第23章 背徳の術師


  4.

 ふと気が付くと、天幕の中で横たわっていた。
 何故こんなところに居るんだろう、とぼんやりした頭で過去をさらう。アリシエウスの森の中に居たのを思い出した。確かラスティが街を壊してしまって、突然のことに驚いた両軍が撤退を命じた。それで帰ってきたリグは、リズから連絡を受けて、それをグラムに伝えて……。
 ――刺されたんだったか。
 リグは己の胸のあたりをさすった。着ているのは知らないシャツだ。布越しに触った胸に傷はない。誰かが治してくれたのか。
 剣を貫かれたときのことを思い出しかけて、無理やり忘れようとする。神経は大丈夫だろうか――と考えて、やはり痛みを思い出してしまい悶々とした。
 気がついた今、寝転がっていても仕方ないので身を起こす。
 頭から血が抜けていくような感覚がしたかと思うと、視界が端のほうから黒く塗りつぶされていった。耳鳴りもする。貧血だ。身を起しかけた状態で肘をついた。視界が戻るのに、結構時間が掛かった。それでも1分は掛からなかっただろうか。だが、血が足りない所為で、その中途半端な格好のまま動くことができなかった。
 自分の背後――天幕の入口が一瞬明るくなり、誰かが入ってきた。はじめはゆっくりとした足取りだったのに、リグが起きていることに気が付いたせいか、急にパタパタと足を速めた。
「大丈夫かよ」
 背に手を回される。少し顔を上げると、グラムの顔が目に入った。心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「あんだけ血を流したんだ。そうすぐ起きれるわけないってのに、無茶しやがって」
 そのまま寝かしつけられそうになったので、抵抗する。せめて座らせてほしい。そう訴えると、グラムが寄り掛かれる物を持って来てくれた。
「調子は?」
「……血が足りない」
 そりゃそうだ、と呆れた風にグラム。どうやら相当の出血があったらしい。痛みで気絶して覚えてないが。
「エリーゼがいて、よかったな」
 グラムが口にした女性がリグを助けてくれたらしい。白魔術の関連で、親しくするほどではないが知り合いだ。あとでお礼をしなければ。
「なんか欲しい物あるか?」
「水。それから食い物。たんぱく質ね」
 少しでも何か食べて、血を取り戻さなければ。
 そうしてグラムが持ち帰ってきたのは、乾燥した塩漬け肉だった。もう少し食べやすいものが欲しかったし、これなら茶のほうがよかった。しかし贅沢は言えないので黙って食べる。
「どんな様子だ、あっちは」
 固い肉を咀嚼し水とともに胃に流し込むと、静かだが妙な気配のする天幕の外の状況を尋ねた。ピリピリとした空気があたりを覆っていることが、天幕越しにでもわかる。
「動揺してるって感じだな。おまえが刺されたことで、リヴィアデールに不信感持っている奴らが増えてるよ。特に〈木の塔〉側がな」
 知り合いは決して多くない。同郷意識のなせる技だろうか。あまり接点のない人たちがリグが死にかけたことに多少なりとも憤りを感じてくれていることに、嬉しいような、都合の良さを感じるような、複雑な感慨を抱く。
「とりあえずエリオットが押さえてるから、大きな混乱にはなってないけどな」
 あいつって、偉かったんだなぁ、とグラムは笑う。宮廷魔術師はエリート集団。若輩者でも発言力がそれなりにあるのだろう。
「クレマンスは拘束されてる。どこかに閉じこめておきたいところだけど、ルクトールに連れて行くためだけに戦力を裂く訳にはいかないからな。とりあえず木に括り付けて見張りをつけてる。見張りは〈塔〉の奴な」
 リグは木に括りつけられたクレマンスの姿を想像した。動けずに、縄を解けとか言っているのだろうか。いい気味だとも思ったし、自分を刺した相手だが哀れにも思えてきた。
「あいつ、やっぱちょっと狂ってるな。恐怖にあてられたらしい。魔物狩りにしても、前線に出るようなことがなかったんだってさ」
 だから、直接死の恐怖を感じることなどなかったという。戦術や戦略には(たとえ迷惑を被りかけたにしても)それなりに精通しているように見えたが、すべて机の上で組み立てただけのものだったようだ。それなのに、こうして戦線に出てきた。
「それでいきなり、あんな怖いものを見せられて、パニクったわけ。いや、見てないんだけど」
 話を聞いて、手駒も大勢なくなって、ようやくここが死が身近な場所だと知ったのか。クレマンスの覚悟の足らなさ加減と精神の脆弱さに、リグは呆れた。それでよく兵士になろうと思ったものだ。
 だが、はじめて晒された死の恐怖は、相当なものだったのだろう。そこは少し同情するが。
「だとしても味方を刺すなんて、たまったもんじゃねぇよ」
 刺された部分を指で撫でながら、リグは押し殺した声で呟く。死なないで良かった。こんな下らない理由で殺されては、とても虚しい。
「それで、どうなるんだ? 連合軍は」
 指揮する立場が変われば、方針も変わるはずだ。様子を見るか、それとも撤退するか。
「指揮をリヴィアデールに取らせるか、サリスバーグに取らせるかで揉めてる。その傍らで、〈塔〉の奴等はカーターさんを推してる感じだな」
 リグは頭を抱えた。指揮官代理も決まっていないようだった。
「つまり、混乱してると……」
 もはや戦争どころではない。ここを攻められたら、あっという間に全滅するだろう。連合軍、といっても、二国間が確固たる協力関係になかったのが問題。親密関係でない勢力が3つも同じ場所にいるのはさらに問題。兵士の1人が指揮官に刺されて命を落としかけたのが大問題。
 ――もう少し考えて行動したほうが良かったか……。
 自分が冷静でいれば、最悪刺されることはなかったかもしれないのだ。そうしたら、リヴィアデールの信用度が下がることはなく、もう少し纏まっていたかもしれない。
「あんましょうもないこと考えるなよ?」
 心を読んだかのようにグラムは言うので、リグは鼻白んだ。それを見て、グラムは重い溜息を吐く。
「おー、起きたか」
 天幕の垂れ布を持ち上げて、カーターが入ってきた。
「隊長」
 うっかり呼び慣れたほうで呼んでしまい、頬が赤くなる。カーターが小隊長を務めていたのは2年も前のことなのに。
 カーターはリグのうっかりに気付いたようだが、特になにも言わなかった。
「具合はどうだ」
「大丈夫です」
 グラムが眉を持ち上げたが、座っている分には問題ないし、もう少しすれば立てそうなので、嘘ではない。
「これからどうするかが決まった」
 思わず背筋が伸びる。混乱していると今しがた聞いたばかりなのに、もう話が決まったのか。すぐに結束を取り戻したのは喜ばしいが、
「アリシエウスに、再度攻め入るそうだ」
 決まった方針はとても喜ばしいものではなかった。
「正気ですか?」
 あれだけ多数の被害が出ていて、兵士1人1人の精神状態も心配される中で、どうして戦いを続けようなんていう話になるのか。
「あの破壊者は、今リズが追っているんだろう?」
 追っているというか、どちらかというと保護しているのだし、カーターになら本当のことを言ってもいいような気もしたが、なにも言わずに頷いた。
「なら、脅威がないうちに落としてしまおうということで満場一致した」
「そんな……攻めることにこだわるなんて」
 リグには全く理解できなかった。そんなに味方に犠牲者を出してまで、人を殺したいのか。いや、殺戮願望とは違うのかもしれないが、敢えて犠牲者を出すほうを選ぶ理由が全くわからなかった。
「戦争ってのは、そういうものだ。俺たちはただの戦いの駒でしかない。戦うことしかできないし、戦うことしか考えられない。大義名分は二の次だ」
「そういうものですか……」
「そういう奴らが多いという話だ。染まるんだよ、こういうところでは」
 染まる。それしか求められない状態に晒され続けるからだろうか。戦場では人殺しが正当化され、むしろ正義であるから、感覚が次第におかしくなっていくのだ、となにかの本に書いてあった。そういうことなのか。
 染まりたくないな、と思う。染まったグラムやリズたちも見たくない。
 項垂れるリグの頭に、カーターは手を置いた。
「すぐに戦うことになる。今のうちにゆっくり休んで置け」
 ぽんぽん、と頭を叩いたあと、背を向けて片手を上げて、去っていった。なにか準備があるのだろう。そういえば、いつの間にか天幕の外が慌ただしくなっているような気がする。
 はあ、とグラムともども溜め息を吐く。
「…………こうなった以上は仕方ない。死人が増えないよう、努力しようぜ」
 力なく頷く。軍を離れられないのだから、そうするしかない。軍を離れたリズが、少し羨ましかった。
『主』
 そんなことを考えていた所に、彼女から連絡が入ったらしい。双子のシンクロニシティもここまでくるのか、と毎度のことながら感動すら覚える。
 が、狼を経由した妹の伝言内容を聞くと、そんな感動など一瞬で吹き飛んでしまった。



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