言葉は、肯定で返された。ならば何故そんなことを訊くのか。クラウスの言動は矛盾して聴こえるので、ユーディアは戸惑うばかりだった。
『いや、君があまり強行手段に出ないから、ついね。本当に止める気があるのか疑わしくなってしまって』
 強行手段。確かに、ユーディアは力ずくで相手を止めようとはしていなかった。無理やり従わせたりするのは得意ではないし、暴力に訴えるのは間違いだと思っている。
 だが、言われてみればそれはただの綺麗事。結局自分の手を汚したくないだけなのかもしれない。
 そんなことを思ってしまえば、決意しない訳にはいかなかった。ラスティはリスクを侵し、矜持を捨てて、故郷を守るためにクレールの傘下に入った。グラムたちは自分の生活を守るために、ユーディアの敵になることを受け入れた。リズは世界を混沌に落とさないために、盗みに手を染め、貴重な文献を紛失させた。正しいかどうかということではない。なにかを守るため、皆それだけの覚悟を持っているのだ。
 なのに、自分はただ声高に叫ぶだけ。現状に駄々をこねているのとなんら変わりない。
 だから、覚悟を決めた。
 魔術師たちを掻き分け、キースのもとに近寄ると、ユーディアは剣を抜いて首に突きつけた。
「フリア・キース、あなたを拘束させていただきます」
 周囲の動きがぴたりと止まる。ユーディアとキースを見た魔術師たちが、戸惑ったようにあたりを見回した。責任者であり、ユーディアが常に傍にいるクラウスを探しているのだ。だが、彼は今ここにはいない。アリシエウスの騎士が見つけた、連合軍の本陣を攻めるために指示を出している。彼がいなければ、誰もユーディアを止められない。年若い者が多いこのクレールの人間の中では、ユーディアはクラウスに次いで地位があった。
「突然なにをするのかと思えば……。状況がわかっていて言っているのか?」
「もちろんです。こういうときだからこそ、あなたの背徳行為を止めなければいけません」
「背徳行為、ね」
 吐き捨てるように呟いて、
「あんたも奴等と一緒か」
 キースはポケットからなにかを取り出すと、口元に当てた。半月型の薄い板を合わせたようなそれに、何処か見覚えがあった。なんだったろうかと思いだしていると、獣の咆哮が耳に入る。その方を振り向けば、人のような身体に獅子の頭と蛇の頭の付いた尾……他にも色々と付いた奇妙な生物が姿を現した。
「合成獣っ!?」
 あんな奇妙なものまでいたとは驚いた。地下では見なかった。何処にいたのだろうか。
「あんたには、あいつとしばらく遊んでおいて貰う」
 術の気配に跳び去ると、そこに接近していた合成獣の鉤爪が迫る。身を捩って躱し、剣を胴体に滑らせた。思ったよりも硬い手応え。
 ユーディアは合成獣から距離を取った。細剣では敵わない。勝てるとしたら、魔術だ。覚えている数少ない攻撃魔術の陣を描いた。
 もう少し、というところで獅子の顔が目の前に迫る。
「く……っ」
 頭が大きく、アンバランスだというのに、素早い。途中まで描いた魔法陣が霧散した。これでは魔術も駄目だ。対抗手段がない。
 そんなユーディアを尻目に、キースは禁術を使う準備を着々と進めていた。他の魔術師たちも一緒にだ。
 ――何故、どうして、あの男の言うことに従う。
「あなたたち、今すぐ止めなさい!」
 恫喝すると、魔術師たちは困惑して動きを止めた。その中の1人がユーディアを見る。
「しかし、ディベル殿の指示が……」
 確かに最高責任者はクラウス。彼がキースに従えと言ったのなら、従うのは当然。だが。
「いい加減に目を覚ましなさい! 命令だろうとなんだろうと、あなたたち――いえ、私たちがしていることは間違っています!」
「他人に構っている余裕があるのか?」
 せせら笑うキースの声で、自分がなにと相対していたのか思い出した。合成獣が大きな口を開けて接近してくる。このままでは、噛まれる。
 ユーディアの身体は、勝手に動いた。鋭い牙ばかりの口の中に手を突っ込み、喉の奥を細剣で突き刺した。
 鼓膜を破るような低い悲鳴の中で、剣の刃が折れたのを感じた。
 こちらに倒れ込む合成獣から身を離す。地面に横倒しになったのを見て、ユーディアは足の力が抜けて座り込んだ。半分以上刃を失った剣の柄を握りしめる。
「予想外だな。あんたはこいつに殺されると思ったのに」
「貴方、この子になんの哀れみもないの!? 自分で作っておきながら、なにも……」
 余りにおぞましい生き物だ。存在を認める訳ではない。だが、この生き物を作ってしまった者だけは、彼らに対しなんらかの情を持つべきではないか。望まない姿になったものを、望んだ者が受け入れてしかるべきだ。なのに、まるで物のように扱うなどとは、とても信じられることではない。
「ないね。これはただの作品だ。お気に入りの姿じゃないし、強くもなかったようだから。強いて言うなら、腹立たしいな」
 あれだけの時間と金を掛けたのに、とその男は言う。そのわりに大したことがなかった、と。
 さすがのユーディアも、堪忍袋の尾が切れた。
 握りしめた剣を、立ち上がる勢いをのせてキースへ向ける。睥睨する彼の無防備な腹へ折れた刃を突き刺そうとした。が、腕を掴まれ、止められる。力はさすがに男なだけあって強く、押しても引いてもびくともしない。そうこうしているうちに地面に引き倒された。受け身を取れず勢いよく倒れて身動きができないところに、掬うようにして振るわれた杖で殴打される。更に来るかと思ったが、意外にもキースは手を止めた。
「来たか」



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